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『偶然の一致』と「聖なる予言」

シンクロニシティという言葉を聞いたことがあるでしょうか。
共時性といわれたり、『偶然の一致』といわれたりもします。

物事には何か意味があって起こる。偶然のように見えるけれども、なにか必然なことが起こっている。そんなことを感じ始めたのは90年代の中頃でした。
当時発売され話題になったのが、ジェームズ・レッドフィールドの小説「聖なる予言」です。
日本での初版は1994年。
書店では平積みにされて、気になって手に取ってはまた戻したりしていました。

そんなおり、イタリア好きの仲間3人で集まった時に、1人がこの「聖なる予言」をプレゼントするから是非読んでと手渡してくれました。
ものすごくびっくりして、「読もうと思ってたから」とその場で代金はお支払いしたのだけど、これこそ「必然」で「これは読めってことだな」と思いました。読み始めたらすぐに『偶然の一致』という言葉が出てきて興奮してしまったのです。

この本はジェームズ・レッドフィールドが初めて書いた小説で、「自分の自己発見の過程を振り返って、それを九つのインサイト(知恵)を発見し悟ってゆく冒険小説の形」で書いたそうです。
最初は精神世界に興味のある人々に読まれていて、その人たちがそういう世界にあまり興味のない身内や友人にも勧めやすいと、一人で何冊も買うようになったとのこと。
まだスピリチュアルという言葉が使われていなくて、書店の棚は「精神世界」とカテゴライズされていた頃のことです。

『偶然の一致』というのは例えば、自分がちょうど考えていたことを目の前の友人が話し出したとか、何か疑問について考えているとき、書店でたまたま開いた本のページに答えが書いてあったとか、そんなことです。
以前、ダライラマに会いにローマに行った話を投稿しましたが、この時情報を得ようとラジオをつけた途端そのニュースが始まったことを書きました。

こういうった事が頻繁に起き始める時は、自分が見えない流れに乗っていると強く感じます。それがどこに向っているかなどはわからないけれど、自分の状況(波動)は悪くないぞ、と思えるのです。

「聖なる予言」は、南米のペルーの森林で古代文書が発見されたという話から始まります。そこには人生の意義に触れた九つの深遠な知恵が記されていて、主人公の「私」は『偶然の一致』に導かれるようにペルーに行きます。その知恵は、さまざまな出会いの中でひとつづつ見出されていくのです。

なんて書いてますけどね、内容ほとんど覚えてなかったんです。
今朝急に思い立って取り出してみたら、当時とはまた違った感覚で読み進められそうでした。
主人公の「私」は昔の恋人シャーリーンと再会し、ペルーで見つかった紀元前600年に書かれた写本についての話を聞くところから始まります。

「説明するのは難しいわ。でも、神父さんはこう言っていたわ。第一の知恵は、私たちの人生での『偶然の一致』に気がついた時、始まるんですって。
 彼女は私の方にぐっと身を乗り出した。「あなたは何か、自分のやりたいことについて、予感とか直感を感じたことがない? 人生の進路についてはどう? そして、なぜ、そんな感じがしたか、不思議に思ったことはなかった? そのあと、そんなことはすっかり忘れて、他のことに夢中になっていたのに、ある時、誰かに会ったり、何かを読んだり、どこかへ行ったりしたのがきっかけで、望んでいた方向に導かれたという経験はない?」

「聖なる予言」

「神父さんによれば、こうした偶然の一致は、どんどん頻繁に起こるようになって、ついに、単なる偶然を越えていると、私たちは思い至るんですって。まるで、何か、説明できない力に、私たちの人生が導かれているかのように、それが運命づけられていたと感じるの。・・・・そしてこれが、私たちが垣間見ては、何とか、ずっと味わいたいと思っている体験なの。そして、この不思議な動きは本物で、日常生活の水面下で起きている何か意味のあることだと確信する人たちが、毎日増えているんですって。この気づきが第一の知恵なのよ。」

「聖なる予言」

こういった偶然の一致に気づく人が急激に増え始るのは1960年代で、次の世紀(つまり今世紀ですね)が始まる頃に臨界点に達するのだといいます。
そうすると「文化全体が、この偶然の一致を真剣に考え始める」と。

「私たちは集団として、地球上の人間生活の下に、どんな神秘的なプロセスが隠れているか考え始め、そして、十分な数の人々が、同時にこの問題を考えるようになると、他の知恵が次々に意識に浮上してくるの。」

「聖なる予言」

しかし、この写本について、政府や多くの聖職者が厳しく禁止しようとし、写本を支持する者を消そうとします。
宗教組織にとって、物事の真理があきらかになるのは都合の悪いこともあるので、歴史の中で幾度もそれを妨害することが起きてきたといえますよね。

すっかり内容忘れているので読み返してみようと思うのですが、2023年の今、これを読み返すのには意味があるような気がします。
「次の世紀(21世紀)が始まる頃に臨界点に達する」と引用しましたが、それは当たっていると思います。2000年を境に、精神世界に興味を持つ人が急激に増えました。
そしてこのほんの数年で、「スピリチュアル」という言葉がいろんな誤解も含めて一気に広まり、それと同時に日常生活の中の目に見えない部分で、とても霊的な世界が動いていることに目を開く人達が増えていると感じます。

ちなみに初めて気づいたのですが、この本の中でいう「偶然の一致」とは、synchronicity(=共時性)ではなく、coincidence(同時性、符号すること)が使われているそうです。
synchronicityシンクロニシティという言葉はユングが使っていたそうですが、私個人としては似たようなものかなと、ざっくり捉えています。

なぜいまこの本と、偶然の一致のことを書こうと思ったかというと、最近シンクロについて身近で話題になったこともありますが、ゆうべすごいシンクロが起ったからです。
SNSでたまたま知人(1度しかあったことはない、O-GetsuRyu | 桜月流 美剱道 の宗家)の投稿で、お弟子さんがテレビ番組で天草四郎の役をやると書いてあり、その写真が載っていたのです。
時計を見るとちょうど番組をやってる時間で、始まって40分もたってるから終わっちゃったかなとテレビをつけたら、まさにその写真のシーンがバン!と出て、
ぎゃー! シンクロ、怖っっ!!!
と思ったのでした。

ちなみに番組は「世界の何だコレ!ミステリーの現場直撃」で、私の見た写真も載っていました。
天草四郎は、じつは作られた人物像だったという話です。
いまマグダラのマリアの本も読んでいるのですが、歴史ってこういう話で溢れている気がします。

余談ですが、刀や武士、殺陣などお好きな方は、桜月流 美剱道 のサイトを見るといいかも?

「聖なる予言」に興味を持った方は、文庫も出ていますし、続編の「第十の予言」も出ています。
ちなみに翻訳は、精神世界関係の翻訳でおなじみの山川絋矢・亜希子夫妻。イタリアのアッシジや聖フランチェスコにも縁が深く、昔手紙で少しやり取りをしたことがあります。

書くこと、描くこと、撮ることで表現し続けたいと思います。サポートいただけましたなら、自分を豊かにしてさらに循環させていけるよう、大切に使わせていただきます。