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#8 学校業務の多忙化の正体

 先日、地元に帰った時に、親友の父親と飲みました。大手企業で部長を務められていた方で、海外支店での勤務歴もあり、頭の切れる方です。また、定年退職された現在も、情報収集に余念のない方です。宴もたけなわ・・・という頃、「子どもの数は減っているのに、教員の仕事が忙しくなっているはずがない!」と言われました。昨今はテレビなどでも教育現場がクローズアップされ、教員の現状は理解されつつあるのではないかと考えていたのですが、どうやらそうではないということが衝撃でした。確かに子どもの数は減っていますが、学校業務の多忙感は、日々増しているように感じます。
 理由はいくつも挙げられますが、一番大きなものは、本来は家庭や地域社会が請け負っていた様々な受け皿が、学校に求められるようになってしまったことだと思います。
 例えば、コロナ禍で休校が増えたとき、親が子どもの面倒を見るために出勤できず、場合によっては仕事を辞めなければならない事例も出たことは、記憶に新しいと思います。拡大家族が多かった昔であれば、祖父母が子どもの面倒を見ることができたのでしょうが、核家族化が進んだ現代の日本社会では、その受け皿が学校に求められている事実があります。地域の防災活動やボランティア活動も、自治組織の繋がりが弱まっている昨今は、その中核を学校が請け負う場面も増えました。本来家庭や地域が担っていた仕事を、学校が請け負う。こうした例は、枚挙に暇がありません。
 メディアには、現状を放映するだけではなく、建設的な解決策について考えさせるような番組を望みたいと思います。社会の枠組みを作ってきたのは国家であり、国民です。現状を変えられるのも、国家であり、国民です。広い意味での「教育」の在り方を、学校から分散させていく取り組みが必要なのではないでしょうか。

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