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文革とマヤ

 本間は地下三階の一室へ移動した。デスクと椅子しかないコンクリート部屋だが、本間が入室した途端、色彩を放った。デスクの上にはデスクトップパソコンと黒電話が乗っている。

 デスクの横には、冷蔵庫より巨大なサーバーが低い音を立てながら稼働している。「京」と繋がっており、ZEROは「文革」と称して使用している。

 本間はパソコンを立ち上げると、六重ファイアウォールで守られたサイト「マヤ」に飛んだ。「マヤ」はNシステムや顔面認識システム、防犯カメラとシンクロしている。「マヤ」の前で日本は丸裸であり、アジア諸国の動向は大抵、把握できる。

 公安部員が至る所に仕掛けた「マヤ」の分子はまず、ご立腹な県警本部長を画面に表示した。

「ふん。お飾りめ」

 本間は鼻で笑った。現場を知らない、人を殺したこともない官憲など、組織のトップでも何でもない。まして福井県は海上防備のため、海上保安庁を所管する国土交通省のキャリア組が本部長の椅子に座っている。同省は原発の主導権を握りたい経済産業省と泥沼の権力争いを繰り広げているが、本間達ZEROにとって、それはどうでもいい。ZEROが仕えるのは警察庁警備局長であり、現場指揮官は警察庁公安総務課理事官だ。裏理事官、とも呼ばれている。この両名以外なら、ZEROはいくらでも失脚させることができる。

 無能な政治家が中国のハニートラップに引っ掛かって、セックス三昧している記録。どうでもいい官僚達がロシアの恫喝を受けて、屈服している記録。思考を放棄したマスコミ連中が、中国や韓国に女と金を提供されて、ひれ伏すザマ。

 本間はマルボロを吸いながら、紫煙を吐く。宙に現れる季節外れの、雪の結晶。

「これは、マズイ。奪われ過ぎだ。殺すか?」

 日本人科学者の中国への流出。ロシアは息をするように日本の科学技術を奪うが、中国は世界中から科学者そのものを奪っている。ここで、マルボロを深く吸い込む。

「今は、泳がせよう」

 本間は判断した。インドの節操のない人口増加で、地球は危機に瀕している。そう遠くない未来、人類は人口調整段階に入る。それでも、インドの人口は中国を抜く。人間のパンデミックによって、地球は崩壊する。であるなら、居住スペースを宇宙に求めなければならない。国際宇宙ステーションでは役不足で、火星と木星に居住するしかない。よって、中国の宇宙開発技術は優先せねばならない。チベットとウイグルへの民族浄化は目に余るが、宇宙開発が人口爆発に追いついた後、浄化に関わった者達を殺せばいい、そう文革のように。

「ほう。興味深い」

 本間はマルボロを小型焼却機で廃棄し、自分の唾液を隠しながら、新しいマルボロに火を点ける。

「まさか本命が、足元にいたとは。灯台もと暗しか」

 「文革」は本間に、一つの記録を見せていた。福井県警は福井県嶺北にあるが、記録は福井県嶺南、敦賀市、気比の松原と呼ばれる場所だった。時間帯は、昨夜。

「この女は、殺しの美学を持っている」

 本間はクスリと笑った。笑うのは一体、何年ぶりだろう。

 「文革」が本間に見せたのは、松原海岸から浸透した北の工作組。速やかに浸透した工作組は、ピットを掘ろうとして――VRスーツに身を包んだ女一人に、三人が細切れにされた。

「糸使い、か。実に興味深い」

 本間の口角が、さらに上がる。デスクトップパソコンは、モジュールで黒電話と繋がっている。インターネットは、諜報の世界で禁忌。アナログでしか、情報は守れない。

「さらに、興味深い」

 本間はマルボロを、肺いっぱいに吸い込む。顔面認識システムで女を検索したが、ヒット無し。遺伝子構造は日本人と解明されたが、正体は不明。つまり、顔面認識システムが導入される前に出生し、その後、地下に潜っていたことになる。

「正体不明の糸使い、か。殺すか殺されるか。いや、俺が殺すんだが」

 本間はホルスターからベレッタを取り出し、弾倉を確認する。消音機がホルスターに収まっているのを目視する。

「俺だ」

 本間は黒電話で、警視庁外事二課から公安調査庁へ出向している安藤警部に電話をかけた。安藤の方が本間より年も階級も入省年次も上だが、関係ない。本間の方が先に、ZEROになった。それが全てだ。

「安藤、糸使いが現れた……そうだ。マヤで追う……『文革』にさえ、この女の記録はない……。カルト教団のバイオテロで忙しいだと? 山梨のアレか……フザけるな。カルトどもに、バイロテロは不可能だ。奴等は金目当ての詐欺師に過ぎない。この女を追うぞ」

 一方的に言って、本間は電話を切った。相手がナノ素材の使い手でも、本間は負ける気がしない。SATの訓練では、格技と狙撃の教官を殺した。汗一つ、息一つ乱さずに、空挺レンジャー課程を修了した。オーストラリアのキリングハウスでは、SASの隊員を何人も再起不能にした。

 そこに、驕りが生じた。本間が謙虚だったならば、バイオテロは防げたかもしれない。

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