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教育について考える

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教育について書いた記事をまとめたものです。
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記事一覧

古文漢文不要論と暴力装置としての教育

こんにちは。日本の文学を専門に研究している者です。 毎年恒例、そろそろ季語になりそうな話…

武久真士
2か月前
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詩の授業ってどうするの:島崎藤村「小諸なる古城のほとり」

国語の教科書にちょくちょく載っていて、1年に1回くらいは扱うことになる「詩」の教材。受験で…

武久真士
4か月前
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「分断を煽るな」?

私達は分断の中で生きています。というより、人は「分かれる」こと無しに生きられるでしょうか…

武久真士
9か月前
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詩の授業ってどうするの:谷川俊太郎「朝のリレー」を例に

国語の教科書にちょくちょく載っていて、1年に1回くらいは扱うことになる「詩」の教材。受験で…

武久真士
1年前
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多様性の尊重と社会構築主義―成長について

こんばんは。今日は普段よりも気合を入れた話をしたいと思います。 「多様性が尊重される」こ…

武久真士
3年前
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アクティブ・ラーニングの消極性

小学校では2020年、中学では2021年、高校では2022年度から新しい学習指導要領が適用されていま…

武久真士
3年前
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国語教育に多読を!―精読主義批判

国語教育に関しては、教育業界でも文学研究業界でも喧々諤々の議論が繰り広げられ、さまざまなトピックが提出されてきました。 高校のカリキュラムに古典は本当に必要か、文学研究と国語教育とのあいだをどうつなぐか、いかにして実のあるディスカッション、アクティブラーニングを行うか……ここには論じられるべき数々の問題点があります。 そのどれも個人的に興味のある問題なのですが、この記事ではシンプルな問をひとつ立てたいと思います。 国語教育は精読に偏り過ぎなのではないか? ○国語教育と

大学院というネオリベラルな場所でネオリベラリズム批判を学ぶ

ネオリベラリズムとケア昨今の人文系の研究者で、ネオリベラリズムを素直に肯定する人は、あん…

武久真士
2年前
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教育と暴力―自主的に学ぶこと?

○思い出話 教職課程のグループワークで、こんな話をした学生がいた。 彼は倫理学を専攻して…

武久真士
1年前
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いい学校、いい授業

大学で非常勤講師をして1年半ほど経つ。大学で教えるのは新鮮な経験だが、一応長く塾講師をし…

武久真士
1年前
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アントレプレナーシップとはなにか

この4ヶ月ほどで、アントレプレナーシップという言葉と3回出会いました。 最初は教育関係の…

武久真士
1年前
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プランBの不在:国語科新学習指導要領批判の違和感

2022年度、つまり今年度から高校でも新しい学習指導要領が適用されるようになった。とはいえ新…

武久真士
1年前
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