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変わってしまったことに気づくとき〜残された感情は感謝だった〜

こんばんは。Vinoです。
はじめましての方へ。

少し前に、noteを書こうとしたらシステム障害と出てきていました。
焦りましたが、間に合って良かったです。

毎日note書くよりAmazonプライム見たいと思ってしまったからでしょうか?笑

復旧して良かったです!

今日、ふと、変わりたいと思っているうちは、まだまだ変わっていないのかなと、思いました。

本当に変わってしまった時、その変わる前の自分と今の自分の間に透明の壁があるように感じます。

壁の向こう側には過去の自分がいるのに、その自分に声を掛けようとしても、もう二度と、そこには声が届きません。

もう二度と、あの時の自分の感情を味わうことができないとき、感じること、思い出すことが出来ないとき、その時、あぁ本当に変わってしまったのだなと気づきます。

どこか切ないような、寂しいような感じがあって、でも、どこかその状況を俯瞰している自分がいます。

それが、どんなに望んでいたことであったとしても、

これで良かったのかな?
正解だったのかな?

という疑問はゼロになりません。

だけど、壁の向こう側にいた時の自分は、すごく窮屈で、壁の反対側に行きたいと強く願っていました。

でも、いざ、変わってしまうと、戻りたいわけではないけど、元に戻れないことへの戸惑いがあります。

本来、人間は進化成長を欲する生き物ですが、皆が皆、同じスピードで同じようなタイミングで変化するわけではなくて、人それぞれバラバラです。

ご縁がある人は、一緒に進むかもしれないし、ご縁が終わる人は、いづれ自分の世界から消えてしまいます。

だから、誰かと一緒に過ごす時間は、かけがえのない、換えのきかないものなのかもしれませんね。

なんで、こんなことを思ったかというと、数年前に仲違いした人がいるのですが、その人との関係が、今日、終わった感じがしました。

物理的に、まだその人は消えてはいませんが、あぁ、今日、終わったんだな、と感じました。

なんで、そう感じたかというと、その人に対して、仲違いする前までは、親しくしてくれてありがとうと、感謝の気持ちが湧いたからです。

あれだけ腹が立って、目の前から消えてほしいと思ったのに、最後に残ったのは、感謝の気持ちでした。

色々ありがとう、当時は、助けてくれてありがとう、あの時の自分には必要だったのだと思うし、楽しかったのも嘘じゃない。

でも、もう戻れないんだ。もう感情が感じられないんだ。楽しくないんだ。

死ぬ瞬間は安らかだという話を聞いたことがありますが、そういうのに、もしかしたら似ているかもしれません。

本当に人間関係が終わるとき、心は安らかになるのだなって。

感情のしがらみから解放され、軽やかさがあります。

過去の自分は死んだ。

もう、あの時の自分には戻れない。

人の目を気にして世間の評価に怯え、安心安全ばかり求めていた自分には、もう戻れない。

トカゲ脳の自分は消滅した。



最後まで読んでいただき、ありがとうございます!


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