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若い時はいいけれど ヘディングボケについて

家からバスで10分くらい行ったところにたまに行くパブがある。「皮の鞍」という名前のパブで、競馬が毎日テレビでかかっていて、ギャンブル狂が集まるパブである。昔は汚いパブだったが、何年か前に改装して、ファミレスみたいなインテリアのパブになった。結構大きいパブで、奥行きがあり、奥の方は普通にサッカーやラグビー、アイリッシュの国技であるゲーリックフットボール、ハーリングの競技をテレビでやっている。

スポーツの放映がないときは、デジタルジュークボックスがよくかかっている。デジタルジュークボックスのいいところは収蔵曲がウン万曲とあって、大体の年齢及び趣味趣向の人にあった曲が選べることである。このパブも、プレスリーのような古いアメリカのポピュラーソングから、アイルランドの歌、ノーザンソウルにモッズ、ディスコ、ハウス、ダンス系となんでもかかっていた。

たまに、ディスコやらノーザンソウル時代のナイトクラブに通い詰めていた年寄りなどが来て、テーブルを店の端に寄せ、即席のダンスフロアを作ることがある。そうなると暇しているバーメイドのポリーが客に加わり、ダンスにみんなと興じている姿を見ることができた。

ポリーはサイド刈り上げでトップの髪の毛にアフロパーマをあててポニーテールにしている。化粧っ気が全然なく、小柄ですばしこいお姉さんだった。ダンスはうまいし、いつまでも踊っているが、なんか、ステップが独特だった。

というか、このお姉さんはイナセというのだろうか、いつもスポーツ系のおしゃれをして、生きがよく元気で、明るく、てきぱきしていて、競馬で負けが込んでいて荒っぽくなっている爺さんたちをうまくさばいて、パブでは名物のバーメイドだった。同じバーメイドのエマという子が、昨年コロナ禍で10年ぶりに妊娠し、女の子が生まれた。エマがポリーの人柄を見込んで、名づけ親を頼んだらしいが、恥ずかしがったポリーが「じゃああたしと同じ名前にしたら」と言ったらほんとに同じ名前を付けたという。

よく話をし、客の顔は覚え、その客は何を頼むかもわかっていて、仕事はできる感じの子だった。学生に見えたが、学生でもなく、かといって家庭を持って腰掛でパブに来ている感じでもない。ふらふらしてる子なのかなと思っていたが、ふらふらしてる子特有ののんきな感じはなく、きびきびしてテキパキしている人だった。パブにはフルタイムで入ってる風でもなく、何者なのか、よくわからない不思議な人だった。

前に、私が彼氏と近所のピザ屋に持ち帰りピザを取りに行った際、ピザ待ちの人の中に、ポリーがいた。ピザがなかなか出て来なくて、待ち時間にポリーに彼氏が「お前さんの本業っていったいなんなんだよ」と聞いたら「サッカー選手」と言った。ポリーは、地元のサッカーチームの名前を挙げ、「ここの女子チームの一軍に一応登録されてる。けど、ちょっと前まではxx(2部リーグのチーム)のレギュラーだった。今はチームを変わったけど、そのあとすぐ怪我をして加療中なので、試合には出てないけど、一応あたし、サッカー選手なんだよ」と言われ、そのあとそのチームのホームページで女子選手の一覧を見たら、ちゃんと一軍チームのメンバーになっていた。

ああ、なるほど、納得するところが何個かあった。ダンスに興じている姿やちょっとした身のこなしなど、サッカーやってる人という感じだった。前に語学学校で一緒だったドイツ人の女性クラスメートがやっぱりサッカー選手で、指導者になるためにイギリスのカレッジに行きたいがその前哨戦で語学学校に来ていた。その人がディスコで踊ってるところを見たときに感じた「なんかこの人スポーツやりこんでいたな」という感覚に似ていたからだった。(ものすごい運動神経のいい人で、語学学校のサッカーチームや地元の草サッカーのチームにビジターでプレーしていたが、その辺の男子よりめちゃくちゃサッカーうまかった+そのあとパブに飲みに行って、パブに置いてあるビリヤードを始めたらそれもものすごいうまかった。そのあとやったダーツもうまかった。めちゃくちゃカッコよかったのに普段はおとなしくてそれをひけらかさない感じで、それもカッコよかった。)

正直、ポリーのチームは地元でもファンが多く、一言でも誰かに言えば「ねえ、男子選手とすぐ接触できるの?サインもらってきてほしいんだけど」とか言い出す人達がたくさんいるチームだから、ポリーもそこに所属している選手であるということは、黙っている感じだった。

でも、時々サッカーの話題になると、たまに口を挟んできた。

昨年のコロナ禍の折、リーズユナイテッドは、クラブレジェンドを二人亡くした。一人はノーマン”足を食いちぎるぞ”ハンターという選手、もう一人が、ジャック・チャールトンという選手だった。リーズの試合を見て居ると、無観客のスタジアムにノーマン・ハンターやジャック・チャールトンの写真を引き伸ばした応援幕などが張られていることが多かった。

二人とも1966年、イギリスがワールドカップ優勝したときのメンバーで、リーズユナイテッドで10年以上、守備の要を張った名ディフェンダーである。ノーマンは映画「くたばれユナイテッド」にも出てくるし、リーズユナイテッドのOBとしてかなりいろいろ出ていたので、引退後もそこそこ知られている人だったと思う。古いイギリスのサッカーを知らない私でもまあ、名前を聞けば「リーズの昔の選手」くらいはわかった。ノーマンはコロナウィルスに感染し、そのあと肺炎でなくなった。

ジャック・チャールトンは、もちろん66年の優勝メンバーであり、そして、マンチェスターユナイテッドのレジェンドであるボビー・チャールトン(ユナイテッドで人気実力あった殿堂入りの選手で、サーの称号を得ている。福島県のサッカー施設「Jビレッジ」の名付け親でもある。)の兄貴である。ボビーは小柄でずんぐりだが、このジャックはやせ型ですらっとしていて、長身のディフェンダーだった。(191センチあったと聞いている。)とにかくアイリッシュに強烈に人気のあった人で、これはなぜかというと、ヨーロッパの中でも弱小チームだったサッカーアイルランド代表の監督就任し、チームを88年ヨーロッパ選手権の予選を勝ち抜いて本戦出場させ、そのあと90年のイタリアワールドカップにも出場させ、94年のアメリカにもチームを出場させた。90年はベスト8、94年はバッジョがいたイタリアを破って予選突破してベスト16までと、実績を残し、アイルランド中を熱狂させた名監督であった。

わたしの知ってるパブに通ってくるアイリッシュで「人生で海外旅行は3回だけ、イタリアとアメリカでアイルランド代表を追いかけて行った。そのあと2002年の日本・韓国共同開催のワールドカップを日本の鹿島まで見に行った」という人を何名か知ってる。

とにかくジャックチャールトンはアイルランドサッカー中興の祖というか、アイルランド代表がもう乗り越えられない金字塔を打ち立てた人というか、ある種聖なる存在であって、アイリッシュが大嫌いなイギリス人でもなんというかみんなが大好きな別格のイギリス人だった。

本人のチャームにもよるかもしれない。抜群にスタイルよくおしゃれで(イギリスのカントリーマンスタイルですか、残った写真を見ると本当におしゃれな人である。)、明るくて、ユーモアがあり、人にこびない、はっきりしたものいいで(あとで弟とこれで大もめにもめて、和解せずに死んでいった。)、スポーツマンらしく、人気があったというのもうなづける感じの人である。弟がどちらかというと、じっくり考えてものを言うタイプで慎重そうに見えるだけに、兄貴が明るくて軽快な人に見えた。

わたしがなぜここまで知ってるかというと、なくなった後すぐにBBCで放映された彼の晩年のドキュメンタリー「ジャック・チャールトンを探して」というのを見たからである。これは彼の晩年、認知症に犯された姿及び家族との日常生活の中に彼のサッカー人としての実績を織り交ぜたドキュメンタリーで、見ていていろいろ考えさせるものだった。

(私が自伝を読んで感銘を受けたアイルランド代表でマンチェスターユナイテッド、アストンビィラのプレイヤーだったポール・マグラーもインタビューで出て来ます。)


もちろんこれの番組はリアルタイムで見たわけではなく、これを見て感銘を受けたアイリッシュ数名にすすめられ、後追いでみたのだが、これを見た人達がみんながみんな言うのが、

「確かに認知症なのだろうが、俺たちのおふくろや兄貴とかの認知症とパターンが違う。この認知症はアルツハイマーとは違くないか」ということだった。

確かになんといういか、こちらが予想している認知症とはちょっと違うというか、割にテキパキしてるし、昔の記憶は全然覚えていない、こともない。あとはお天気や日によって風向きが変わる。ショートメモリーがやられてるということはなく、奥さんがパソコンで昔の映像を見せてしばらくほうっておいて、その間に家事などしてると、カメラマンに「かみさんがこれずっと見てろっていうんだけどね、なんだかよくわからないんだよ」などと話しかけている。そういうのは忘れていない。

そんな話をしていたらポリーが、口を挟んできた。「あたしもあれ、チームの人に見なって言われてみたんだけどさ、ヘディングボケよ。アルツじゃないわよ。ヘディングやりすぎてああなったのよ。だって、あの時代でディフェンダーで191センチ超えてたんだよ。たぶん空飛んでるボール全部頭で受けてたら首と頭やられるよ。」と言ってきた。彼女の話によれば、昔のボールは全部皮で硬かった。そういうボールがものすごいスピードで飛んできて頭で受け止めたら血管をやられるに違いない。今はよくても将来何かの折に不都合が出てきて、記憶力やコミュニケーションにも支障が出てくるに違いない。

「彼、弟だってぼけてるんでしょ。(弟ボビーチャールトンも認知症になったことを家族が公表している。)血筋かもしれないけれども、あの頃サッカーやってた人は何かしら影響受けてるわよ。私だってまあわからないけど。」とのことだった。

これ、結構最近言われ始めているが、サッカーやっていて後遺症が今になって深刻化して、往年の名プレイヤーが何名も認知症を告白している。最近亡くなったドイツの爆撃機というあだ名のあった名サッカー選手ゲルトミュラーもかなりひどい認知症で晩年悩んでいたという噂を聞いたことがあるし、イギリス、スコットランド、北アイルランドあたりで、現在50代くらいの男性の名前でやったらめったら「デニス」という名前が多いが、その元になった人気のあったスコットランド代表のユナイテッドの伝説的プレイヤーデニス・ローも最近、アルツハイマー型認知症と血管型認知症のミックスで認知症を患っていることを公表していた。

もちろん、サッカーだけではなく、ラグビーやボクシングをやっていたという人も晩年この手の後遺症に悩まされている人が多いような気がする。

皮の鞍ではなく、パットのパブにたまに来る元ボクサーのおじいさんがいた。小柄で品のいいおじいさんで、ボクシングやっていたなんて信じられないくらい物腰のやわらかいおじいさんだった。ブランデーをソーダで割ったのをよく飲んでいた。若いころは、アイルランドとイギリスでは名の知られたボクサーだったという。奥様が彼よりちょっと年上の、ものすごいキレイな人だった。きれいだけではなく頭も切れて、性格もかなりきつめだった。この奥様はパット曰く、たくさんいたグルーピーの若い女の子を蹴散らして奥様の座を射止めた人だから、かなりの策士で頭のいい人で通っているといっていた。なんでパットは若いころから彼らを知っているのかと聞いたら、パットは昔アマチュアボクシングでそこそこいいところまで行った人で、パットのお師匠さんとこのおじいさんが懇意にしていたらしい。

このおじいさん、2年前くらいにいきなりぼけ始めた。歩けないというか、どうやって歩いたらいいのかわからなくなったらしい。歩けないそしてお話ができない。しょうがないので、慌てて家族が病院へ連れて行ったら、やはり脳がかなり萎縮していて、血管がたくさん切れていたという。若いころボクシングやっていて、と家族がお医者さんに説明したら「そうでしょうね」と言われたという。

奥さんが毅然として事実を受け入れ、献身的に介護しているという。「あのかみさんだったらなんでもやるだろうよ。たださ、若い時はキラキラしていてカッコよかったけど、年取ってからってスポーツ選手はつらいよ。そのリスクしょって結婚とかしないとだめだよな。だから、俺は失敗したけど。」

と、パットも自分で言っていたが、メモリーには自信がないという。(記憶力のことか。)よその人よりは物忘れが多いとも言っていた。確かにパットは時々「ええっ」とこちらがのけぞるような物忘れをしたり、大ボケをかますことがあった。なんというか傾向が読めない大ボケなので、私からするとちょっと不思議な人だった。

割にイギリス来てこの手の元スポーツ選手に接することがたまにある。正直、かなり皆さん独特で、接し方がいまいちわからないタイプが多い。急に変なところで怒り出したり、人付き合いに難点がある人が多いような気がする。それか、もう自分でそれをわかっているから、あまり人とは深く付き合わないようにしている人、大切なことはすべて子供や奥さんに任せるようにしていて、自分で判断することはできるだけ先回りして少なくしている人など、いろいろである。

最初は「スポーツ選手だから、みんなにちやほやされて、わがままが通るからおかしいんだろう」くらいに思っていたが、最近はそうでもないことがわかった。一般人に比べれば確かにちやほやされただろうが、金銭的には恵まれたことがなく現役を終える人が多く、そのあと社会に出て普通に働いている人達と肩を並べて働いている人がほとんどである。そのあと年取って、体や頭に障害や後遺症が出てくる。だから、おかしいのであって、元の性格がおかしいわけではない、というのが最近の考えである。

ただ、ロンドンの人というか、イギリスの人はこの手の人に対しては寛容だと思う。あと、将来こうなるとか、金銭的に苦労するかもしれないが、そういうリスクを取ってでもプロスポーツの世界に身を置いたり、アマチュアでも競技スポーツに人生かけている人に対しては、かなり尊敬というか温かい目で見て居る人が多い。リスペクトしている、とよく言うが、本当にそうである。「俺たちが女のケツを追いかけまわして、遊びくるっている青春期にそういうのをすべて捨てて競技に身をささげた人達なのだから立派なんだよ。そういう人は尊敬しなくちゃいけないんだ。」よく聞かされるセリフである。

だから、パブの人もポリーには優しいし、ポリーが多少シフトを飛ばしてもくびにはせず、籍を置いてあげている。そして、ポリーがまた、怪我を直して一軍チームで羽ばたく日を心待ちにしているのである。






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