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誰かのこつこつのお陰で生きている

毎年思うことなのですが、1月って長いです。
お正月がはるか昔のような気がするのですが、なんででしょう。

元旦に、うちの前のバス通りをバスが走っているのを見ると毎年「お正月からお疲れ様です」と思います。
バスだけでなく電車もお店で働いている人も、ほんとにお疲れ様です、と。
働いている人の中には「正月暇だし、働いてるほうがいい」という人もいるかもしれないけれど、それでもね。

通勤ラッシュの時間に電車に乗らなくなって久しいですが、朝から通勤している人の群れ(という言葉は語弊があるかな)を見ると、なんだか頭が下がる思いになります。
本当にお疲れ様です。皆さんが通勤して働いてくださっているおかげで、社会が動いて自分は生活できています。

通勤している人の中にはもちろん「よっしゃー!今日もやるぜー!」という元気な人もいるでしょうが、「疲れたな〜、今日はあれやんないとな〜」とどんよりしている人もいますよね。
私は自分が通勤ラッシュで疲れたし、毎日毎日通勤することが本当は向いていないのに何十年もやっていたから、なおさら自分を投影してしまって「お疲れですよね」と思ってしまうのです。

ライフラインも食料も着るものも趣味のものも誰かが作って流通してくれて販売してくれるので手に入っているし、ゴミを集めてくれる人がいなかったらえらいことになるし(どっかの国でストがあって、ゴミがすごいことになったことありました)、そう考えると、なんて多くの人に自分の生活は支えられているんだろうと思います。

なんでこんなことを書いてるのかというと、先日も書いたドラマ(漫画)の「ミステリという勿れ」でね、そういうセリフがありました。
(以下ちょっとネタバレします)
小さな町工場で働いている女性が同じ職場だった男性に「毎日毎日バカみたいにこつこつと同じことの繰り返しでやってられねえ。おれは大陸にいってもっと広い世界で生きるんだ、ざまあみろ」と言われて腹立ててるんだけど、
主人公が、「彼は自分でいかだでも作って大陸に渡ったんですか?」って聞くの。
毎日こつこつ時間を守って動かす人がいるから、飛行機や電車は動くんだけど。
いろんなところでこつこつやってる人のおかげで無事に過ごせている。
「あなたもそのコツコツ働いている人の一人で、それ、何か悲しいですか?」と。

それを読んでいて、思わずうんうんと頷いて、元旦のバスの運転手さんを思い出していました。
当たり前すぎて、忘れてしまうんだ。そういうこと。

昔、作家の山田詠美がエッセイの中で「仕事には貴賎はない。でも人にはある。」と書いていたのがいまだに印象に残っています。
なんの話のつながりだったかはっきり覚えていないけど、掃除の仕事を見下すような人の話だったのかもしれません。
仕事に尊いものも賤しいものもない、でも人にはある。
その書き方が強烈で、スカっとしたのです。

山奥で自給自足でもしていないかぎり、今日も見知らぬ誰かのお世話になっている。
それがとても有り難いです。
そうやって感謝の気持ちが湧いてくる自分は今、
ココロの調子はまあまあだな、と思います(笑)。

書くこと、描くこと、撮ることで表現し続けたいと思います。サポートいただけましたなら、自分を豊かにしてさらに循環させていけるよう、大切に使わせていただきます。