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No.8 "Puedo escribir los versos..." - 今夜私は書くことができる... : パブロ・ネルーダ

XX 今夜私は書くことができる...

パブロ・ネルーダ


今夜私は最も悲しい詩(うた)を書くことができる

書く…例えばこう  “この夜は砕け散り、震え、青ざめ、星々は、彼方に”

夜風は天を駆け そして歌う

今夜私は最も悲しい詩を書くことができる
私は彼女を愛した 彼女もまた時に私を愛した

ちょうどこんな夜には 彼女をこの胸に抱いた
果てしない空の下で何度も彼女に口づけをした

彼女は私を愛した 私もまた時に彼女を愛していた
愛さないはずがない 見つめるあの大きな瞳を

今夜私は最も悲しい詩を書くことができる
彼女はもう居ないと思いながら 彼女を失ったと感じながら

果てしない  彼女の不在でさらに果てしのない夜に耳を澄ます
その詩は芝の上の露のように魂に降りおちる

なんだというんだ 私の愛が彼女を留められなかったことが
この夜は砕け散り 彼女は私の元に居ない

それが全てだ 遠くで誰かが歌っている 遠くで
彼女を失った私の魂は満たされない

彼女に近づくことができるかのように 私の目は彼女を探す
私の心は彼女を探す だが彼女はもうここには居ない

木々の白い肌が浮かびあがる ちょうどこんな夜
私達は そのときの私達なのに もはや同じではない

もう彼女を愛していない それは確かだ だがどんなに愛していたか
私の声は彼女の耳に触れようと風を探した

誰かの 既に誰かのものだろう 私が口づける前のように
彼女の声も 輝く体も 永遠を湛える瞳も

もう彼女を愛していない それは確かだ だがもしかすると愛している
愛はこんなにも短く 忘却はこんなにも長い

ちょうどこんな夜には彼女をこの腕に抱いていた
だから 彼女を失った私の魂は満たされない

たとえこれが彼女が私に与える最後の痛みだとしても
そして これが私が彼女に書く最後の詩なのだとしても

XX Puedo escribir los versos…
Escrita por Pablo Neruda
Traducida en japonpés por Keiko
©Todos los derechos de la traducción reservados


【翻訳メモ】

”20 poemas de amor y una canción desesperada(20の愛の詩と、1つの絶望の歌)”の20番目の詩です。既にご紹介した15番目の”Me gustas cuando callas...(黙っているときの君が好きだ…)"と共に非常に人気があります。
私にとっては、ネルーダの詩の中で、今のところ一番好きな詩です。
他の詩と比較してどこが良いとか、そういうことはわかりません。どちらかというと、他のものに比べて華美なところもなく、内容的にも地味だとすら思います。
しかし、音、リズム、そして言葉の伝える意味そのものが、すべて絶妙のバランスで纏まって、この詩の中で完成された世界を作っています。

全く同じライン(行、一文)が何度か繰り返され、またいくつかのラインと言葉が少しずつ形と意味を変えて繰り返し現れます。
ネルーダのラインの刻むリズムと音は、”彼女”の不在を少しずつ、少しずつ受け入れようとする心の動きを、”言葉の意味”とは違う手段を使って展開させ提示しているように感じます。
比較的長いラインの単位で同じ/似た心地よい音とリズムが繰り返されるので、内容は悲しいはずなのに、ゆったりとした心地よさすら感じるのです。

私はリズムの繰り返しや、徐々に変化する色や音が好きなので、ただ単に、好みの問題かもしれませんが…。

そして、個人的な体験からくる感情移入。
私は、私にとって大切だった誰かの不在によってできたこの虚ろな空間を知っている。
輝いている星も、野草を揺らす風も、いかにも無関心で、私とは違う世界に属しているような、この感覚。
音も消え、色も褪せてしまったこの景色。
行き場のない感情を持て余さなければいけない時間を知っている。
受け入れたくないものを受け入れなければならない、その瞬間を目前に、立ち止まっている自分を知っている...。

思い出したくない体験と感情のはずなのに、ネルーダにこれほどまでに見事に普遍的なものへと昇華されてしまうと、もう、じっくり味わうしかありません。

この詩には、あまりにも小気味よく、覚えるつもりがなくても覚えてしまうようなラインがいくつか入っています。最初のラインもそれです。
”Puedo escribir los versos más tristes esta noche…”
プエド エスクリビル ロスベルソス マストリステス エスタノーチェ
私は最も悲しい詩を書くことができる…

“Ya no la quiero, es cierto, pero tal vez la quiero…”
ジャノラキエロ エスシエルト ペロ タルベス ラキエロ
もう彼女を愛していない それは確かだ だがもしかすると愛している…

"Es tan corto el amor, y es tan largo el olvido…”
エスタンコルト エルアモル イ エスタンラルゴ エルオルビド
愛はこんなにも短く 忘却はこんなにも長い…

いつの間にかこういったラインを覚えてしまっていたので、詩集が手元になくても、ふとした瞬間に思い出すことが何度もありました。
回数を重ねるごとに、砕けた星空の下の虚しい場所に連れ戻されるイメージは薄れ、小気味よい言葉とリズムだけが残り、悲しい感情は徐々に過去のものとなりました。いつしか私の世界の音は蘇り、色も帰ってきました。

誰かの不在だけが私の世界から色を奪うわけではないということを学び、また独りでも豊かな音を聴くことができることも学びました。誰かと一緒に聴く音とはまた違う豊かさの音を。

そして今、この詩は私に、リズムや言葉を楽しみながら翻訳し、あなたに紹介できるという喜びを与えてくれています。


パブロ・ネルーダの10編の詩を朗読しカセットテープに吹き込んでくれたメキシコ人親子(母と息子)は、映画『イル・ポスティーノ』の為にMIRAMAXが作成したCDのアンディ・ガルシアが朗読する英語版に不満顔でした。
非常に悲しげで、痛々しい。演技のセリフとしては、素晴らしいのではないかと思います。しかし、文ごとに一息で読み上げているようで、早口で、文の最後あたりの声が小さく、消え入るようです。
メキシコ人親子には受け入れがたかったらしく…アンディ・ガルシアはせっかくキューバ出身なのだから、スペイン語で朗読すればいいのに!とすら言っていました。
彼女らの朗読では、ゆっくりと、訥々と、一語一文をかみしめるような表現になっていました。悲しく弱々しいというより、とにかく最後まで言葉を続け、気持ちを吐き出さなければ、という切実さを感じるものでした。
面白いもので、その後ずいぶん経ってから私がYoutubeで聴いたネルーダ本人の朗読は、メキシコ人親子の朗読とかなり似た印象でした。メキシコ人親子も当時ネルーダの詩の朗読を聴いたことがなかったのに、です。

英語とスペイン語のそもそもの音の違いもあるのでしょう。アンディの朗読の方が好き!という方ももちろんいると思います。でも、この詩に限っていえば、私も音を聴く分にはスペイン語の朗読のほうが断然好きなのです。
この日本語訳も、私の聴いたスペイン語朗読の訥々とした音とリズムに近づけるよう意識しています。

少しでも、ほんの少しでも、あなたに伝われば幸せです。

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