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    ドルゥーズ思想に関する記事

最近の記事

ハイデッガーと決断〜覚醒の思想家〜

ハイデッガーの思想における決断(Entschlossenheit)の概念は、実存論的分析の中核をなすものです。以下、決断について詳しく説明します。 決断とは、実存者(Dasein)が自らの本来的な有り方に目覚め、本来性(Eigentlichkeit)へと自己を取り戻す契機のことを指します。ハイデッガーによれば、人間実存は日常的な無人称的存在様式に囚われがちですが、不安(Angst)や死に直面することで、常套的な有り方から覚醒し、自身の有限で決定的な実存を自覚する可能性が開か

    • メルロ=ポンティと顔ヨガ

      今度は「現象学的還元」の概念に着目してみましょう。メルロ=ポンティは、ありふれた日常からひとたび離れ、事物の本質に向き合う作業である現象学的還元を重視していました。しかしその還元は一過性のものではなく、絶えざる反復が必要だと説きます。 顔ヨガを実践する際、私たちは普段無意識にしている顔の存在から一旦離れ、顔そのものに意識を向けることになります。これは一種の現象学的還元の作業と言えるでしょう。 日常生活において、私たちは顔の存在をほとんど意識することはありません。しかしヨガ

      • メルロ=ポンティと顔ヨガと「反復概念」

        メルロ=ポンティは人間の行為や表現には反復があり、その中に新しい意味や価値が付与されていくと考えていました。つまり反復の中に創造性が内在するのです。 顔ヨガを続けていく中で、同じ動作や呼吸法が日々反復されていきます。しかしその一つ一つが単なる繰り返しではなく、そこに新しい気づきや可能性が生まれ続けているはずです。 例えば、ある日の呼吸は昨日とは違う。表情筋の使い方に新たな発見があるかもしれません。このように反復による蓄積が、顔の身体性への自覚を高め、顔との対話をより深くし

        • 『メルロ=ポンティと顔ヨガ』

          現代社会で注目を集める「顔ヨガ」。これは顔の筋肉を使ったストレッチや運動によって、肌のハリを保ち、しわを減らそうというものです。一見、ただの美容法のように見えるかもしれません。しかし、この顔ヨガには、20世紀の現象学者メルロ=ポンティの思想が色濃く反映されているのです。 メルロ=ポンティは、人間存在の根本に身体性があり、身体こそが知覚と思考の根源であると説きました。身体は単なる物質的存在ではなく、世界との関わりを支える深い意味作用の場なのです。そして、私たちはこの身体を通し

        ハイデッガーと決断〜覚醒の思想家〜

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        • ドゥルーズ集
          20本

        記事

          ストアカとドゥルーズ的実践"

          ストアカ(ストリートアカデミー)とは、若者たちが自主的に集まり、学び合う場を作る活動のことです。公園や路上など、様々な場所で開かれるこの自由な学びの場は、一見するとジル・ドゥルーズの思想からは遠く離れているように見えます。 しかし、よく見ると、ストアカにはドゥルーズ的実践の側面が潜んでいるのかもしれません。 まずストアカは、制度化された教育の枠組みから逸脱した実践です。学校教育が画一的な知識を注入するのに対し、ストアカでは参加者同士が対等な立場で自由に学び合えます。これは

          ストアカとドゥルーズ的実践"

          逸脱

          「資本主義社会の超克」 ドゥルーズは20世紀を代表する哲学者の一人ですが、その思索は現代資本主義社会への強い問題意識から発していました。彼は既存の資本主義的価値観や制度に深く組み込まれた抑圧と均質化のメカニズムを見抜き、そこから逸脱することの重要性を説きました。 ドゥルーズが目指したのは、資本主義社会の垣根を乗り越え、新しい可能性へと思考の地平を開くことでした。そのためには既存のコード化された体系から離脱し、常に新たな生成変化を促す必要があると考えました。これが彼の「脱コ

          「無気力症とその克服方法」

          現代社会において、無気力症は深刻な問題となっています。私たちは日々、ストレスに晒され、疲労を感じ、やる気や意欲を失いがちです。この無気力は、仕事や人生への熱意を奪い、生産性と幸福度を低下させかねません。しかし、適切な対処方法を見出せば、この状態は克服可能です。 無気力症の原因 無気力症の背景には、様々な要因が潜んでいます。 ストレス 過剰な仕事や心理的負荷は、身体と心に大きな影響を与えます。慢性的なストレスは、免疫力の低下やホルモンバランスの乱れを招き、疲労感や意欲低下を

          「無気力症とその克服方法」

          「何故人との付き合いが増えたり深まったりするとペルソナが豊かになるのか」

          「何故人との付き合いが増えたり深まったりするとペルソナが豊かになるのか」 私たち一人一人には、多様な側面があります。ユング心理学の観点からすると、これらの側面は「ペルソナ」と呼ばれる概念で説明されます。ペルソナとは、社会的な仮面のようなものです。状況や対象に応じて、異なるペルソナを使い分けることで、自分を適切に表現し、周りと上手く折り合いをつけていきます。 人との交流が深まれば深まるほど、私たちは多様な場面に遭遇し、様々な役割を果たすことになります。例えば、友人との親しい

          「何故人との付き合いが増えたり深まったりするとペルソナが豊かになるのか」

          「さようなら不機嫌な現実、こんにちはご機嫌な現実」

          「さようなら不機嫌な現実、こんにちはご機嫌な現実」 ジル・ドゥルーズの思想は、私たちが日常的に経験する「不機嫌な現実」から抜け出し、新たな「ご機嫌な現実」を切り拓くことを促しています。 不機嫌な現実とは、慣習化された価値観やコード化された秩序に縛られた生活のことです。私たちはしばしば無意識のうちに、そうした既存の枠組みに押し込められ、思考を固定化させてしまいます。その結果、現実は単調で刺激に乏しいものとなり、私たちは不機嫌な気分に陥ってしまうのです。 しかしドゥルーズは

          「さようなら不機嫌な現実、こんにちはご機嫌な現実」

          逸脱した思考とドゥルーズ~ノマドロジー~

          「逸脱した思考とドゥルーズ~ノマドロジー~」。 ジル・ドゥルーズの思想の中核には、常に既存の枠組みから逸脱し、思考の地平を開く試みがあります。彼はこの「逸脱した思考」を、「ノマドロジー」という概念で表現している。 ノマドロジーとは、遊牧民のように定住することなく、絶えず移動し続ける思考の様式を指す。これは単なる場所移動を意味するだけでなく、思考そのものが領土化された価値観から離脱し、新たな可能性を切り拓いていく営為。 従来の哲学は、普遍的な真理を求めて一つの中心的体系を

          逸脱した思考とドゥルーズ~ノマドロジー~

          バタイユとエロティシズム

          バタイユが様々な過激な性的実践を通じて目指していたのは、単なる個人的快楽の領域を超えて、人間存在のより根源的で本質的な次元への到達であった。 すなわち日常的な自我意識や合理性から解き放たれ、主体と客体の区別が消滅するような変様した意識状態。そこでは自己と他者のエネルギー的な完全なる交わりが実現される。 社会的秩序という枠を超えて、自然界の原初的なままの姿に立ち返る。そこにおいてこそ、この世界の成り立ちや人間存在の真理への接近が可能になる、とバタイユは信じていた。 したが

          バタイユとエロティシズム

          「ドゥルーズ 日常からの逸脱〜脱コードについて〜」

          ジル・ドゥルーズの思想の中核には、日常的な秩序や規範から逸脱し、新しい可能性を切り拓くことが重要視されている。彼はこれを「脱コード化」と呼んだ。 私たちは日常生活の中で、さまざまなコード化された体系や習慣に縛られている。これらは思考の自由を制限し、新しい創造性を閉ざしてしまう。ドゥルーズが目指したのは、こうしたコード化された秩序から逸脱し、思考の地平を開くことであった。 この脱コード化は、単に既存の枠組みから離れることではない。日常的な営みの中に潜む秩序や価値観そのものを

          「ドゥルーズ 日常からの逸脱〜脱コードについて〜」

          生の更新と「強度」の思想

          ジル・ドゥルーズの哲学は、既存の枠組みを超え、常に新しい可能性を生み出そうとする「更新」の思想です。彼はあらゆる固定化された体系や価値観に反旗を翻し、思考そのものを絶えず更新し続けることを目指しました。 このドゥルーズの更新の思想には、「強度(インタンシテ)」の概念が深くかかわっています。強度とは、私たちの日常的な習慣から我々を引き離し、思考の常態を揺さぶる出来事や経験のことです。芸術作品に触れたり、新しい出会いがあったりすることで、私たちの内側に強度が生じるのです。 強

          生の更新と「強度」の思想

          ドゥルーズと超人思想

          「ドゥルーズと超人思想」 ジル・ドゥルーズは20世紀を代表する哲学者の一人である。彼の思想はニーチェの影響を強く受けており、特に超人(Übermensch)概念と深くかかわっている。 ニーチェが超人を理想の人間像として提示したのに対し、ドゥルーズはそれを絶対的な目標ではなく、常に変容し続ける過程そのものとして捉えなおした。つまり、超人とは到達点ではなく、新しい可能性を絶えず生み出し続ける運動なのである。 ドゥルーズにとって、超人とは既存の価値観や規範から自由になり、自己

          ドゥルーズと超人思想

          明石家さんまとドゥルーズ

          一見、お笑い芸人の明石家さんまと、フランスの難解な哲学者ジル・ドゥルーズを結びつけることは不自然に思えるかもしれない。しかし、さんまの芸風とキャリアを retrospective にドゥルーズの思想から読み解いてみると、意外な親和性が見え隠れするのである。 さんまの芸風の特徴は、常に予測不能で不稽な展開にあった。彼のトークはつねに常識や期待の域を越境し続け、観客を驚かせ混乱させてきた。まさにドゥルーズが説く「出来事」の発生という側面が表れていると言えよう。出来事とは日常の規

          明石家さんまとドゥルーズ

          デビッド・ボウイと生成変化

          20世紀後半を代表する音楽アーティスト、デビッド・ボウイ。彼の軌跡を追えば、ジル・ドゥルーズが説いた「生成変化」の思想を体現する好例を見出すことができるだろう。 ボウイは常にスタイルを変え、ジャンルの垣根を越境し続けた。グラム・ロックの頃のアンドロギナスな姿、ブルーアイズでソウル・ミュージックに挑んだ時期、電子音楽と前衛芸術に傾倒した時など、彼のパフォーマンスは立ち止まることを知らなかった。ファッションやメイク、ステージングにいたるまで、あらゆる側面で変容を繰り返していった

          デビッド・ボウイと生成変化