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さあ、余計なことをしよう。

いつも足りないものばかりを追いかけていると、
立ち止まった時いつも「何か足りない。」と不足を感じている。

そんな日々は結構ツラいと思う。

「合理的」や、
「効率的」という言葉がどれだけ私たちを苦しめることになるのかを一旦考えることが必要かもしれない。

ではどうするか?

余計なことをしよう。

「非合理的」で
「非効率」なことをあえてやってみる。

いやむしろ、そんなことを考えないで、無心にただただ
「楽しい」ことをひたすらやってみる。

「非合理だなぁw」とか、
「効率悪いなぁw」とか少しふざけるくらいでやってみるのもいいかも知れない。

参考書や教材をあえて見ずに問題集を解いてみるような、
本当に自由な方法で、気の赴くままに。
余計なことをしよう。

すると、意外なことに人は動ける。

余剰があるからきっと
「無くなることがない」と言う心の安心感のようなものが働くのかも知れない。

これが、いわゆる”趣味”にあたるのかも知れない。
趣味を手段にして、合理的にや効率的にやってしまっては、興醒めだ。

全く脂肪がないと生物は餓死する。(イビルジョーみたいに。)
だから余計なことして、心の脂肪をあえて作ってみる。

そうすると、いつも不足ばかりで焦燥感に駆られていた時とは、
きっと違った自分が見つかるはずである。

そもそも何が必要で、何が不要かなんて、誰が決めた?
ちょっとふざけてやったことが、誰かにとっては
「こんなやり方もあるんだ!面白い!」
と映るかも知れない。

水道の蛇口をひねれば飲料水が出てくる。
雨風が凌げる家なんていくらでもある。
服なんてどんどん安くなって今は捨てられるほどある。
300円あれば空腹なんて余裕で満たせる。

そんな恵まれた国にいて
ヒマにならないわけないのだから、
お金を稼ぐよりも大切なことはきっと見つかるはず。

さあ、余計なことしよう。

私はJAZZについての歴史を見たりとか、
作曲を理論もよくわかってないのにやってみたり、
IT社長なのに、綺麗な字を書けるように習字を習ったり、
お肉の代わりに大豆ミートを使ったレシピを考えてみたり、
本屋さんにふらっと立ち寄って、買いもしない本のタイトルだけ見て中身を想像したり(中身は読まない)

そんなことをしてたりする。