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私の見ている世界には「私」しかいない、とすれば。

なんでも、今日18日から22日の月曜日まで
13年と3ヶ月ぶりに木星と天王星がぴったり重なるのだそうで
次に来るのは14年後なのだそうですよ。
天王星が新しい世界に牽引してくれ、さらに木星が望む世界を拡大してくれるということで、
動きたいのに動けない、変化が怖くて踏み出せないという人にとっては、大きな後押しになるようです。
特に仕事やキャリア、新しい収入源など、豊かさについて拡大するらしいので、
やってみたかったことにシフトしていくのは、ものすごくいいタイミングみたいですね。

うーん、どうしよう。
やりたくないことやってる場合じゃない感じ。

そしていま、うお座の土星と火星のせいで
いろんな感情が沸いてきて振り回されている方も多そうですが
それを否定せず、
牡羊座の力を借りて前向きになろうとするところでの
この木星と天王星、ということで
自分の中心をブラさなければ、よい感じにシフトできるのかな?
と思いました。

西洋占星術について、私はまったくのド素人ですので
詳しく知りたい人は、この大イベントについて語っている占星術家の方がたくさんいらっしゃると思うので、見てみるといいかもです。

***
と、前置きが長くなってしまったけど
タイトルの件。

自分が見ている世界は自分の鏡だ、ということは
すでにずいぶん前から言われていることで。
その意味は、
人は目の前の人や物事に自分を投影するから
結局は、相手のなかに自分を見ることになる。
また、自分というフィルターを通すから
起こっているコレはこういうことである、
と、「自分が見たいように世界を見る」ことになる。
(でもそれが真実かはまた別の話)

ざっくりいうと、そんなことを
私はこれまで長らく、本で読んだり人の話を聞いたり
実体験などで検証してきました。

それでなんとなく、そうなのか、とわかったつもりでも
いざ日常でいろいろなことが目の前で繰り広げられていると
自分もその渦のなかに一緒に入ってしまうわけで
いつもいつも「あの人も私なのか」とは考えていないわけ。
(でも結構、考えているほうだと思う)

でも、先週、いや先々週くらいに
ふと
「私の世界には「私」しかいない」としたら・・・と考えました。

たとえば、私に対して気分が悪くなるようなことを言ったり
攻撃するような人がいたとすれば
それは私の一部なんだよな、と思うと
私は私を責めたり攻撃したりしていないか?と、問うてみる。

相手に反撃するのではなく、
自分は自分に対して同じことをしてないか?
その問いが、大事なのではないかと思ったのでした。

最近、私の目の前には
感じがよくて、とても協力的な人が現われることが多いのだけど
ひさしぶりにちょっと苦手な人が現われました。

彼女のほうがどう見ても私より「デキる」感じがするし
以前の自分だったら自己卑下して、逃げたい気持ちになるところだけど
(いや実際ちょっとなったけど)
それはそれで仕方がない、
私は私でちゃんと立っていればいい、と
以前より自己肯定感が育っているので
居心地はよくないけど、それなりになんとか過ごせました。

冷静に考えれば、すべてを見せて比較するわけではないし
得意なところと苦手なところ、性格の違い、経験の違いなど
人はさまざまなわけで。
苦手なシチュエーションにいるとどうしても
自信を無くすこともあるけど
それも、
自分が自信のないことを見せてくれる人だったり、
案外ブレずに立っていられる自分に気づく機会をくれるコトだったりします。

私の世界に登場したその人も、自分の一部(分身)だとすれば
そう怖れることはないのかもしれません。

世界の見え方について語ろうと思ったら
いろんなことが沸いてきてしまうので
今日はこのくらいにしとこう。

せっかくのイベント的な星廻り
豊かで楽しく解放されるような、
そんな世界にパラレルシフトしたいと思います。


書くこと、描くこと、撮ることで表現し続けたいと思います。サポートいただけましたなら、自分を豊かにしてさらに循環させていけるよう、大切に使わせていただきます。