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見守ってくれている人

もうやだ! わあああああああん!!!

ってなること、ないですか?! 笑

まあ、めったにはないのですが
子供がジタバタするみたいな気分になることがあります。
そういう時はあえて、
バタバタします。
というか、させてあげます、自分に。

昨日の午前中、まさにそれで
ずっともやもや考えて、どうにもすっきりしていかないことがあり、
いや、その時その時ですっきり明るい気分になるようにしているのですが、結局そのもやもやに戻る・・・
みたいな状況で。
きのうもなんとなくもやもやしているところに、
思わぬところで、頭をガッツーンとぶつけ

なんでやもー! わあああああああん!!!
っとなったわけです。
こういう時は思い切って発散する。
あえて、幼稚園児かよ、状態で。

そしてオラクルカードを取り
(こういう落ち着かない時はホントはやらないほうがいい)
ガシガシガシガシ、カードを切っている時に
ふと「もしかしてあれが出る?」と思ったものが
ポーン!と飛びだしました。

アッシジの聖フランチェスコ、出た。
この人は、折に触れて私を励ましてくれるといいますか
「見守ってる」というような感じで、出てきます。

話は逸れますが、こんな聖フランチェスコは見たことがなくて
キリストがどっかの新興宗教の服着てるみたい。
小鳥に説教したり、狼を諭したり、動物がらみの逸話が多い人なのだけど、
なんでハスキー? 猫みたいのはイリオモテヤマネコ??
そして後ろの雪山はいったいどこ? アッシジの山じゃないんだけど。
・・・と、ツッコミどころ満載の絵です。

***
さて、今日10月4日はアッシジの聖フランチェスコの祝日です。
昨日3日が彼の命日で、今日が聖人の日なんですね。

イタリア人と文通を始めたころ、聖人カレンダーを送ってくれて(小さいカードのようなもの)、365日それぞれが聖人の日になっているのを知りました。

アッシジと聖フランチェスコについては、2年前にいっぱいnoteに書いたので、ここではあまり書きませんけれども、
裕福な生まれだったのに財産を捨て、キリストの生き方に習おうとした人で、イタリアの守護聖人です。
アメリカのサンフランシスコという町の語源になった人ですね。

まるで物置のように、書き散らしたものをマガジンに突っ込んであります。

イタリア語学校に3ヶ月通ったときに滞在した町、アッシジの生まれの聖人で、私のフランチェスカという名前は、フランチェスコの女性名です。
意味的には「フランス人」という、中世イタリア人としては変な名前(現在では普通にいます)。

スピリチュアルな話になりますが
この人とはとても縁が深いようで、
以前はよく、私が落ち込んだりした時に励ましを送ってくれてました。
どうやって送ってくるかというと
「T」という文字が目の前に現れます。

「T」とは、ティーではなく「タウ」で、ヘブライ語あるいはギリシア語だそうです。
フランチェスコはこの印で人々を祝福し、手紙にサインをする時にも好んで使っていたので、いまでは「フランチェスコの十字架」とも言われ、フランシスカンの象徴になっています。

アッシジにいっぱい売っているタウのペンダント。
と、ちまちま描いた薔薇窓。ゆがんどる・・

どう目の前に現れるかというと、たとえば
ある時、すっごく落ち込んでどよよ~んとしていたとき
私は駅のホームのベンチに座って、目線を地面に落としていました。
そうしたら、新宿タカノ・フルーツパーラーの紙袋を下げた人が目の前を横切っていったのです。
新宿タカノのロゴはTで、もちろんタウじゃなくて英語のティーなんだけど、
そのロゴが書いてある紙袋は、地面すれすれに下げられていて
下を見ている私の視線に入ってくる低さで、目の前をスーっと流れていきました。

これって、他の人からしたら「だからどうした?」なんだけど
私の意識のツボにはポーン!と入ってきて
あ、励まされてる・・と思うわけです。
「おーい、見ろよ〜」と無理やり視界に入ってくる感じが可笑しくて思わず笑ってしまい、なんだか元気がでたのを覚えています。

また、なにか悩んでいたり、もやもやと頭で考えながら歩いているときに「T」の文字が大きく書かれた看板が目に入るとか
いろいろな時に突然「T」の画像が意識のなかに入ってきます。
そうすると、励まされてるな~と思うわけです。

思い込みとは思えない、ご縁の繋がりを強く感じることも時々おこって
自分でも再確認させられることもあります。
以前noteに書きましたが、数年前の代官山蚤の市でのこと。

アンティークの小さな写真立てが、ケースに差しこむように入れられていて、たくさんある中から何気なく1つを引っ張り出したら
アッシジの教会の中に立っている、私の好きなフランチェスコの銅像の写真が入っていて驚きました。
たくさんあるお店のひとつの台にあるケースの中の、さらにたくさんある写真立ての中から、その写真を引っ張り出す確率ってどんだけ?!
と笑うしかなかったです。
確率の問題じゃなくて、ご縁の問題なんですけどね。

目に見えなくても見守ってくれている存在は誰にもいるわけで、それを特に意識せずに日々生きている人のほうが多いかもしれませんが、
私はなぜかサインを受け取ることがよくあります。
あまりに頼りないので、ほうっておけないのかも?

今日は特別なミサなど行われているはず。

書くこと、描くこと、撮ることで表現し続けたいと思います。サポートいただけましたなら、自分を豊かにしてさらに循環させていけるよう、大切に使わせていただきます。