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『愛ゎ時空を恋ぇ』 第六話 by |悟行《サトピー》って読んでネ


#創作大賞2023  

 (第二章 続き)

   8  友は釧路の丘の上 … … 続き

 佳子ちゃんからは、時々手紙が来た。
“受験勉強に集中するようにしてます、お兄ちゃま”
とか。

 あっという間に時が過ぎて。
 1年祭に行くと、彼女の部屋には、僕が贈った白薔薇と霞草が、キレイにドライフラワーになって飾ってあった。高い声でキャピキャピ話す佳子ちゃんを見て、あぁ1年経つんだな、と僕は思った。
 その時にも、間際一緒にいた生き証人として、僕はリュウから聞いた、佳子ちゃんに纏わる話題を、佳子ちゃんに逐一伝えるように努めた。というのも、前年の、14:20という妹と兄の歳というのは、僕が考えるには、正に兄妹愛がほのぼの始まる頃であり、それから数年の間に、それぞれ本物の愛、つまりはよその人とのお付き合いに目覚めていく過程にあったはずだから。ーー
 
 まずは、定番❓バレンタインについて。
 14の時、僕のスリムでダンサブルな妹もそうだったように、佳子ちゃんも兄リュウにチョコを郵送した。あの時、
  ‘妹が送ってきたよぉ。’
と、リュウは、ニコニコして僕に話した、そのことを、佳子ちゃんに伝えると、彼女は、カアアッと紅潮して喜んだ。

 「お兄ィ、あたしには一言も言わなかったよ。」
 「気恥ずかしかっただけだよ、ウチもそうだったんだから。」

と言うと、

「へぇ、そうなんだあ。。」

って考える風な佳子ちゃんは、霞草のように爽やかだった。なので、僕がすかさず、

「モテる男はツライんだよ❗️」

というと、彼女ドヒャッとばかり、

「キャハハハ‼️」

笑い出した。ので、僕も大いに笑いコケた🤣

 で、リュウとの会話も逐一、思い出せる限り伝えた。リュウに、ウチの妹のときのことを言ったら、

「14てみんなそうなんだ⁉️」

て安心したみたいだった話とかとか。また、佳子ちゃんからの贈り物のことを、野球部なんかでは言ってないようで、そーゆーデリケートな話を、リュウは僕だけにしか言わなかったようだ、とも。
 だからこそ僕は、数年前の僕の妹のようにスリムでスポーティな佳子ちゃん、なんとも違和感のない妹ちゃんに、いろいろなことを知る限り伝えることにした。それにしても、スポーティなリュウ似だった。

 教会での蝋燭🕯やペン🖋の話もしたかもしれない。
 さて、30年経って解ったことがある。あのときの’現象’についての、物理的説明だ。

 ① ロウソクが消えたのには2つ考えられた。1つは、ひょっとして息遣いが既におかしくて、隣席の僕にはわからない程度の鼻息とかの勢いで燈明の光が消えた、という仮説。もう1つが、脂汗を、その頃よくかいていた、ということを聞いたことがあるので、順番を待つ間膝元に置いて持っていた蝋燭の上に🕯顔からポタリポタリ汗が落ちていた可能性が思い浮かんだ。きっと両方だったかも。それで蝋燭は、なかなか点かなかった、と。

② ジャズライブハウスでのペンの件だけど、インクが出てこなかったのは、既に指に力が入ってなく尚且つその力の入れ具合の不自然さを神経が感知できてなかった❓その証拠に、僕が持ち換えて書くと、ペンはちゃんと書けたんだし。

 でもでもデス❗️
 受け取れなくなる手紙になるわけだから、住所は要らない❗️という不吉なメッセージ自体やローソクが4回目に点いた。つまりは“4”で点灯した且つその時神父さんが死別ほど悲しい別れはないというご講和の最中、という如何にも起きた事実は、物理的説明が成り立った上でも尚なお不吉というには変わりなし❗️これこそが、注目すべき点だった。
 だから、説明を知ってどうする⁉️ってことにもなるネ。それから起こった結果がどうにもならないことだからこそ、ホント何なんだか⁉️

 それにしても、あの日、リュウが横浜に着いた午後は、飛びきり気持ち良かった。今はない、“ザ・ホテルヨコハマ”のロビーで待ち合わせした。
 丁度ロビーサロンでは、白鳥を想わせるロングドレスの人がハープを奏で、しかも超至近距離。且つ、スカイブルーのタイト制服のお姉さんが、脇でワゴンサービスのサイフォンを灯して香高い❣️コーヒーを点ててくれている。ウチラ2人は、その人に魅入るように見つめてしまうのだけど、彼女は心得たもので、ウェルカム笑顔を絶やさない。他にお客さんもまばらで、ほぼウチラ2人で、このお姉さんたちを独占状態でのティータイムになっていた。ーーほんとうに天国❣️にいるような竪琴の調べだった。

 ところで、佳子ちゃん、高校に入学してからは、

“部活に集中するようにしています、お兄ちゃま。”

とか、

“🏸バトミントンに熱中中🥰”

とか手紙が届くようになった。受験に集中からバトミントンを経て、無理クリ“熱中”に賭けていたのが、いつの間にか無理でなく❓集中もできるようになったのか定かではないが、高2の後半頃から、佳子ちゃんからの手紙は、ほとんど来なくなっていた。

 数年後、彼女の父親、つまりリュウのお父さんから便りが届いた。山程の‘イクラ’と共に❗️

 『佳子は、無事大学を卒業し、今は釧路の小学校教員に赴任し、元気に働いております。それから、ヒロさんだけに内緒ですが、帯広に婚約者らしきがおるようです。ハハ。。』

と愛嬌たっぷりのお父様の筆🖌が認められてあった。ーーう〜
む、む。なるほど⁉️
 
 きっと、リュウ・佳子ちゃんの父親は、ウチラ(佳子ちゃんと僕)との今までの遣り取りをよく知っていて、現状を伝えなければな、っと考えたに違いない。その通り❗️僕は、安堵した。しかも、佳子ちゃんは、この上なく愛されて成長しているーーそうも思ったから。・・・良かった。ホントによかった。。
 僕は、佳子ちゃんとは随分‘仲良く’、いや違う、”親しく”なっていたので、その後が気になっていた。というのも、“一年祭”の時、僕はリュウの部屋に2泊したのだ。当然、隣室の佳子ちゃんも何度もお互いのへやを行き来した。で、彼女は、

「‘お兄ィ’のへやに‘お兄ちゃま’が泊まりにきている。」

と言っていた。スッゴ、分かり易い表現だワ。
 今思い当たる事だけど、ひょっとして1つだけ、彼女に伝え忘れていたことがある。かもしれない。それはーー
 リュウと知り合った頃、リュウがこんなことを言ってた。

「三島最後の4部作、あの大作は読んでみたいけど凄い量だよなぁ。。」

と。ここで説明が必要だろう。スリムでスポーティな野球少年のリュウは、それこそオールジャンルで、スポーツも文学も音楽も、ぁ麻雀さえもそれぞれに話せる友がいた。で僕は、美食と音楽と文学の友だったようだ。
 
 恋人と一緒に東京に来た時は、赤坂の生簀料理屋へも連れていった。そのことは、リュウのご両親からも感謝された。神戸や、若いうちそんな行かないいろんな所へ連れて行ってもらって良かった、と言われた。
 僕は、リュウの言う三島の大作は、その2年前に読んであった。僕は言った。

「死にたくなるほど暇になったら読むといいよ。」

って。リュウは、“えぇ゛⁉️”という顔をしたけど、すぐに笑って、

「そうだね。読んでる内に考えも変わるかもしれない。」

と、本気のように答えた。実にコレは、本当に本気の本心だったのだ。
 で、10月頃だったか、前期試験明けで遊びに出た時だったかな、リュウがボソッと、

「夏休みに読んだよ『豊饒の海』」

と。僕は、

 「え゛っ⁉️」

て思わず声を出してしまった。それほどビックリしたんだけど、なんかリュウも黙っていたし、その時は、珍しく文学談義にはならなかった。

 ひょっとして、リュウには予感があったのかもしれない。それに、リュウのへや。・・リュウは、夏休みに部屋を出て、年末に帰省した時は、自室まで辿り着けなかった。で、佳子ちゃんの話だと、当時のまんまだというのだが、何しろ整理し尽くされていた。何も知らない佳子ちゃんからすれば、夏休み、“お兄ィ”の部屋に入ったときも、

 ‘几帳面なんだなぁ、お兄ィは。。’

ぐらいの印象だったようだ。
 ーーなァゲロ、大作を読んだってのはやっぱリュウのサインか⁉️ほらよくゲロが言っていた、“

 “余生は要らない”

っていう言葉、アレもサインだったんだろっ❓ーーでも案外、当人たちは意識してやってないのかもな。まァ直感が行動に出てるだけなんかネ❓❓

 なぁゲロ。。
 リュウの話は、ゲロ戸永君には全く知らない話かもしれないけど、向こう側の知り合いかと思ってね。僕が、共通の友人な訳だし。それに、余生を要らないと言っていたゲロが、転生してくるとは思えなくてな。お前、ずっと向こうで、何か‘お偉いさん’でもやってくんじゃないのかな❓
 一方、リュウはな、最近僕はこんな夢を見たんだ。。

  青海原越え
  緑に波立つ
  みずうみのような草原に
  真っ白なタンチョウが飛来する

  よく見ると
  緑色の草原は
  だだっ広い湿原だ

  タンチョウたちは皆
  なぜか霞草をくわえている
  突然、
  一羽が、白く美しい霞草を落とすと、
  一斉に空が真っ白く揺れるほど
  かすみ草で霞んだ。

  それはまるで
  28世紀からやって来た
  火の鳥のシーンみたく、
  流星の尾のように
  真っ白く輝いている。

  地上にフッと現れた
  少女が
  胸に霞草を携えている
  キャピキャピ笑う美少女が囁いた。

  “わたしはリュウ
   でも今は女の子で
   8才になるの”

  そう語る、スリムでスポーティな少女は、リュウにそっくりだった。

 “えっ゛⁉️
  今リュウって言った❓
  ねぇ君、、きみの
  お母さんは誰❓❓”

 “うふふふっ”

 僕はそこで、目が覚めてしまった。
 目を開ける途中、カーテンが湿原の揺れる草原、かすみ草に重なっていた。
 ーーもしや、ひょっとして、佳子ちゃん、とっくに結婚してて👰‍♀️娘さんがいるのかも⁉️しかも、この夢からも既に数年以上経ってるから、その娘はもう、JKかまさか大学⁉️でもおかしくないなぁ。。


       9

 なぁゲロ、それにリュウもさ。
 君たちとは、

  ‘折り返し点’

で会ったよな。
 今でもはっきりイメージできている。ーー特にリュウ、君は何しろもんの凄いスピードで、危うく見落とすとこだった。けど、光り輝く尾でわかった。あっっという間に駆け抜けちった。
 それに比べるとゲロ、君はアステロイドかな。ーーガッツイけど、けっこうスピードもあるメテオじゃん。しかし、マイペースの僕から見ると、いずれも猛スピードには違いない。僕は、2つの輝かしい🌠流星と衝突しそうな程だったわけだ。☄️もんのスッゴイ火球をマジかに見ていたんだ‼️

 そーいや’リンジツ(臨床実習)‘の頃だった。ヘールボップが、ハッキリ白く輝くコーンが見えるほどだったよな。クラスでも、天文好きな奴は、きのうも見ましたかって、お互いニコニコ話題っつか、それが挨拶みたくなっちゃってて。やっぱセンダードは、空がきれいな街で良かった❗️’荒城の月’も、煌々としていたし。ーーしかし僕、ヘールボップは観察していても、アグリ内のコ〜プ書店で、“ガールポップ”を買うことも忘れなかったよぉ。。

 そうだ、ゲロ、、お前には‘貸し’があるんだ。
 それは、化学の件だ。試験前に僕が、化学全問の模範解答を君に渡したら、ゲロおまえ、

 “自分が解いた”

って、コピーしてみんなにフレ回ったそうだな⁉️ところが、僕が、1問のミスに気づいて、お詫びを兼ねた

 ”訂正版”

を、試験直前に猛スピードでコピーしてみんなに配った時、

“あれレ、これ、‘ゲロ’が解いたって言ってたんじゃん❓❓”

て密告があったぞ。その密告者は、元が僕と知って、
”かえってその方が安心した”
ってよ。なぁゲロ、おまえ進学校に主席で入ったツワモノだけど、化学くらいは僕の顔立てろよ。そんくらいは、お前に勝てたんだ、唯一な。。
 喧嘩っ早いゲロって、実はタネも播いてるって知って笑けたよ。
 
 ゲロ、そろそろお前に電話して、聞かなきゃ。。何がって、まさか忘れてないよな、”40なったら誰だって直木賞獲れる”って。
『もうとったのか❓』
ってね。

 “ちっとも知らんかったァ、おっ目でとー❗️”
になるのか、それともまだなら、

 “えっ⁉️いつ獲るつもりなんだ❓言ったからにはやってもらうっ‼️”

とね。
 
 番号変わってなきゃいいけどな。

‘ツーツーツー
カチッツ’

僕は黙っている。
向こうも黙っている。

『無言電話』・・

コレ、おまえが19の時に書いた小説のタイトルだ。国語学の講義中、読ませてもらったよな。キレイにプロットが決まっていて、よくまとまってんなって感心した記憶がある。只、まだ小さくまとまってる印象だったけど、不備はなく程良い発展過程にある作品だと、僕が評価したはずだ。
 ーー無言電話。この番号、今誰か知らんが出るわけネッか⁉️
 それに、おまえ、そもそも37だったもんな、ゲロ。

 “40なったら誰でも”

ってのは、今思うと、おまえ

 ‘37’はスピード違反❗️

結果的に‘逃げ’❓❓それとも、人任せ・・⁉️

 結果といえば、、先のことはわっからんから推測だけど、流石に僕も
  ‘折り返し点’
は、回ったと思う。
 でな、興味が沸いたら、そっちの世界への途中にあるらしい、
“アイカツ・プラネット”
で遊びがてら待っててくれないか。僕もそこへは必ず寄ってくはずさ。だから。

 ゲロ、まァおまえとは随分タイプは違うけど、’もの’がわかっている、という点ではおまえに引けをとらない聖人‘トモ’に、僕は小学生の時に出会っている。
 お前の言う

 “その人の頂点は予め決まっている”

 というゲロ格言にも関係していることかもしれないね。
 中学では、ゲロの言う

 ‘頂点’つうか‘頭打ち’

してるような凡庸な人間にも出会した。サッサと高校出て、や待てよ、その高校だ。1つ大事なことを教わった。ーー担任が、

 ”君子危うきに近寄らず”

を、力強く推奨、ご教示してくださったんだ❗️
 小学校での、誰でも仲良く、てのは邪道だ、とね。高校のいい担任には、卒後5年間は会ってた。で、卒業後は、

 大学入って、すぐにリュウを失った。
 その直前には、著名ないろいろな人々とも知り合ったな。

      10
 
 ポンギン時代には、6人の娘と次々に出会した。
 鳥居坂で‘放飼い’状態のキャスと。
 続いて“あゆゆ©️”、それに、ノエミ。。

 3人の‘おバカ娘’を並べて初めて気づいたことがある。
 あゆゆ©️はOKにしても、こーゆー関わり合いの‘ギリ’の線て、ノエミが限界だなって。
 例えばもし、ノエミとコジれて訴訟みたいなことになったら相当キツいと思う。でも、キャスに関しては、今頃気づいたけど、責任能力ってどうなの❓ってこと。これはもう、医者の不養生と言われそうだが。。ーー最近のニュースで、

 “2階の窓が閉まってたから、3階に入った”

という事件があったけど。それで、『2階にどうやって入るのよ⁉️』

って本気で問う20歳の成人女キャスは、完璧に発達障害の、何かの類だと気づいた。つまり、そーゆー疾患との日常の会話など有り得ない。だから親身の女友達がいなかった、というのは当たり前の話だ。前にも言ったけど、女友だちの家で、キャスがものを食べずにいたら、

 『お宅なに食べさせてんの⁉️』

って、苦情の電話がキャス親に掛かった、という昔話も、痛く分かり易い‼️
親も、その電話を問題にしなかったばかりか、いまだにキャスの、苦情電話でなく‘自慢話’になっている。ーー“うちはいいもの食べてたから”と。。どころか、よそ様のお宅で相当失礼な態度をとった、という肝心な話は、全く出てこない❗️挨拶などしたことなく、どころか、人が挨拶をしなかったりすると、“あなたは挨拶すらできない”と罵る。いったい、自分を知ってるんだろうか⁉️回路が壊れてるんだから、言ってもムダか。入力〜出力の間が、フツーじゃないんだから、たとえわかったような日本語がアウトプットしたとしても、決して信じてはいけない。翌日には、

“あたしそんなこと言ったっけ?”

がキャスルールだから。。
 こんな状態に、全く、てか、産声を上げずに生まれた子を気遣わない家庭っていったい❓❓
 精神科の患者さんは苦手の僕が、そもそも請負う人物ではなかったんだ。病院送りにしてあげるべき憐れむほどのケースだったんだに。。そのことに気づいたのは、‘ポンギン村’での6人の娘たちを並べて比較検討すると、どうしても

 ‘比べるとかいうカテゴリー(範疇)’

じゃない人が1人いることに、ハッとしたからだ。

 それを裏付けるようなことがある。それは、ノエミとキャスの、ある事柄に対しての反応・対処だった。ーーあの、父親の、“ゴロゴロしてないで新聞でも配ってみろ”の思い出話。。(小6頃のJKバイトの娘達が、身の回りにいっぱいいた頃の話デス)
 どちらに対しても、僕は、

 “新聞⁇ やったことあるよ!”

と答えたが。。

 2人のリアクションは、雲泥の差だった❗️
まず、ノエミ。→『あら、どうしてなさったの❓❓』
と、不思議がった。ので、僕は、おもしろおかしく(フツーに話しても、あの話は面白いけど。。)事実をありのまま語った。→『まあ、、家庭教師が毎日来て、結局はドクターの道に繋がるのネ❣️』
でその話題は終わった。さて、、キャス→『えぇ゛⁉️よく言ったわねぇ‼️』
と、軽蔑して終。。よほど、狭小な世界観が占めているらしい、キャスの脳内は。以来、侮蔑的にさえなり、どこで覚えたか、

 『◯◯の人はダメだっていうよ』

と、僕の出身を知って言っているのか、とうとうそこまで言ってのけた。この時は、あまりの発言に絶句して何も言わなかった。けど。(そんなこと言ったら、キャス家こそ、あのキョータケとどちらも4代前は、日本の🗾ある島、9つの国があった島にルーツが辿り着いたのは驚きだった。それも目と鼻の隣県出身だと知った。)

とまあ、他の5人とキャスは、全く異質だ、とハッキリわかる事例だった。
 
ーー迂闊だった。ジツにまことに迂闊だった❗️・・全くもって、違う愛の対象だったよな。

 賢女(かしこおんな)の’ドール’さん、‘服美子’・‘ミッチョン‘にも出会えた。
 とても楽しいダンサー💃の後の服美子は、実にセンスのおもしろく素敵な恋人だった。
 そして極めつけの’ミッチョン先生👩‍🏫’は、最後まで師弟愛を貫いた。ーーけっして恋愛関係にはならず、どころか、指一本触れずに、

 脚一本絡ませた❣️

という超ユニークな関わり合いだった。(ココ意味わかんなかったら、ポンギン時代の“レッスンの”項辺り読み返しておくんなまっし。
 六本木→湾岸を経て、大学に戻ると、最近知らない間に居なくなることになっていた‘ゲロ戸永君’と知り合った。ゲロも褒めてたセンダードのピアノの先生とも、その頃習ってたわけだけど、その先生からは🧑‍🏫、最初に関西での医院開業の時に、美しい胡蝶蘭が贈られてきた。そこに、

 “居る”

からこそ、ちゃんとお花💐が着いたにも関わらず、文学科の先生が送付したという何某かが、悪夢のJPによって勝手に突き返された。これで、師弟関係が崩れてしまった。他にも、こーゆーのがあったのかもしれない。というのも、この頃を境にプッツンした人が何人かいるからだ。
 まさか、こちらから直接訊くわけにもいかず。花が届いてるのに、JPだけは勝手に、居所知れず、のハンコを押して恩師・教授に突き返した上、郵送料・切手も返還せず知らん顔で平然としてた。
 
 お花の件では、ちゃんと居ると確認してウチラも居るからこそ受け取ってる。なのに、JPというのは、確かめにも来ない。ーーこれって、切手買えば送るよ、って言ってるだけの、

  ”送るオクル詐欺”

じゃんねぇ。N国党ができるわけだ。JP国党は❓作んなくていいの⁉️みんな黒糖大好き❗️ガンバロー日本、私は騙されない❗️さァ、弁護士会よ立ち上がれ‼️
 1990年代のこと、東北新幹線でトイレに入ろうとしたら、通りがかりの車掌野郎が、睨んで、
“切符見せ・・”
って言った。あのバカまだ生きてんだろうか❓ひとまわりは若そうだったが、他人にああいうこと(=トイレ行かせない)する奴って、多分早く死ぬと思うから。。必ず自分に降り掛かってるはず!こっちが子供なら、その場で勢いよく‘ひっかける’こともできたんだけど。今後‘J‘に乗る時は、呉々も病院の‘紙コップ’持参して、一度でも舐めてもらうほかなし。想像力のないバカにゃそれっきゃナイロビ、あの“人間貨物扱い”の連中はよぉ。ったく、一駅余分に乗ったら、
“ありがとう”
もなく、いきなり、お客様に、
『不足‼️』
って言ってくるあの鬼のような発想は👹何なんだかねっ。タコ焼きもう1コ頼んで、いきなり、
“不足❗️”
なんて有り得ないでやなぁ。まず

 ‘ありがとう’プラス
“お会計変わりまして🧮・・”

だやね。“J”が付くトコは、軒並み“不足”と騒ぎ立てる。みんな怒ってるよ、でも我慢。どうせ客とは思われてないんだから小銭を‘ホレ’って顔に投げつけたい🥸気持ちをみんなみんなジッと堪えてるわけ、たぶん。いつか爆発する。播いたタネは、いずれ収穫しなければならないだろう。

 ウチラ、とにかく大変な時代に生きている。
 悪代官がはびこっている。
 ウィルスも蔓延っている。ーー
 そして僕は、あの救急搬送された半年後には、まぁ健康体になってしまい、検査をしても‘病の痕跡’すら無くなった。王谷先生から、

『いいなあ!』

って言われたわけだヮ。

 “団塊の世代”の先輩方の多くに罹患があるという、ウィルスや菌にも、幸い僕は無縁だ。だから、胃や肝臓の疾患がない。おかげさまで、🍾シャンパンは旨んまい❣️
 でもまぁ、あの2人の足した人生を越えたんだ。

  “20+37”

リュウとゲロのことだよ。2人分を超えて、流石に還暦も過ぎる頃には、メインエンジンが少し疲れてきたヮナ。耐用年数はまだ先だァにしても、よく休む休むホント、ちょこちょくゴロンし、かつよく寝るし長く寝る。

 “早寝遅起き”

に限るね。てゆーか、あんま早寝はつまんないので、といって超遅寝も宜しくない。・・そこで、

”フツー寝遅起き”

最近、これが、ベスト❗️

 僕は思い出す。ーーあの広い川でのことを。あんな秋の日に。。もう一度
 ‘芋煮’
をやったとしたら、間違いなく
 “震災”
の話が出るだろうし。あの時のように、カメラ向けたらウェルカムにノーテンキに反応してくれるかは?わからんね、この時代。。あれこそ、あの瞬間こそが、またとない芋煮会、
だったんだ。
 遅れてきた青春が、奇しくもこの上なく貴重な、帰らざる青春そのものになってたんだネ❗️

 そして、関西での医院は何度か移転を経て今、五重の塔を望む京(みやこ)へと居を定めたばかりだ。
 その間、’手タレ’として成功した煽りで、電通や博報堂さんとかのいわゆる大手アドからの指名オーディションに幾つか合格し、松方はんとは3度もCMでご一緒した。集合現場の料亭では、遠くから気づいてすぐ😀ニコニコして寄ってきてくださった。京でも、出入り場所が、同じ白川巽橋の近くだった。そこで、本業のドクターたちと飲んでると女の子たちの1人が教えてくれた。

 ーー“きのうは松方はんとタケシさんが来たの”

とか、野球選手の誰それが下の階に来てるのよっていう具合に。
 でも、松方はんと個人的に話までしたことはなかったので、僕の本業は多分知らないと思う。けど、🍻ビールのCM‘秋物語’の時、僕は救急隊の役で🚑救急車から敬礼する演技だけでなく、撮影中救急指導させられて、一瞬ディレクターズ・チェアに座ったので、ひょっとして知ったかもしれないが。。

 撮影と言えば。
 カバーガールが設立した事務所は、頗(すこぶ)る良心的だった。愛川キンキンが、こんなことを言ってたことがある。ーー昔、あるモデルさんが砂漠で撮影中にジンゾー破裂した、って。だから僕は、あの事務所には安心できた。やっぱキレイなお姉さんが設立しただけのことあって、あーゆー事故から絶対にモデルさんを守るんだ、という強い意識があって、ここの事務所の仕事でトイレに困ったり暑さで倒れそうになったりとかは皆無だった。凄いと思う。考えてみたら基本中の基本の命の問題なのだが。。先のJRの例のように、撮影では
“使い捨て”
を平然と行っているところがあるのだ。人間なんて後からあとから生まれてくるからって本気で物扱いするトコはいくらでもある❗️
 あのお姉さんは、真っトーな要求を貫きつつ尚且つギャラでも真っトーに要求して、物扱いの事務所との価格競争でも、値落ちせず勝っていた。しかしーー

 リーマンショックがあり、続く大震災。

良心的だからこそ、この事務所は無くなってしまった。
2011年の1月が、僕の副業のラストになり、現在中断している。あの有能な松浦マネージャーさん、どこへ消えたんだか⁉️

 ラストシーンは、交通安全協会依頼のモノ。いわゆる免許更新時に見せるビデオだった。その現場が、浦安だった。海よりの、パームツリーの靡く風光明媚な上、交通量も少なく撮影にd( ̄  ̄) good❣️
 で、スタッフさんの1人が、

『ここは砂上の楼閣だ!』

って、浦安のことを評したら、スタントのバイク乗りのカッコいいお姉さん、

「え゛っそこまで言うっ⁉️」

って言ったけど、もうそれがまさかのコトダマ実現する、1万年に1度の大震災は目前だったのだ。ーースッゴぃタイミング、つか随分危ない所に居たもんだスッタもんだみの。

 楽しい日々は、長くは続かなかった。もう松方はんもいらっしゃらないわけだし。それに、ポンギン村の娘たちは健在なのか❓あゆゆ©️なんて、

 “あら生きてたの⁉️”

って冗談も通じそうだけど。ーーでも、キャスなら今は、

 “お大事に”

って声をかけるだろう。もし居なければ、

 “お疲れ様”

ってね。ーーというのも、あれほど‘ウザく’思ったキャスとて、30年が経てば、あいつ犠牲者だった、って思えるから。おそらく周りの大人たち皆が、きっとノエミ程度の‘正常・異常線ギリギリ’の心の人達で埋め尽くされていた結果、心的生物濃縮が起こり、キャスは精神の異常を来たしたのだろう。

 “私は言った事に責任を持ちたくない”
 
だとか、

“目には歯、歯には剣を❗️”

とか平然と言ってのけるキャスは、

 ‘通常の表現では言い表せない存在’

といえる。

 こーゆー用法は限りなく変なんだけど、敢えて言うと、即ち、

 ‘非の打ち所がないほどおっかしい‼️’

ということ。

 まぁ、たまたま日本語を話してる最中の🦜鸚鵡の脇を通りかかったがために、ウッカリ通じるのかと勘違いして付き合ってしまった、というオチ❗️まさに不可解千般也哉。。

 でデス。

 ‘おかしい人‘
というのは、よくよく他人(ひと)のことを

’おかしい’

と言うようで、僕は何度も、

‘あなたおかしい’

みたいに言われ続けた。だもんで、恐ろしい事に、確認のためコッチが精神科を受診して、且つ念には念を入れて親まで診てもらう羽目に

 “追い込まれた”。

 その結果は、以下の通りだ。ーー

 即ち、私の

‘程度’は、

全てに渡って、

 “感動の範囲”

だそうだ。そして、親に至っては、頭痛薬が処方されただけ、という全くの正常値。曰く、ーー

 “異常な人ほど他人(ひと)を’おかしい’と言ってお茶を濁す”そうだ。結論として、“おかしいのは恐らく先方の可能性が高い。”

と。
 しかし、キャスは只の1度も受信歴が無くその気もない。あの『2階にどうやって登るの(=侵入するの)よ⁉️』を彷彿とさせることを、シカと感じる場面がジツはあった。それは、キャスの🌺ハワイ島の実家に寄った時のこと。

 まず、溶岩流を想定したという2階だけの家。ま、それは深追いしないとしてだ、階段の手摺りの金具が剥き出しで放置されていて、凡そ人を歓迎しなく見えた。で、二重ロックをあけて家の中に入ると、リビングを抜けて廊下に出、キャスの部屋の前で“一時停止”させられた。
 彼女、なんと鍵を取り出した❗️開けて入った。

 “この部屋には金品が多いから”

と、聞いてもないのに、バラした。なら、と窓辺を、僕は、

 “観察”

し始めた。『あら何してるの❓』と言うので、
いわゆるセコム関係の話をしながら、窓を見たが、また始まった。

 “2階へどうやって入るの❓”

と。それこそ、腰を抜かしそうになった。どころか吐き気さえしてきた。どやら、どややら、ドロさんが、玄関からちゃんとお行儀良く入る想定のみらしい。完璧に精神病を疑うべき瞬間だった。親もだろね。ああ、こんなおかしな幼稚な発言を繰り返す娘の異常さに全く気づかず、1度も精神科を受診させなかった親って何だろう。流石に初対面(初対聞❓)電話の相手に向かっていきなり相手の全否定を言うだけのことはあった。産声を挙げずに生まれてきた子を、自分が出身の有名なミッションだとばかりに、遠い国の地方の寄宿舎に入れてしまうだけのことはあった。

 要するに、キャスにとっては残念な結論だけど、キャスは、

 “誰からも愛されていなかった”

ってことなんだ。ーー勿論、コレは本人も親も真っ向から否定するに違いない。そこがもう、🫵アウト、現実認識ゼロ❗️なんだワ。キャスを、キャスという子をちっとも見てない。丸っきり診られていない、見守られていなかった。それがどうやら本質だろう。・・そのことに、僕だけが気づいた‼️そして、生まれて初めて耳にする

 ‘真実の声・神の声’

に、キャスは狼狽(うろた)えたのだし、恐らく又聞きしただろう親は激怒したのだ。
 キャスは、真実の声を聴くという千載一遇のチャンスを全くの無駄にしてしまったのだ。即ちこれこそ、

‘神の声に逆らった女’

ということになる。

 ’ゼロ‘点・基準点がズレていると全てがズレてしまうのだが、キャスには、そのことが全く認識されないようだ。
 つまり、コチラは、精神科お墨付きの正常範囲者。ゼロ点、原点、正常点の基準点に立っているのはコチラであって、断じてキャスではなかったのだから、そもそもキャスやその親が他人のことを

‘異常だ’

との判断は

‘誤り’

ということだ。この際、基準を明確にしておきたいと思う。
 
 僕が記憶している出来事の中で、おかしな言動『2階からどうやって(物を)運び出すの❓』はまだ、2人だけのやり取りだったが、周囲を巻き込んだ、完全に、

 ’固まった’

のが雷雨の時の雨宿りの光景❗️だった。ーー
 忘れもしない、突然夕立に会い、山小屋ともバス停ともいえる

  ‘小屋🛖’

には、通りがかりの人、数人がいた。とたん屋根を打つ雨音も激しく雷鳴に恐怖した僕が、

「怖いなぁ。。」

と言うと、キャスったら

“あら何で顔🥸”

雷が⚡️怖くないのかと思い訊ねると、

『ヒライシンは❓❓』

と訊かれた。うっつ。僕は、こんな掘立て小屋に付いてるわけないだろっ⁉️っと怒ると、その時のキャスの反応こそは、僕だけでなく、たまたま居合わせたウォーキング中の人たちをも

おそらくコチンコチ〜ンに
‘固まらせ’

た。
 フツーなら、ここは、『そうね、コワッ❗️』って共感場面、が其処はホレ、現状認識能力ゼロのキャス、な、な、ななんと、

 「あたしのウチには付いてたの。」

と、今まさに雷鳴が響く中でニコニコしだしたのだ。これこそ、子供の頃、お友達の家で食べる事を拒否してそこの母親から心配ではなく苦情の電話📞を喰らったという、キャスならではの言動だった❗️なるほどっ‼️だワヮァ。もしコレが、お友達の家だったら、きっとまた苦情の電話☎️、いやそんなんじゃ済まないかも❗️だって、犬を殺されたことあるらしいから。それって、ホントは、犬ではなく、ってか、犬でやめといただけなのだろうから、コワッ❗️

 現状認識能力の完全な欠如。今溺れている最中に、

 “きのうはとても空気が爽やかだったのにねぇ”

なんて言ってるようなもんだ、や、きっとそんなら間違いなくそう言う。ーー兎に角、周囲が

 ‘凍った’

ことは、もはや喩えも説明も要るまい。解説を必要とする人物は世界でただ一人、キャスに、だけだろう。

 『なんで❓』

って当然聞くんだろうけど。そして勿論説明したところで、

 『あらそうかしら❓』

というカンジだろうことは、あの

“2階からどうやって・・”

からすぐ想像できた。

 完璧なる精神の病。
 偶然居合わせた人々を巻き込んでしまうキャスの“放し飼い”は、もはや許されまい。ーー

 とまあ、その後もこんなカンジで度々、僕の脳裡に浮かんだ

  ”狂人キャス“

という存在は、ポンギン族6人の中でも、只々傑出していた。。僕は、この繰り返す出方って、ある小説に似てるって前もチト感じてたけど、最近は一層強くそう思う。
ーーそれは、まえ浮かんだ時も触れたけど、画家で映画監督の池田満寿夫氏の代表作『エーゲ海に捧ぐ』という物語だ。
 あの中で、話はどんどん、というか徐々にいろいろな場面に進んでいるにも関わらず突然

  “トキコ”

という名前が、なんの辻褄も合わずにやたらと出てきて、目障りというか、

”なんでやねん❓❓”

って何度も同じ読後感、奇妙で不可解な感想を抱いたんだけど。。

 おそらくは、ニッチも察知もいかない感、というのかなんとも類似の歯痒さ感を内包してたかもデスょ。

 言動の責任を回避する発言(『貴方とはそのような話題は話したくない』とか言って相手を空気読まずの悪者に仕立て上げる名人)をしていたキャスには、責任能力どころかそもそも、会話の意味すらなく、ましてや、コミュニケーションなど存在しない。はず。あるべきは、

『病者と医者の関係』

だけだろう。精神科医が診れば、キャスがある奇妙なことを言えば、その言動は処方のための分析の対象たり得たはずだ。
 
 そのようなことに、すっかり気づいた今、僕は、きのうまではキャスの言葉を思い出す度に苛立ったり腹立たしくなったのが、さあァァーーッと怒りの水が曳いてゆく感覚を覚えた。

 ーーまさに、涅槃・寂滅・ニルバーナ、とそーゆー心境か。

 宇宙の始原の何もない状態というか、平穏そのものの気分に、いま僕はいる。
 キャスに必要だったのは、産声を挙げなかった、この世に生まれ落ちた瞬間から一貫して、

 “治療”

であり、全く異なる、

 “愛”

だったのだから。ーーそのように思えてならない。

今僕は、キャスに対しても、無限の愛を贈ることができるのかもしれない。
ーーそう思った。

 そして、ふと思い浮かんだことがある。それは、、

 僕の

 ‘ポンギン時代’

は、現実でなく、1世紀前のN.Y.バブルを生きてた、と。

 米文学原作耽読や映画浸り。。スコット・フィッツジェラルドと僕は、とんでもない心的苦労人だった。なぜなら、目の玉の飛び出るような華やかな生活の陰でスコットと僕がしてた事は、知っててもキツイのに、見かけ若くキレイな完璧ボケ老◯を知らず徒労の介護生活を強いられてたに等しかったこと。フィッツジェラルドの苦難を今更ながら実感した。


 < 僕の’80年代は、夢と悪夢が同居してたんだ。>

 キャスの放し飼いこそは、多くの人を災難に巻き込んだけど、全寮制ミッションスクールで体育教師に、腿を触られてたようなキャスを、強制入院させたところで、どうせいいように遊ばれる。六本木で、しょっちゅう盗撮されてたことからも分かる通り、キャスに興味を示す人間は大方おかしい。実際まともに、撮らせてください、と言ってくる人はいなかった。しかも、僕ならあるけど、アイツ全く‘モデルの勘’もないし。ーーだから、僕が、

 ‘駆け込み寺’

だったか⁉️ … と気づいた今、僕の心的環境はとても静かだ。彼女は、怨むべき対象そのものではない。つまり何というか・・

 こんな話がある。ーー“神田さんが歯科医師であったなら、聖子©️の結婚は1回で済んだ”という小話同様、もし僕が精神科医ならキャスは路頭に迷わなかった。生憎、ウチは口腔外科でな。美容腫瘍外科領域とも恋愛とも違う愛こそ必要だったのだよ。

       11

 佳子ちゃんへの伝言ーーきっと、悲しみを克服して元気にやっているとはいえ、

 ‘お兄ィ’

のことは、片時も忘れてないことだろう。ーーというのも、僕には、兄を失った母のことがあったからだ。
 80年前に勃発した大戦で、母の兄は応召している。出陣が近い、と聞いた母は、兄の連隊を知人たち数人で訪れた。輝く日の下で、丁度行進をしていた、カーキ色の軍服の兵士たちの列が、暑い日盛りの下、土埃をあげて近づいたかと思うと、大きく右にカーブしていった。その一瞬、兄と目が合ったのが最後だった、と。・・その時の軍靴の音が甦(よみがえ)った骨壷は、空っぽだった。だからだろう、1970年代に、小野田少尉が帰還したとき、母は、

 『やっぱり生きてるよねえ』

と言った。人は、大切な人のことはそう簡単に忘れられないものだ。
 でもだからこそ、佳子ちゃんには元気でいて欲しい。只々、そのようにいつも祈っている。

 そして、祈りというのは必ず効能があるらしい。それは、善きにしろ悪しきにせよ、ということ。。
 かつて、私の叔父の2人と従兄弟1人が、戦死している。叔父の1人は、今述べた母の20代の兄で、フィリピンの🇵🇭塹壕の中に未だに埋まっている。父の弟は、フィリピンへの輸送船が撃沈され、17歳で東シナ海に今も沈んでいる。従兄弟は、ベトナム戦争だった。つまり、3人も戦死してる。
 
 にも拘らず、キャスはこんな‘自慢話’をしたことがあった。ーー

 “おじいちゃんの頃、診断書を大袈裟に書いてもらって、応召を免れたの。おじいちゃんは長男だったから良かった。”

と、聞き捨てならないことを。。
 結果は、すぐに出た。その話を聞いた1ヶ月のうちに、キャスの大叔父と同僚2人の3人が乗った飛行機が、サンディエゴ沖で消息を絶った。向こうの世界がよく見える人の話では、僕の背後には、荒ぶる神が3体鎮座しているそうだ。勿論、僕は見ることはできない。ホラ居る、と言われても、振り向けば一緒に後ろになるので。
 要するに、あのような言動をしてのけたキャスのことを、いくら僕が、

 “今は恋人だから”

とたとえ嘆願したところで、聞き入れない程の

 ‘荒ぶる神’

だそうだよ。キャスは、自らの言動によって、2人の知人と大叔父の、3人を向こう岸へ送ってしまったことになる。ーーこのように、辻褄は常に合う、ということらしいのだ。

 そういえば、その、向こう側がよく見える人に会ってから、改めて振り返ると、今まで偶然だと、なんも考えてなかったいろんなことが、アレ❓あれも⁉️っていうのが、昔っから随分あったことに気づかされた。例えばーー

 中学で、殴られたとき、翌日には建築現場から落下物が、そいつを命中🎯ってあったよなぁ。ちょっとみんなで音楽を聞いてたら、隣の部署の奴が、“うるせえ”って僕に言ってきた翌月、ソイツ大阪に左遷されたよな、とかとか。その度に、

『“神様”がやったんでしょっ⁉️』

って、その向こう岸が見える人は、寄ってきて笑ってた。僕を、

‘神さま’

呼ばわりまでする❗️

「いやいや僕はなんもしてないよ」
と言うと、僕の背後に焦点を合わせて、
『またまたぁ。。』
って笑うばかりなのだが。

 ーー’荒ぶる神’ … か、コワッ 😅

 けどま、向こう岸の人は、向こう岸の事情で、いろいろやることが流儀があるんだろうし、僕には見えていないし、重さもないし、ま、いいやいいや。。

 嘗て、

‘10歳で聖人’の’友’

を持った‘子’は、大抵の人が生きて辿り着かない

 ‘聖人式’

を終えつつ、復学を果たし、もう一度の人生とか、人生が2度あればなどと誤魔化さず、

 ‘絶対生まれ変わりなどしないぞ’

と、この世で全てクリアする=やり直してしまう道を🌠火球のように突き進んできたのかもしれない。

 もちろんそのためには、時間が要る。時間が経つということは加齢だ。ならば、その為に健康が要る。ならば、医学知識が要る。と同時に医学だけに頼ることのない総合的な方法が要る。基本的に僕は統計を深追いしない。(統計は昨日までの話だと心得よ❗️50%助かるの意味:100%が1人、0%が1人なら50%という。あなたはどちらになりますか❓って意味だと理解せよ❗️だって、下半身だけ風邪が治る50%の人なんていないんだから。2人のうち1人が治るのが50%だよ。もし2人とも100%をめざせば明日統計が変わる可能性はあり得る。)そのためには、並はずれた祈祷力が要る。もし臓器が病んだら、そうありたいであろう状態のキレイな内臓細胞の写真をへやに貼って朝晩必ず見て脳裡に落とし込んだ。すると、デザイン通り完全治癒し、主治医の目は点⁉️を見た。
 深い思考でヒトは大きく枝分かれしてくんだよ。

  生きる人、死ぬ人、
  生きながらえる人、死に絶える人、

ってネ。そんなこんな毎日しつつーー僕は、全てをクリアしつつあるのだろう、きっとネ。ーーだから、

 ”神さま“

なんてニックネームつけられたんだよ。。(^◇^)

 同じ夏の日に生まれ、2歳の時、青銅色の尖塔輝く神の家にいた’ずず’は今、讃美歌を日課とする音楽教師、チヨ美は米国野村かどこか提携先のC.E.O.になっていた。 … …

                       ( … … 第二章 杜の都 終り)

     第3楽章 詩篇「神国にて」


   大津波
    浄土ヶ浜に
     下しけり

     ◇

  むかしむかし
   海鳥たちが
    遊んでいたよ
     昔々・・

  いまもむかしも遊んでいるよ
   今はいま
    天使たちと遊んでいるよ
   もういまは
    天使たちと遊んでいたよ

  むかしむかし
   青くあおい海原越えて
    海鳥たちが遊びに来たよ

  むかしもいまも
   青くあおい草原と
    海原恋えて
     いまはもう
      天使たちが休んでいたよ

  あおく青〜い浄土ヶ浜に
  青くあお〜いこの浜に・・


     1 揺れる大地

  東に日出る大洋と
  南の川。
  北にも河と尚未知の奥。
  西に繁る山、山、
  遥かなる、
  青い山脈。

  その
  青葉流るる山の端は、
  眺め尽きることなく、
  滴る緑は、
  見つめ触れても
  更尚ゆかし。


  それこそ誰(た)が知る
  多賀の城。
  タガーマハランの成れの果て。

  ーーウチラゎ知っている。
  何れの御時か、
  この世界を治めていた、
  スメロぐ高天原を❗️

  ウチラは知っていた。
  タカアマハラが多賀の城址と。
  高天原(タカアマハラ)にスメロぐ、
  シュメールの巫女が知ろしめす、
  タガーマハランとゆーことを。
  だからこそ故いま尚、
  宮中の城を思わせる唯一県名を持つ、
  宮城(キュージョー)
  という文字を用いた県(あがた)があるでゎないか。
 

                       (富士行幸された、と。)

  シュメールの巫女が知ろしめす、
  スメラミコトが知ろしめす本拠地“宮城(キュージョー)”
  ここから何れの御時にか、
  イザナギのミコト・イザナミのミコゎ、
  天の浮舟もちて、
  やすやすと天下一の山、
  天照大神(アマテラスオオミカミ)の下へと富士行幸された、と。
  しかしながら、
  かの浮舟、伝承せども、
  皇神(すめかみ)の御所に技術者なく、
  やがて終(つい)えた、と。
  太古よりかかることしきり。
  中米におけるインカの記憶盤溶融、
  エジプトの墳墓に埋もれたままの英知、
  南極における極底の栄華、等々・・。

  ミコトさまの統(ス)メロぐ、
  日出ずる国におかれては、
  古来より万代(よろずよ)未来永劫、
  収める者の波動と
  国の波動との調和が重んじられている。
  これ
  神国の宿命なり。

  ーー千年紀の昔、
  おどろおそろし貞観大津波の折、
  天上ゎ、
  その不徳を認めた、という。
  然(しか)れども然(さ)れども、
  時を越え、
  多くの民がそのことを忘れ去り、
  鈍‘感な男’を立てたが故、
  大地も大洋も、
  天の原までもが、
  比類なき響き、
  著しい不調和を感じつつあった。

  日月(ひつき)経て、
  春を遠く近づく頃よりの不穏の堆積
  に次ぐ堆積の後(のち)。
  ーー七日余で彼岸というその日、

  突如として
  大地が唸(うな)り、
  海原も心底吹き出すが如く
  もんどり打ち。
  蝦夷(えぞ)の地より遥か出雲の大地にまで
  呻(うめ)き轟(とどろ)きのめり込んだ。
  ーーそれでも尚、
  気づかぬドンカンナる為政者。
  
  タカアマハラの流れを汲(く)む、
  皇(ミカド)のみが心秘かに気づかれた。
  スメロギノミコトは、
  病身をも顧みず、
  神速
  民の下へと行脚(あんぎゃ)される。

  知らぬは民ばかりか⁉️
  さらばとて
  “自ら行かむ”と仰せ残しつつ。

  “祓い給へ清め給へ
   清め給へ祓い給いて
   手向(たむ)けさせよ・・”
  と
  民の中民の中へとスメラミコトの。

  おっほおぉぅ。。。
  八十隅坂(やそくまさか)の先の
  浄土ヶ浜か。
  ここらで降ろすか。
  幾ばくか、肉の終着。
  いやいや、
  すぐ時の経つ間にも、
  夥(おびただ)しい数の、
  魂の執着或いは
  帰天或いは停車か。
  みるみる大津波、
  浄土ヶ浜に下ろしけり

    亡き亡き亡き
    亡き亡骸(なきがら)を

  むかしむかし
  海鳥たちが遊んでいた
  みるみる見る見る浄土ヶ浜に下ろしけり
    亡き亡き亡き
    亡き亡骸を
 
  青くあおい海原越えて遊びに来た海鳥
  いまはもう
  天使たちが休んでいるの❓
  見る見るみるみる下ろしけり
    亡き亡き亡き
    亡き亡骸を
    浄土ヶ浜におろしけり

  幾百幾千亡骸の、
  壱萬魂みるみる
  見る見る下ろしけり。

  幾百幾千 
  幾千幾百の、
  南無妙億万魂
  南無阿弥陀仏の幾百幾千、
  幾千幾百の・・・
  おっほぉぉぅ、
  打ち上げられたる亡骸は、
  その数終(つい)になんというおそろしや、
  壱萬越ゆとも終らずや❗️

  壱萬肉魂の、
  降ろされけり浜、浄土ヶ浜とよ。
  みるみるみるみる
  みるみるみるみる
  大波は、
  浄土ヶ浜に
  壱萬肉魂下ろしけり。

  祓い給へる
  スメラミコトの祈りばかり
  虚しく
  青海原にか細く
  か細く消えてゆく。

  ミコト様の、
  言霊(ことだま)孕(はら)んだ大洋も、
  日月星辰(ひつきせいしん)。・・・八戸金浜、角浜(かどのはま)にも
  九戸久慈 侍浜(さむらいはま)にも。十府ヶ浦(とふがうら)、普代浜(
  ふだいはま)、宮古 潮吹穴(しおふきあな)にも、大槌(おおつち)
  吉里吉里(きりきり)浪板(なみいた)根浜(ねばま)、浜街道仏ヶ崎
  死骨崎に、吉浜 首崎(こうべざき)陸前高田 松原に、気仙沼九九鳴き浜、
  お伊勢浜、大谷海岸、分浜(わけはま)御前浜、女川夏浜 小屋取浜(こや
  どりはま)、金華石巻鮎川浜、牡鹿白浜 十八成(くぐなり)、桃浦折浜
  小竹浜、奥松大浜月浜蛤浜、浦戸石浜 菖蒲田浜(しょうぶだはま)に、深沼
  荒浜長浜にも、右田(みぎた)浜、双葉、久(ひさ)之浜、勿来(
  なこそ)の浜にも下ろしけり・・・飛んで飛んで東日本、

  飛んでって、とうとう九十九里 。。
  大津波、飯岡干潟(いいおかひがた)に下ろしけり。
  下ろし来て、泣く泣く泣く亡き亡骸を、
  泣きながら受け取れり。
  嘆き泣く悲しみの人、
  壱萬越ゆ弍萬越ゆ・・

   もうよい返しておくんなましおくんなまし
   おくんなまし。ましましましましましましまし。
   返しておくんなまし、
            (合掌ーー柏手ーー合掌
             呟きつつ、知らず3拍手👏か。)


 日付星辰(ひつきせいしん)おぞましくも、
 ひと月が経った‼️
 まだ外は寒々と。

 新しき
  月ゎ来てども
    道の奥
  細道までも
    雪 瓦礫(がれき)  

 しんしんしんしん
 しんしんしん
   奥の奥まで雪瓦礫
            ❄️ ❄️ ❄️
 しんしんしんしん
 しんしんしいん
   道の奥まだ雪瓦礫
 しんしんしんしん
 しんしんしいん
 しんしんしんしん
 しんしんしいいん

 しーーーん
  雪瓦礫
 しーーーーん
  雪瓦礫
 しーーーん
 しーーーーん

 しいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ
 ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ
 ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ
 ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ
 ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃーん。

    空耳か
    木霊していく
    鈴の音

  しんしん
  しゃんしゃん
    通り過ぎた 。。

                                                                                                     ( … ….  つづく)
                       
                                      ずっと下方⇩次話クリック有り

  #モーツァルト #ラディゲ #バレンタイン #貞観大津波  

 


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