弱者と混乱

弱者を認めた瞬間、強いやつと弱いやつのシーソーゲームになってしまう弱い被害者の人間が力を持ち、強かった加害者の人間が力を破棄するか空虚な論理(男の俺が強い)で力を得て永遠にその天秤を維持し続けるか?
僕の中でいつも赤い薬と青い薬が自分以外の他人と関わる上での社会で間違いなく重要だと思える。
暴力と力が無ければ肉体と精神的痛みは無くなるのに
多くの人が他人を支配し家族を支配しパートナーを支配しようとしている。それに気がつく赤い薬を呑めば破滅に繋がる。
力と支配で均一になっているシーソー天秤をみながら、
弱者は死ぬまで青い薬を呑み続ける(不安が起こるたびに”呑みつづける”)。
それがこの国の社会。青い薬を呑み続け力と支配を容認している。
赤い薬を呑んで社会、友人間、家族間が崩壊するほうが怖い。
自分という個を生贄にささげて社会を作る。

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