現代人はいかにして自由たりえるか

私たちは如何にして健康的な心身でありえるだろうか。
 現代人はいろいろな方法を駆使して自由。
 テクノリバタリアンという人種がいるらしい。という話。テクノロジーを駆使した自由主義者といったところ。イーロンマスクしかり。
 
 私は楽しむことを忘れた存在であり、逸脱した文章を書く。これは排泄のような代物で、現に私は排泄をしている。人間排斥をしなければならない。排泄を、することにヨって人は健康になる。毎日ぶりぶりやるのがいい。
 私が安定した存在になるのも排泄をしているからだ。ドゥルーズでさえ排泄により逸脱しろと言っている。私は高邁な文章は書けない。
 私はメルロ=ポンティにもなれやしないし、ドゥルーズにもなれやしない。私はただの物差しであり、眼鏡であり、人科だ。
 世間では核汚染水。
 私は私の哲学を信奉している。私は自分の頭でないならないなりに自らに問い、答えらしきものを導いていく。そこに信念があればなおいい。
 
 私は「その場での旅」をどのようにするかが問題だと思う。私はその場で精神を広く飛翔させ、経験に心身を浸したい。そして主体の変容がどのようなものなのか、認識したい。
 「その場での旅」は学びである。旅は学びなのだ。
 私はゆっくりしたい。ただ風呂に入り、筋トレをして、ゆっくりしたい。

 生成変化について書こうと思う。雲というフィギュールを使って。雲の起源がいつから始まったかはわからないが
 
・龍が如くと欲望の話
 龍が如くにおけるヤクザたちがなぜ凌ぎを削って、権力や金や女を巡って上に登ろうとしているのかがわけがわからなかった。何故か。私にはそのような欲望はないと思った。いや欲望がないというよりは私は環境や条件によってその欲を持つことができないでいるのだ。出世のシステムにのりきることが出来ずに。欲望は環境によって抑圧され、剥奪される。未開民族が「冷たいコーラが飲みたい」と欲望を抱かないのは彼らの文明にそもそもコーラとい商品がないからであり、商品がないことには欲望も起こり得ないのだ。
 
・メリハリのある女達
 彼女達は仕事に学びに趣味に充実させているらしい。彼女らはコミュニケーション能力にたけていて、自分の世界を拡充し、深化させていくことに関しては現代の男たちよりはよっぽど活動的である。ゆえに2024年現在の女性の未婚率は14.1%.男性が23.4%にものぼるという。彼女らは自分の時間を有意義に使うことに「自由」を感じて心身ともに充実している。彼女たちは予定が入ってないことを嫌う。土日はなにかしらの習い事が入っていなければ気が済まないのだ。結婚すれば自分の時間などなくなる。子供の世話に追われる。趣味の時間もなければ自由時間もなくなる。そして彼女たちが今日の日本の文化を作っている。

 ・わたしはいかにして欲望に振り回されずに過ごせるか。


⭕️弱体化していく日本人はいかにして覚醒していくか?
 2024/05/19(日)
そもそも自由の起源は何処にあるのだろうか。「自由」。自由とは思考の自由であり、経済的自由であり、身体的自由(拘束されない自由)であり、政治的な自由である。わたし達はそのようにして自由を考えてきた。
 ルソーは自由にも義務と責任が伴うと考えていた。私たちは「共同体」に属している。地域社会(地理的共同体)や血縁、民族、宗教、職業、趣味
 をもととした紐帯がある。

 ルソーは近代的自由を考察してきた思想家だ。
彼は一般意志についてこう定義している。
「一般意志とは、共同体全体の利益や一般意志を表す意志のことである。」
 すなわち万人が利己的に動いている限り、私たちには自由は訪れないのだ、と。
 
ルソーは次のように考えていました。

  1. 人間は「自然状態」において完全な自由を享受していた。 しかし文明社会の発達により、私有財産制度や権力が生まれ、自由が失われてしまった。

  2. 真の自由とは、単に拘束されないだけの「物理的自由」ではない。 「市民的自由」すなわち、法による支配に従うことで実現する道徳的自由こそが重要である。

  3. 人間は社会契約によって汎人的意思である「一般意志」に従属することで、真の自由を獲得できる。 一般意志に服することは、自らに従うことであり、自由の放棄ではない。

  4. 人民主権が確立され、人民がつくる法律に従うことで民主的自由が実現する。 ここに「自然的自由」から「市民的自由」への飛躍がある。

つまり、ルソーは自然状態の無秩序な自由ではなく、人々の一般意志に基づく法治国家の中での自由こそが真の自由であると説いたのです。この考え方は近代的な自由観、民主主義思想の源流となりました。

トマス・ホッブスの著書『リヴァイアサン』(1651年)は、近代国家論および社会契約説の極めて重要な古典的著作です。その主要な内容は以下の通りです。

  1. 自然状態論
    ホッブスは人間の「自然状態」を"万人の万人に対する闘争状態"と描きました。自己保存の権利のみが認められ、自然法以外の権利義務はありません。この状態は「万人の戦争」となり、生命への脅威があります。

  2. 社会契約説
    人々は絶対的なる権力者(主権者)に服従する契約を結ぶことで、自然状態から脱することができます。主権者には絶対的服従が求められ、反逆は許されません。

  3. 主権国家論
    この主権者として君主に権力を集中させることで、初めて平和と秩序が実現します。主権者の絶対権力が国家を作り上げ、人々に自由と安全を保証します。

  4. 国家と宗教
    国家の権威は宗教にも及び、主権者が宗教の最高権威者となります。統治権と精神的権威が一体化しています。

ホッブスはこのように、強力な中央集権国家による支配を正当化する理論を展開しました。自然状態からの脱却と平和実現を最優先し、自由よりも安全を重視する立場が特徴的です。近代国家の理論的基礎を与えた重要著作と評価されています。


Q人間は私有財産制度を作らなかったらもっと自由になっていたか?
Qそもそも貨幣がなかったら権力も発生しなかった?
 
 

鴫たつ沢に俺は来て夕陽を眺めてみた。
大和川が俺の中に流れてきた。
俺の中にリズムが生まれて俺はダンスした。
スズメと鶯と彼らの音楽の中で。
おれの文章は俺を留めておくための文章ではなく
ただの排泄物なのだ。自由主義国の中で垂れ流される信念なき
言語の数々。
「助けて」もない。「死者」声もない。生者の声もない。
ひとりぼっちのお前。金が欲しくて、権力が欲しくて
言語システムから逸脱。しかし型もなくしていつだつしてどうするんだ?
 
 物語。線。リズム。あんせ

 ・なぜかくも頭金なしで家を買う人間が増えているのか。

・何故リズムが大事なのか2024年5月20日2126
私たちは日常生活の中で今日はなんとなく「充実した一日だったな」とか「今日は全然ダメだったな」などと感じることがある。前者はリズムが良くて充実したのだと思う。もっと言えば「強度」がよかったから私たちの主体が前の自分とは違うものになったからそこに成長を見出して脳下垂体からドーパミンがドバドバとでて充実したのだといえる。「強度」は私たちの思考や行動を変える「出来事」のことである。この出来事ゆえに私たちは退屈をせずにすむ。消耗は卑劣だが、退屈は時に私たちを「他者」のもとへと赴かせる。「他者」とは思考であり、死者であり、無であり、生者である。
 私たちの多くは「労働」をやり、労働が終わったら家族の時間を過ごすか自分の時間を過ごす。
 私は時間の使い方、時空間にビートを刻め、と言っている。25分間なら25分間書く。その次は描く。その次は奏でる。そのようにして多様な活動に己を開いていく。そしてそのサイクルができてくると体の中でエンジンが始動し始めて「外へ出る」ようになる。「エクスタシス」のことである。
 「外に出る」ようになると私たちは地味ヘンドリックスさながらに酩酊しながら「他者」と交わることができる。それはカメラのように対象を切り取り、コミュニケーションを図る。
 しかしこのようなジミヘン状態に持っていくにはサイクルを回さなければならない。自家製のコカインを作るようなものである。
 私は毎日4000文字の原稿を書こうとしているがそれも掘削作業で穴を穿って穿って何かを掘り当てるため、(「これも他者と出会うため」)やっている。「生成」のエンジンはサイクルさせ、リズムを刻まなければ始動しない。
 私は近代人は何故不幸になるかを考えたときに歴史から風景から切り離されているからだ、という風に考えている。私たちには松尾芭蕉が内在化していないし、西行も、藤原定家が何故古今和歌集を編纂したかもわかっていない。
 「外へ出る」ということは他者に出会い続けることでもある。他者は私たちを変容させる。

・コードを覚える。新しいコード進行を「勉強」によって覚える。
・保田与重郎とドゥルーズ。この二人には共通点があるか?
・保田与重郎は歴史と風景。もしくは述志の文学であるのに対し、ドゥルーズの哲学は「外に出る」ことを目指している。
・風景は壊されるものではなく、共に時間をすごしていくものである。
・太宰治は何故私たちを惹きつけたのか。それは彼が弱かったからだ。彼は人間の弱さを曝け出し、私たちに開陳した。私たちはその弱さに共感した。
・新しいコード進行を見つける。
・ニーチェの超人概念は絶えず新しい価値を見出すことのできる人間を念頭に置いている。
・価値は固定されていない。価値は「仮固定」的である。真理もまた然りである。
・郵便。私はおばあちゃんにこれを書く。
・私たちは祖父を失い、祖母を失い、弔うことを失った。すなわち時間感覚を失った。
・モバイルハウスなど作らずとも人は自分で小さな家を建ててくらせばよい
・手の思想。口を動かすな。手を動かせ。手首から上の運動。
・生活に口はいらなかった。
・私たちに必要なことは毎日のリズムであり、それが主体性と呼ばれる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?