こだわりを手放すと、自分にとっての最高最上がやってくる!
あまりにも心の傷が深すぎて
それでも元気を装って生きているとき、
自然の中で、
ひとりでいると落ちついた。
目の前の浅間山を見ているだけで
涙がぽろぽろ落ちた。
山の前を
鷹が自由に飛んでいる姿をみて、
亡き夫の姿と重なって
わたしも一緒に飛びたいと願った。
わたしも一緒に連れていって、と願った。
誰にも遠慮なく、
何にも気を使わずに
涙を流して心を解放し、
さあ次の日を迎えなきゃと
前を向けたのは、
自然があったからだった。
ただ生きることだけに集中できたのは、
山、川、水、森の草花や風が豊かな
この浅間山付近の土地と、
ときどき縁がある人達の暖かな眼差しのおかげだった。
今また、浅間山を目の前にして
すわっている。
BGMがいらないほど、
うぐいすや鳥達の声に身を委ねて座っている。
この雄大な自然を前にした私が
もうあの日のように
深く傷ついていないことがわかったのは、
この土地に住みたい!
移住したい!
毎日自然のなかにいたい!
と思うほどの強いこだわりを
もう感じていない…
ことに気づいたからだった。
わたし達は、
傷が深いほどどこかの場所、何かの方法、
手段、テクニックがある人々に
癒してもらうために、
意識が外へ外へとむかう。
こうありたい、こうでなきゃと
自分を判断し、赦していない時ほど
外の何かに依存する。
それは、それでいい。
しかたのないことだし、
そのプロセスを体感しながら
何が自分にとってふさわしいことなのか、
自然に体得していくからだ。
でも、いずれ気づく。
人、外、環境、方法ではなかったのだと。
どこにいても誰といても、
自分の内に強いこだわり、執着があれば
それを手放すまで
何度も何度も違う体験をとおして
同じような痛みは
繰り返されていくのだと。
そして、いずれ気づくのだ。
強いこだわりがなくなったときに、
もう外に執着していない自分、
もう傷ついていない自分、
何があってもなくても存在そのもので価値ある自分に。
そしてそんなときに
自分にとって最高最上のものは、
思いがけやく向こうからやってくる。
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