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真実はひとつなんかじゃなかった。

ゆうべからフジテレビで始まったドラマ「ミステリと言う勿れ」を見ました。
前から何度も予告編を目にしていたけど、見たいという気は全くなかったです。
でも昨日の昼間、たまたま書店で原作のコミックスが平積みにされているのを見て、描いているのは女性で少女漫画(この呼び方ってもう間違っているのかな)なんだと知り、ちょっと読んでみたいと思ってしまった。
それで、録画してとにかくドラマのほうを観てみたら・・
ハマりました。

なんだか、菅田将暉演じる主人公のととのうの洞察力にどんどん引き込まれてしまいました。

きのう、ダライ・ラマ法王の日本での講話(法話といったほうがいいのかもしれない)を聞いたことがあると書きましたが、内容はまったく覚えていないのです。
でもひとつだけ、印象に残った言葉がありました。

質疑応答の時間に、参加者が「真実はひとつですか?」という内容の質問をしました。
私はそのころ、真実はひとつだろうと思っていました。
そこにたどり着く道はたくさんあって、それぞれの宗教で上っていく道が違い、結局すべては同じ真実にたどり着くのだろうと。
そしてダライ・ラマ法王も、真実はひとつだと当然答えるだろうと思っていました。

でも、法王の答えは
「いいえ、真実はひとつではありません」
でした。

私はそれにとても驚いて、ひとつではないってどういうことなんだろう、と思いました。そのことについて詳しい説明は無かったように思います。
それからしばらく私の中で、真実はひとつではない、という言葉が空中で浮かんでいるような感じでした。

あれからおそらく20年くらいたってしまったかもですが。
いまは、真実はひとつではない、という意味がわかります。
真実は人によって違う。
それぞれが、見たいように世界を見ているから。

それをきのうのドラマの中で主人公がはっきりと明言し、説明していました。
真実は一つじゃない。2つや3つでもない。真実は人の数だけある、と。

さっき、原作コミックプレゼントに思わず応募しちゃいましたが、
ここで読めてます。
(やめられない、止まらない、で無料分は読み切った。ちょっと闇的なところ、サイコなところもあるけど、でも面白い〜)


書くこと、描くこと、撮ることで表現し続けたいと思います。サポートいただけましたなら、自分を豊かにしてさらに循環させていけるよう、大切に使わせていただきます。