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僕は〇〇を学び、「自己啓発書」をやめ、セミナージプシーから卒業しました。(仮)

※これはタイトルの(仮)がとれるまで、修正し続けています^^

僕は、なにかと言えば、毎日「コーチングの勉強」をしている。

自分でもなぜこんなに「勉強」ばかりしてるのか、不思議なほどに取り憑かれている。

もはや、そう。

取り憑かれている。

はっきり言って「理論サイボーグ」になりたい笑

そんな感じです。


でも、なんでそんな「コーチング勉強してんの?」と言われると、まぁ正直わからない。

わからないけど、本来人生って『なにか理由があるから、これをやっている』とか、いちいち『ひとに説明がつかないと、だからなんになるの?』とか、そんなことで悩まされるのはナンセンスだと思う。

僕が掲げる。

頑張らず
無理せず
戦わず

呼吸をするように
成功する
ライフスタイル


って実にそういうことだ。

そのために、「自分が好き」であること、はあってしかるべきであり、まずはそこでしか生きることはできない、と覚悟を決めることだったりする。


んんん、なんのはなし!


いやいや、それでね。

僕は、いったいなぜこんなにも「コーチング」を「勉強」してるのか?

つまり『好き』なのか?

自分なりには、知りたいわけです。

自分のことを、いちばん理解していたいのだ。僕はw

だって、もうここでしか生きていけないのに、自分で「?」がついたまま生きるのは嫌やん?w


となった時に、この「コーチング」という言葉は、いつか解体しなければならないとも思う。

だって、「コーチング」の定義は、この世にはまだ「ない」のだ。

みんながそれぞれスタイルがあり、「私のコーチングとは!」と述べるわけで、それならまずこの定義があやふやということになるわけだ。

流派によって、それぞれの名の下いちお「ある」、というレベルで。

それなら、そんな「ない」ものに対して「あーだこーだ」と言うてもしゃーなかろう笑

ちなみに、僕の学んでいるところでは、厳密には『内部表現の書き換え』と定義している。(いまのところ)

もし仮に、『あり方』を追求する側の「コーチング」と比べると、『能力開発』に近しいもの、という言う方が適切かと思う。

ひとことで、「コーチング」と言っても、こんなにいろんな情報があると、ここの定義を深掘りするのはやめたい笑


で、『勉強』は毎日している。

なぜか、すごく本も読むようになったし、参考にしているコーチ、メンタリスト、ヒーラーなどなど、自分より先を行くひとのブログを読んでは、メモをし、動画を探っては、メモをする、ことの繰り返しなのです。

とにかく楽しい。楽しすぎて、しょうがない。

もう一言ひとこと、が美しく感じるし、わかっていなかった定義が「ハッ」とわかった瞬間だけでなく、わかっていたはずの定義がより深く浸透してきた時など、最高に気持ちがいい笑

これを『神経科学』で言えば、ドーパミン、セロトニン、さらに「興奮系」アドレナリンが分泌されている、と捉えられる。

ま、だから『楽しい』のでしょうし、もはやこれは『中毒症状』とカラクリは同じなのです笑(こういうことを説明がつくようになった「自分」にも酔ってしまい、さらにホルモン分泌が…www)

危ないくらいに、深みにはまっているようです…笑


僕はそう。

シンプルに「スタート」時点でも、コーチに対し、『セッションで救ってもらおう』と思った気がなかったことがわかった。

「コーチ」っていったいどんなひと?
「コーチング」って何?
これを学べば、自由なライフスタイルになれそう?

程度でしかなかった。

つまり僕の好奇心からきており、僕にとって「コーチング」とは。

僕の気をひいた学問(数学、国語、物理、「コーチング」という名前だったが、脳機能科学(かな?)という学問)

だった可能性が高い。


ここであるクライアントさんのフィードバックを引用したい。

『去年コーチングを始めてみて

この人(こちらのクライアントさんがこれまで参考にしてきた、まぁロールモデルみたいな人)の“言葉”はコーチング理論に基づくものやん

って気づき。』

というフィードバックがありました。


これね。

まさにそうなんです。

もうね正直、『コーチング理論』という言い方も、あれですが。

はっきり言えば、脳機能科学をベースにした『コーチング理論』ですね。

ややこしいですよね〜汗

でも、この辺をしっかり徹底的に学んだら、自己啓発ジプシーとか、セミナージプシーを卒業できます笑

全てがこの知識で説明がつくようになるのです。

●は?これってコーチング理論で言ってたやん?
●ん?え?マーケティングとか言うけど、これコーチング理論で説明つくやん!
●これまで偉そうに御託ぬかしてた、あの上司の話って、もうわたしもできるやん!

みたいな感じです。

これは本当です。とは言え、通常の『コーチング理論』ではなく、これは簡単に言えば『脳機能科学をベースにしたコーチング理論』であり、『コーチング理論』というか、ただの『脳機能科学』だったりします笑
(なので、通常の「コーチ」とは、やり方や、考え方は、大幅に違います。というのを、最近知りました笑)


で、思い出したんです。

昔の僕は『成功哲学』『自己啓発書』『ビジネス系ニュースサイト』を読んで、「あーこんな世界があるのか。俺も楽に成功したいな笑」と一瞬テンションがあがり、次の日にはまた「代わり映えのしない」というより、むしろ「ただただ頑張れば、苦しむ」毎日へと戻って行った。

またもうひとつのパターンは、「お金の学校」だったか、なんだったか、そんな学校で「株式投資」の勉強に励んだこともあるし、タイ語の学校にも相当支払い、でも途中で行かなくなったり、とか。まぁお金があったので、まじでクソみたいな使い方をして、ただ『学びに支払った!』という変な満足感だけで、謎の行動ばかり繰り返して、不毛な人生を送っていた。

いま考えると、あいつ馬鹿すぎて、まじで腹がたつし、ただの『カモ』じゃねぇか…

僕は「反省するけど、後悔しない!」なんて、豪快に言っているが、今は盛大に「後悔」している。まじで情けない。

あーもうひとつあった。こんなパターン笑

『成功哲学』『自己啓発書』『ビジネス系ニュースサイト』を読んで、モチベーションだけやみくもに上がったはいいけど、同時になんだか焦り、右往左往し、心臓が「ぎゅううううううう」っとなり、寝て誤魔化す。

というパターンもあった笑


実はこの状況って相当苦しかったです。

いや、書いてることはわかったけど、だからなに?

どうすりゃいいの?


とにかく、他人の情報に踊らされ、いちいち感情が揺さぶられ、かといって、「解決策」もない。


という地獄ですよね。うんうん。


またはこんなケースってないですか?

●すぐ他人に聞く。
●他人の意見を仰ぎたくなる。
●他人からの意見を聞いて、納得するまで動けない。(「動かない」のではなく、「動けない」がミソです)

こんなひと近くにいませんか?もちろん自分自身もそうかもしれないですが、クライアントさんでもいるし。

あ、僕もそうだった、んだ・・・w

いやーまじで苦しくないですか?

毎度毎度、人(友達であっても)に聞いて、「そんなこと聞くな。」と思われるのも嫌だし、情けないし、むかつくし笑

そして毎回『あー俺はやっぱりモノ知らんのやな〜。勉強しないとな〜』なんて、自己評価が爆下りでしょう?

少なくとも、僕はそうでしたよ。

だから、そういう自分を脱却する、という「ゴール」を掲げたのかもしれません。(今となっては”いい思い出”…いや”イイオモヒデ”・・・どっちでもいいけど笑)

こういうことも、なくなる(とは言いませんが)までは行かなくとも、自分の取るべきスタンスがわかるし、「人に聞くこと」「人に聞いても意味がないこと」の区別がつくので、相当に生き方がシンプルになります。

それだけでも、非常に『価値のある人生』になった、と思います。


いま思うにこれって。

●『自分軸』がないこと
●シンプルに、知識がないこと(学ぶべきものがわかってないと、しょうがないかも…)

に尽きると思いますね。


(続く・気が向いたら書き足していこう笑)



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