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かわいい

「あんたの周りの友達は皆可愛い子ばっかりね」
「あんたはあたしと同じで盛り上げ役になるね」
幼い頃から言われていた母の言葉をふと思い出す。

小学校時代からふと、鏡を見ていて思うことがあった。
「あたしより可愛くない女の子なんていない」
周りの友達全員、自分より可愛く見えた。そんな時はいつも、冒頭の母の言葉がよぎる。自然に、可愛いと言われるものよりもボーイッシュと言われるものを好むようになった。服装も、言葉遣いも、何もかも。

高校生にもなると、その意識が甚だしくなった。同時にこのような気持ちも芽生えた。
「可愛い女の子は好かれる。あたしは嫌われる」
「面白い人間になれば嫌われない」
元来大きいらしい(自覚なし)声と自然と身に付けたユーモアで、何とか嫌われないようにする術を身に付けた。

そして時は経ち大学生になった。私は当時好きだった男の子とその友達、そして私と友達という、いわゆるミニ合コン形式の飲み会に参加した。私が彼を誘ったのではなく、私の友達を狙っていた彼のために友達を誘ったのだ。

形式はどうであれ、好きな男の子とのお酒の席である。私だって、可愛いと思われたい。家のクローゼットを精査し、当時持っていた服装の中で一番甘めなテイストで決めようとしたそのときだった。母はこう言った。
「あんた今日盛り上げ役なのにその格好で行くと?」
私はいつもの、ボーイッシュな服を身にまとい、待ち合わせ場所に向かい、「盛り上げ役」に徹したのだった。

帰り、私の友達と別れ三人になった途端だった。彼は言った。
「やっぱあの子可愛いよな。可愛い女の子っていいよな」
今までの人生で痛感していたことだ。だがどうしてだろう。すごく、すごく胸に刺さった。私が小学校の頃から彼を好きだったからなのか、実際男の子がそう話しているのを聞くのが初めてだったからなのか。わからない。

可愛い子は可愛いだけで、私より頭が悪くても、私よりふくよかでも、私より胸が小さくても、愛される。私は可愛くないから、どんなことをしても、根本的に、可愛くない。何て悲しい世の中なのだろう。そう憂いていたそのとき、ふと考えた。私は可愛くなるために、努力をしただろうか。ただ母の言葉を鵜呑みに、勝手に落ち込んでいるだけではなかろうか。

それに気づいてからというもの、それまで美人が読むものだと思っていた美容雑誌を貪るように読んだ。コスメに関するサイトも漁った。自分の骨格やパーソナルカラーを理解しようと試みた。服装の路線変更も考えた。胸のサイズをきちんと測り、可愛い下着を揃えた。美容室に行く際は必ずトリートメントもオーダーした。無駄食いを辞めた。入浴後は必ず美白化粧水と美白乳液を全身に塗った。顔用のはまた別に少し高価なものを用いた。

こうして自己プロデュースを進めていくうち、気づいたことがある。確かに高校生までは、すっぴんに同じ制服。髪型にも規定がある。平等のような不平等な環境だから仕方ないかもしれない。でも高校を卒業した今は違う。自分に合ったメイクや髪型、服装をすれば、高校時代まで可愛いともてはやされていた子よりも可愛くなれるかもしれない。いや、なる。そう信じて、私は今日も美容に励む。

とはいえ時折「お前は可愛くない」と囁く悪魔が私の元にやってくる。もはや「可愛い」は呪い。早く呪いに打ち勝てるようになりたいし、可愛いの優劣がない世の中になればと願い、潤った身体と可愛いパジャマを身に纏い眠りに就く。



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