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【気まぐれDiary】「心地よい場所」は変わっていく

●2024年が明けていた

気がつけば、あけましておめでとうも、節分も、とっくに過ぎてしまっておりました。。。
2024年もどうぞ宜しくお願いします(^^;;

元旦早々、脳天を直撃するような出来事がありましたね。
能登半島沖の地震は、1995年1月に起きた阪神淡路大震災、2011年3月の東日本大震災を彷彿させるような甚大な地震でした。

今回の被災と事故に見舞われた皆さまのことを思うと心が痛みますが、一日も早い復興と、皆様の心に平穏な日が訪れますよう、お祈り申し上げます。

●ただの「書類整理」でも・・

さて。
この年末年始は、久しぶりに家でゆっくり過ごす時間が持てたので、2024年から始めようとしていたことに取り掛かっておりました。

いや、正確に言うと、取り掛かっては止まり、止まっては取り掛かり・・非常にややこしい動きを新年早々やっていた私・・(何やってんだか)

新しいことに取り掛かろうとすると、やってなかった他のことを思い出して手が止まってしまうんですよ。特に身辺整理を先にしないと前に進めないことってありません?

身辺整理なんて格好いい4文字熟語(いや違うやろ)で言いましたが、なんてことない、中途半端にやり残した書類整理や、年間スケジュールの再チェックなど・・先にやっておかないと気持ちが悪いというか(笑)

そういったことをやり始めると、決まって「ちょっと前の自分や、だいぶ前の心境」も、芋づる式に思い出されるわけなんですよ。
そこに深い思い入れや出来事なんかない、ただの「書類整理」でも

取るに足らない「しょうもないこと」まで鮮明に思い出し、「そんなことすらできていない自分」を目の当たりにするわけです。 
いち早く新しいことに取り組みたいはずなのに、まるで「先延ばし」みたいなことをしてしまう。(みたいやなくて、その通りやん)そんな自分の行動に落ち込み、やる気に急ブレーキがかかってまた止まる。

そして気がつけば、もう休みが終わり!
落ち込んでる暇があるんやったら、早よせんかいっ!
と心の中で叫びつつ、時間と心のコントロールがいまだに出来ない自分に恐怖すら覚える今日この頃・・

皆さんは、どうですか?

●「心地よい場所」は変わっていく

人やモノで賑わう「市場」が好きだったな

さて、ここで今回のテーマ。
あなたの「心地よい場所」ってどこかしら?

家やお店、自然などの「空間や場所」?
それとも、サークルやクラブなんかの「人」が集まる賑やかなところ?

例えば、かなり気に入ったカフェがあったとする。
空間、広さ、テーブルや椅子の使い心地。
窓から見える庭も、テラス席専用のブランケットも、店員さんのサービスや声掛けのタイミングの良さ、ドリンクやフードメニューも、自分にとっては絶妙なラインナップ。

そんなお気に入りのカフェに、大好きな彼と待ち合わせしたとしよう。

待ち合わせに選んだ空間も、これから会う彼との会話を想像しただけでも、気分がすごく良かった。ところが、その日はどうしたことか、会話が全く続かない。

自分から普段しゃべらないような話題を探して話しかけてみるも、当の彼は全然浮かない顔。気を遣うのも疲れてきたので、今日はいったいどうしたの?と尋ねてみたら、何と彼から別れ話を打ち出された・・それも、超お気に入りのこの場所で・・

自分にとって、極上に心地いいと感じている場所で、普段ならリラックスできるはずなのに、別れ話を持ち出され、泣くことも出来ないほどショックに打ちひしがれた場所に変わってしまった。

また、違うパターンもある。
そこは実際にある場所ではなく、定期的に顔を出しているオンライン・セミナーだったとしよう。

同じことを学ぶという共通点があるだけで、そこに集まっている人たちの背景は分からない。そう、限りなく「仮想空間」に近いわけ。だから、最初は探り探りでコミュニケーションする。仮想空間に相応しい、仮面をお互い付けながら。

何度か仮面舞踏会は繰り返されたが、ある時何かのきっかけで、誰かが悩みを打ち明けた。悩みは、そこに参加している人が共通で抱えていた内容だった。

誰もが頷き、誰もが我が事のように思える悩みに、自分と重なるその人も、そこに参加している人たち全てが、同志のような温かい感覚になる。

そこで展開される交流が、変な足の引っ張り合いなんかなくて、互いを尊重し、励まし合うことができる、そんな理想の人たちが集まる場所だったら?

その「仮想空間」は、自分にとってリアルにも勝る極上の空間になっていくんだよね。

●場所は感情も記憶する?

「アカシックレコード」って聞いたことありますか?

場所やモノが、そこで起きたすべての事象、想念、感情、記憶しているという記憶の概念のことをそう呼ぶらしい。アカシックレコードが働いている場所に踏み入れた途端(それに触れた途端?)に当時の記憶が蘇ってくるなんて、まるで自動再生機のよう。

普段から私が繰り返してしまっている、やりたいことを「先延ばし」にするのは、ここ(家や会社)がアカシックレコードなんじゃないか?と、ふと頭をよぎった。(どこに責任転嫁してるんや笑)いや、本当にそう思うくらい、私はモノや場所と感情の記憶のやり取りをしていると感じる。

自分が一番集中モードになっている時って、いったいどんな感情になってるのか考えてみた。

目の前にある世界に、自分が入り込んでいる時。
まるで「不思議の国のアリス」のように、現実ではあり得ない世界の中で、リアルにその世界の出来事を楽しんでいる時が一番集中しているんですね。

例えば、本や映画を観ている時、音楽の歌詞に想像を膨らませている時、絵画の中の世界を眺めている時…
私は宇宙空間に行ってるんだなと思う。

誰もがそうだと思うけど、結局、「好きなこと」しか集中できないんだよね(笑)

●「歌」は、″足りなかった感情″を思い出させてくれるトリガーだ

毎月一回のインスタライブ♬

去年末のインスタライブで、「年忘れ!ことばの紅白歌合戦」って企画をしたのね。フォロワーさんたちに、感動した歌・歌詞を教えて〜って企画。
みんなたくさんDMくれてありがとう!

インスタだから、音源入れられないのに、めっちゃ盛り上がったよ。紹介してくれた曲の歌詞や歌と共に、じ〜んと来るようなエピソードも話してくれたりして、本当にやって良かったなぁと思った。

いろんなエピソードを聞いているうちに、私もいろんな出来事を思い出してきた。良かったことも、嫌だったことも。よく、おばあちゃんやおじいちゃんたちが、懐メロ聴いて懐かしがっている気持ちがわかってきたのかもしれない(笑)

どんな人でも、結果がどうであったとしても、一生懸命「何かに打ち込んでいた時期」ってあったと思う。学生でなくても、成人になってからでも。

「足りなかった感情」を思い出すトリガーは、懐かしい場所であったり、人であったり、懐かしい「歌」であったりするのかもしれない。

「自分がどういう感情に包まれていたか」をもう一度味わうことで、「自分が今フォーカスすべきこと」を「歌」は思い出させてくれてるような気がした。

Kimi


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