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長女のこと

今日書くお話は、書こうか書くまいか自分の中で悩んでいた内容なのですが、今朝これを書くようにとの導きがあったので書いてみることにします。


今から9年前の夏、長女の心が壊れました。いや、この表現は正しくないのかもしれないけれど、学校に行けなくなって自室に閉じこもるようになってしまいました。


その日私は町内を車で周り、廃品回収をしていました。家の前に出されている雑誌や新聞紙の束を車に積んで隣の家の前まで行き、また廃品を…の繰り返しで近所をぐるぐる回っていたのです。当時高校1年生だった長女が部活動へ行くために制服に着替えてそのまま、学校へ行かずにとぼとぼと歩きながら私の車を追いかけるのです。


最近、何となく学校へ行きづらいなと思う兆候はありました。元々、時間通りに準備して出かけるということが苦手な子だったけれどこの頃それが特にひどく、学校へ行くための電車に間に合わなくて私が車で送るということが続いていました。ちょうどテレビが地デジに変わるタイミングで私の車のテレビが見られなくなり、いつも車中ではサマーウォーズエウレカセブンが繰り返し流れていました。毎日高校まで往復1時間以上の道のりで、まだ小さかった三女はサマーウォーズのセリフを覚えてテレビ画面に合わせて一緒に喋っていました。


そんなことを繰り返し、とうとう長女は学校へ行くことができなくなったのです。理由は話してくれていました。部活動の中でいじめがあったのです。1年生の女子が10人に満たない人数いたのですが、その中の1人(仮にKちゃんとします)が無視されるようになり孤立していったのです。長女は最初、Kちゃんと仲良くしていました。でも1年女子の中に黒幕がいて(Aちゃんとします)Aちゃんの差し金によってみんながKちゃんを無視するように仕向けられていったのです。私は一度Aちゃんを車で送ったことがあるのですが、はっきりした感じの活発そうな子でした。そんな状態が続いたのですが、Kちゃんは休むことなく学校にも部活動にも行きました。他の人のことはあまり気にしていなかったようです。

それがある時期からAちゃんの発言が長女へ向けられるようになったのです。長女はKちゃんが孤立していくさまをずっと見ているので、今度は自分がターゲットになったのだとわかると怖くて学校に行くことができなくなったのです。そして、長女は引き篭もるようになりました。


担任の先生が自宅へ来てくださったことがあります。ダイニングテーブルでしばらく話し、その時は長女も落ち着いた様子だったと思います。後日、今度は若い女の先生が家へ来られました。その先生は何か前向きに一生懸命長女を励まし、元気付けることができたと勘違いしたのでしょうね。強引に学校へ来る約束を取り付けて満足したのか帰って行きました。もちろん長女は学校へは行きませんでしたし、逆にその日から引きこもりがひどくなったように思います。

ある時、他の生徒と絶対に顔を合わせないように配慮するから一度学校に来てくれと言われ、後日何とか長女を連れ出し学校へ行きました。1〜2時間だったと思いますが、私は三女と一緒に学校の敷地内の駐車場に止めた車の中で待っていました。その時用務員らしき若い男性が外の花壇で作業をしていたのですが、時折こちらを睨むように見ています。あまり気分の良いことではありませんでしたが、こちらも事情がありますし娘を待つしかありません。しばらく経つと年配の男性教員が校舎から出てきて私の車まで来ました。私は長女のこと、今日のこの時間に学校へ来てくれと言われたことなどを話すと男性教員は丁寧な対応をしてくれたけれど、その間ずっと男性教員の後ろから用務員の男性に睨まれていました。私は不審者扱いされていたのですね…。


高校にカウンセリングで来られている先生のことを教えてもらったのはその頃です。予定の日に、長女は無理だったけれども私は三女を連れて相談に行きました。普段は心療内科に勤務しておられる女医さんで、長女は先生のところに通うことになりました。


その頃の家での長女の様子ですが、家族が家にいる時間に部屋から出てくることはありません。当時住んでいた家は部屋数が多くてちょっと変わった作りになっていて、主人と三女と私は1階の部屋を使っていました。長女と次女は2階の部屋を使っていたのですが2階だけでも部屋が5部屋あり、長女の部屋は12畳で洗面所とトイレ付きだったので入浴以外は部屋を出る必要がなかったのです。食事は私が運んでいましたから。細長い12畳の真ん中ほどにベッドを置いていましたが、ある日突然ベッドの上から長女の姿が消えていました。家中探すと2階の5部屋あるうちのひとつ、3畳の部屋に布団を持ち込んでそこに長女はいました。心療内科の先生のお話では精神的にだんだん辛くなっていくと、徐々に狭いところへ入っていくのだそうです。携帯だけを持ち込んでいつも布団の上にいる長女は口数も少なく、とても憔悴しているようでした。私は「この子は死んでしまうのではないか」と思っていました。


同時期に義母が末期癌で入院していました。私は三女を連れて毎日病院へ通っていたのですが、先の長くない義母にできれば長女の顔を見せたいと思っていました。長女は私の連れ子でしたが、義母はとても可愛がってくれていたのです。義母の意識があるうちに長女には元気になってもらいたいと思っていたけれども、それは自己中で馬鹿な考えだったと今では思います。


ある時長女の調子が良さそうな日に一緒にお見舞いに行こうと準備をしてもらっていたのですが、時間になってもなかなか部屋から出てくることはなく、様子を見に行くととても出かけられない精神状態になって落ち込んでいたので「今日はもういいから、楽な格好に着替えてゆっくり休んでいたらいいよ」と言ってお見舞いに行くのをやめました。あとで心療内科の先生にその時のことを話すと、私の対応はそれでよかったと褒められました。そんな風に私は長女のご飯を運んだり時々様子を見たりしながら、同時にまだ1〜2歳の三女を育てて義母の病院にも毎日行って…って感じでゆる〜く長女を見守っていました。

そんなこともあったかと思えば、調子が良くて久々に前髪を切ってルンルン気分になっている長女を一緒にお見舞いに連れていく日もあり、義母の病状のこともあって私自身とても複雑な気持ちになったなんてこともありました。


その頃にはとうに学校を辞めていて、通信制の高校に転校することが決まっていました。心療内科には定期的に通っていて、私が一緒に診察室に入る日もあれば車の中でずっと待っている日もありました。辛抱強く通い続け、そうするとなかなか登校することのできなかった通信制の学校にも少しずつ行けるようになってきました。最初はやはりわたしの送迎がないと行けませんでしたが、そのうち自力で通うようになって休むことも減っていきました。長女は中学の時バドミントン部だったのですが「今日体育でバドミントンして楽しかったよ〜」なんて話してくれるようにもなりました。


また日常をとりもどしつつある長女、学校は週末だけだったので今度は平日にアルバイトもするようになりました。地元では有名なチェーン店のラーメン屋さんで私たちが普段からよく食べに行っていたお店です。交通の便が悪い所だったので冬になると、またもや私が車で送迎をしました。何もかもが順調に廻り出したのです。

ところで長女は高校を辞めた後も中学の頃の友達とは連絡をとっていたようです。その友達が伝手を使ってAちゃんがいじめをしたせいで長女が学校を辞めるまでに追い込まれたことを高校の友達に話したそうです。そのことが広まり今度はAちゃんが学校に居られなくなって辞めたそうです。そしてよりによって長女の通う通信制高校に転校してきて涼しい顔で長女に「ねぇ、私のこと覚えてる?」なんて話しかけてきたそうです。


その頃は義母も亡くなっていて、我が家は主人の仕事の関係で飛行機の距離へ引っ越すことになりました。本当は長女の高校卒業を待ってからと考えていましたが、予定を早めての引越しです。新しい地で、長女は別の通信制高校に入りました。周りに知人が誰もいなかったのが良かったのかもしれません。地元よりもだいぶ都会のこの場所は、洋服好きな長女にとってすごく刺激的で楽しいらしく、どんどん元気になっていきました。アルバイトをしながら学校にも通い、高校では生徒会長を務めるまでに回復したのです。


結局高校を卒業するのに5年かかりましたが、自己管理が大変な通信制で卒業できたのはすごいことだと思います。本当によく頑張りました。高校を卒業した後は本人の希望で専門学校へ行きました。そこでは最初に入った高校で勉強したくてもできなかったことを学び、イケメンの彼氏もできました。そこも2年で卒業して、昨年の春からは資格を生かせる会社で正社員として働いています。就職と同時に職場の近くで一人暮らしをするようになり、うちとは同じ市内だけど家は少し離れているので時々おかずを届けたりして様子を見に行きます。初めての一人暮らしは大変なようで部屋は散らかっているけれど、できるだけ自炊をして仕事の方も頑張っているようです。


長女がこんなことになってしまったのは友達のことが直接の原因だったけど、それだけが悪かったのだとは思っていません。事実、長女に「私がこうなったのは、ママのせい。いつもすごく寂しかった」と言われてしまったことがあります。私の離婚、再婚にも嫌な顔ひとつせずニコニコとついてきてくれた長女。ずっとフルタイムで働いていた私を家で待っていてくれた長女。はっきり言うけど私は長女に対してすごく申し訳ないと思う気持ちがあります。でもここまでちゃんと育ってくれて良かった。元気に普通に生活できるようになって本当に良かった。まだまだ安心はできないからこれからも気をつけて見ていきたいと思っているけど、長女にはどうか幸せな人生を送ってほしい。そのための協力は惜しまないつもりです。


長女が、私が彼女を産んだ年齢を超えました。先週主人と2人で飲んでる時に、早く孫が見たいからそろそろ結婚してもいいんじゃないかなんて話していたけれど、早まる必要はないと思う。長女が自分で考えて、自分のペースで歩いていけばいいと思います。


未来はいつも面白い!