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No Hate No Racism ~恩師と歩いた道

(2018年秋のことを今、ここに記します。ジョージ・フロイドの問題は決して海の外で起きていることではないと改めて肝に銘じるために。)

 歩き慣れたはずの道が、その時だけは違っていた。広島原爆ドーム前から銀山町付近まで普段徒歩10分程度の距離。私は中高校時代の恩師と2人でヘイトスピーチのデモへの抗議、いわゆるカウンターとして歩いた。

 恩師と四半世紀ぶりに連絡を取り合うようになったのはその年の初夏の頃。フェイスブックに肺癌と。それもタチの悪い進行性のもので右肺二分の一の摘出手術を受けたが余命生存率など宝くじのようなものだから、神様に任せると、クリスチャンの負けず嫌いの先生の声が今にも聴こえてきそうだった。「もし、生かされたとするならば、お前まだ若い人達に伝えることが残っているよということでしょう。」と結びにあった、その投稿は一両日中に先生の手によって削除された。私は、病室にて撮られたであろう写真の先生の眼光を忘れない。

 なお、「術後適度に'少しずつ'運動しましょうね。」という医師のアドバイスに素直に従うはずもなく、術後2日目には病棟内を5キロも歩いて周囲を驚愕させたとのこと。先生の意志の強さを象徴するエピソード。

 先生の抗がん剤治療の入退院が終わったと思ったのも束の間、先生からフェイスブックに呼び掛けがあった。「ヘイトスピーチに抗議に行く。来られる人は来て。」と。聞けば一昨日まで昏睡状態であったと。私はいつでも救急車を呼べるようにスマホを手に持って並走することを即決した。

 先生と待ち合わせた場所で、旭日旗に拡声器をもった団体を私服警察が警護する異様な光景に初めて対峙することとなった。

先生はヘイト集団にジョーク混じりのヤジを飛ばす。
「下手くそー!カンペ見ないと喋れねぇのか!全然面白くねぇぞー!」

次の瞬間、ダブルルーツを持つ幼い娘さんを連れたお母さんが抗議にきているのを見つけていち早く側に寄り添った。


 先生の歩く速度は昔と変わらないほど速い。たった二人だけの課外授業。怒りと共感、先生は人の道を教えてくれる。

 先生は、大病を乗り越えて、再び教壇に戻った。私より、ずっとずっと若い世代の生徒さんたちに今も魂の授業をしている。

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