原稿4000文字2日目

 2024年5月31日
・これはそもそもが人に読ませる文章ではない。
・これはリズムを得るための文章なのだ。
・誰が受け取るのかもわからない宛先のない文章なのだ。
・絵のある生活。
・そもそも私が何故ドゥルーズや坂口恭平などを読んでいるのかというと私は何かを制作したいという欲求はもっているのだが甚だそれも漠然としている。
・制作することは快楽であり、美的生活であり、人間の根源的な欲求である。
・主体は毎日のリズムから生まれる。そのリズムから生成変化が生まれる。
・毎日筋トレする。毎日自分でやると決めたことをする。そこに意味はないかもしれないが、毎日継続することによって主体は変化していく
・私は主体を変容させようと今度は毎日原稿を4000文字書くことにしました。朝の1時間くらいかけて書くつもりです。これは私なりの文章を書く上での筋トレのようなものです。
・筋トレは重量を重くしていくことで筋肉の増大を図り、筋肉を強くしていくものである。
・音楽と筋トレの共通点は何か?音楽もやればやるほど音楽筋がつくということだ。まずはコード進行を覚えたり、スケールを覚えたりする。
・音楽的センスとはなにか?それは彼らの中に蓄積された何かである。あるいはあなたはブラックサバスが好きかもしれない。ニルヴァーナが好きかもしれない。彼らの音楽から何かを抽出して自分のストックとして持っておくかもしれない。
・ロックは単音のリフであり、コード(和音)のリフであり、時にアルペジオであり、リフの間に炸裂するソロプレイである。そして何よりもグルーヴである。縦のノリであり、横のノリである。これがいわゆるロックの「コード」である。時にコーラスが入り
・あるいはキングスオブレオンやストロークスのように単純なコード進行の上にリフを重ねていく方法もシンプルで原点回帰という意味では生成変化の成すところだ。
・あるいはムンクの絵を見てみよう
・あるいは私は絵を描く。線を探る。山の線を探り、太陽を象り、川を探る。
・あるいは私はコードを弾き「線」を探る。
・あるいは私は日本拳法をやり必勝パターンを「探る」。
・私には決まった勝ちのパターンがあった。それは左ジャブからの大外刈りだ。左のジャブで推進して相手の顔面に一撃入れ、(これは特に相手にダメージをあたえなくてもいい。)大外刈りの間合いに入る。そしてあとは「力」でなぎ倒す。
・私あるいは経験主義者なのだ。
・手で語りたいのだ。

・行ってないところに行ってみる、というのは例えば英雄の内在性であったり、ユダヤの王のそれであったり、はたまた残虐の限りを尽くしたネロであったりする。日常から脱」することはその場でもできる。
・俳優はしばしばというか演じる時にはその人の外部要因や信実やらに肉迫していかなければならない
・芸術家は何故自然を描くか?憧れからか?

・2024年6月2日
・小説のアウトライナー。
・まずはどのような小説にしていくかという問題。
・一人称なのか3人称なのか。そもそもその違いってなんなのか。
・現代人にとっての出来事とは何か。
・現代の若者の風俗とは一体どういうものなのか。
・作家たちはどのような作品を描いているか。三島由紀夫文学賞や萩原朔太郎賞や芥川賞はどのような作品を輩出しているのか。そこに現代の文化が表れているのか。
・主人公は古代部族の生贄でそこから脱出した。
・まずは主人公
・多重録音のようなもの。すなわち同時並行的に音楽や絵画をやることによってそれらが有機的に結び付き合い新たな気づきや結びつきが起こり生成変化が促されるということ。
・ヘタウマ理論。ヘタウマがひとつの価値となり、市民権を受け入れられていくのはどのような過程を経ているのか
・レヴィナスは倦怠を他者との関係が消耗しきったところで起こると考えた。ここでいう他者とは外部の世界や環境のことだ。私たちが倦怠を催して鬱病になるのは「毎日が同じことの繰り返し」として現れるからだ。
・どうすれば私たちは他者へと開かれるのか?シンプルに行動しかない。大きな行動」か持続的ながら小さな変化を生成していく「小さな行動」によるしかない。
・人間はどうしても他者が必要である。友や師や恋人がいる中で人々は
・自分を病める者として規定し、治者として己を癒すメディシンマンになるということ。自分自身が自分の薬になる。
・カルティベイトする。耕す中でリズムが生まれる。
・ディスジャンクション。善と悪だけでなくその中間である価値があってもいい。勇敢と卑劣。受動と能動。 
・問題はどのように魂に配慮していくか、ということ。何故私たちは病むのか。美しいものに触れればそれはある種の魂への配慮にはなる。
あるいは孤独だから病む。将来への悲観から病む。病むとはどういうことなのか。孤独であるから病む。孤独=ソリチュード(solitude)
・結局人と繋がる作法が現代には希薄である。それであるからその作法を仕組化することで人は救われる?
・結局俺が今考えていることは救済論(人はいかにして救われ得るか、ということ)救われるというのはどういう状態なのか。いろんな要素がある。いわゆる幸福になるための論理。経済的に安心ができる。コミュニティがある。自己成長ができているか。親孝行ができているか。
・そういえば俺全然親孝行できてない。
・実家に帰省することが親孝行なのか。たまには寿司屋に連れていくことが親孝行なのか。焼肉屋に連れていくことが親孝行なのか。親孝行とはそもそも何か。親が喜んでくれるから親孝行なのか。孝行とはそもそもどのような概念なのか。
・おおみやのおしえにしたがうことが親孝行だった。すなわち昔は石板があってその石板のみ教えに従っていればそれが親孝行だった。現代人には石板がない。私たちは先祖の伝説をしらず、古典をしらない。
・古事記はある意味日本人にとっての石板、ワンピースで言うポーネグリフのようなものなのかもしれない。
・結局金なんていくらあっても「学ぶ快楽」に比べたら消費する快楽など飽きて退屈してしまう。消耗してしまう。そこには快活な生というものはない。
・ポモドーロテクニックによってリズムを作っていく。文章を書く時間。絵を描く時間。

・10分作曲方法。キーを決める。そのあとコードの響きからコード進行を決める。アルペジオで探ったり、パワーコードを使ったり、コードを外したりして大まかな音源をつくる。そしたら次は鼻唄まじりで歌う。これを繰り返す。構成も考える。
イントロ→aメロ→サビ→bメロ→エンディング

・10分という制限をもうけることで創造性を燻らせる。有限化することによって創造を促す。俳句の五.七・五のようなもの。わざと文字制限を持たせる。
有限の哲学。ジャックホワイトの音楽みたいなもの。
・保田与重郎の文学について。その前に文学とはそもそも何か。文学はある種の多義性を持たせることであり、多声性を持たせることによって人々の心情思想を表現すること。
・保田与重郎の文学観というのはある種の系譜によって彩られている。
・近松然り、芭蕉然り、
・センスの哲学はある種の制作論。素人の人間がどのように生活と芸術を結びつけるかという問いから発している。
・我々の時間というのは限られている。その限られた時間の中でいかに世界にコミットできるか。他者とコミットメントできるか。でタッチメント。
・とにかく毎日反復することが重要。毎日持続させる。そしてその反復の中から生成変化を認識する。反復と差異。結局毎日
・デタッチメントという映画が表現したものは何だったのか。
・これは保田与重郎や柳宗祇も言っているが生活と芸術が昔は一体になっており、生活の中に芸術が息づいていた。いうなれば自分の使うものは自分でつくり、そこに自身の美学を落とし込んでいた。
・45分で小説を描く。この与えられた時間のなかで主人公の「出来事」を描く。45分でとりあえず完成させる。45分で出来たならばとりあえず次は90分。これもある程度のコードを決める。そのコードの中でどのように逸脱していくか。センスの哲学で言うところのユーモア。深く掘り下げるのが

・家にかかる費用。とりあえず頭金。4000万の家を買うとして月々いくら払っていくのか。固定資産税はいくらかかってくるのか。ファイナンシャルプランナーはどんな情報を持っているのか。ボーナス払いはどうするか。
どの土地に買うのか。人間関係はどうなのか。
・現代のロックについて。現代のロックがどのようなことを表現しているか。クイーンズオブザストーンエイジはどのようなことを表現しているか。

・結局水脈を当てないことには文章のオリジナリティというのはでてこない。今はまだその鉱脈を掘っていくしかない。
・文章というのはそのようなものだ。ある種の物差しであり、実存の手段であり、方法だ。
・人はそのようにして言語を運用して現実に対処していく。
・私が読みたい本は何か?私が読みたい本というのは硬派なゴリゴリの文学書であり、生活に役立つ哲学書であり、農業論であり、暮らしの書であり、ロックの可能性と今、であるしとにかく読みたい本はたくさんある。
・自分が読んで楽しい本を作る。
・私はどのような本を読みたいか。

 ・おもしろくて悲しい話が出来る人。
・たんぽぽは種を風によって飛ばし四方へ自身の子孫を残す。
・享楽とは苦痛と快感を伴うもの。(ジャックラカン)死を賭して昇る登山。ハードなSMプレイ。格闘。自己変容の手段。

・ラカンは実在界というのを考えていた。わたし達は普段象徴界を生きているが、それは本来の実存ではない。
 
 ・わたし達は引き離されている。自分自身から。自然から。だから私たちはリンクせよと言う。
 ・リンクする。というのは私と他者と繋がること。
 ・芸術を介して神話とつながること。芸術を介して歴史と民族に触れること。
・棟方志功はその点生命の根源を想起した。それは近代人が失った驚嘆であり、歓喜であった。


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