見出し画像

【上手い人の方が悩む?】個性がないという悩みに回答したい

さっきほんの少し横になった30分の間に夢をみましたヨシキです。
内容は忘れました。

今回の内容も各種アーティストの方に見ていただけると嬉しいなと言う内容になっています。
この前のパクリの話の続きみたいな内容ですね

よかったら最後まで読んでいただけると嬉しいです。

以前、とある質問を受けたことがあるんですが、
驚くことに、私も昔同じようなことに悩んだことがあったんですよね。

「ボイストレーニングをすると個性がなくなるんですか?」

という質問です。


ある程度歌唱力がつくと、できないことはなくなったかのように思え、世の中の大抵の楽曲は難なく歌えるようになってしまう。
(もちろん、「歌える」の程度にもよるけれど)

そうなった時大抵のヴォーカリストは

「個性がない」

「パンチに欠ける」

「次に何を目標にしたらいいのかわからない」

という悩みに行き着くのだと思う。

そして以下のような思い込みが生まれる。

ある程度うまい人の場合、ボイトレをしてしまうとフォームが正されて一般化されてしまい、普通になってしまうのではないか?


結論から言うのですが、

そんなことあり得ません。

上手くなると個性が消えるのではなく、下手くそだから個性すら出せないんです。


個性(オリジナリティ)とは、表現から滲み出てくる結果です。

そもそも個性なんてものは意図して出そうとするものではなく、「滲み出てしまうもの」、後から上乗せした「付け焼き刃」を個性ですなんて言うのは甚だおかしいのですよ。

これは他のジャンルの表現でも同じですよね。

例えばダンスでも、絵画でも、(例として考えるものはなんでもいいんですが)
表現において、「意図して個性を主張している」ということ自体がおかしいんです。

人の内面的なもの、勝手に出てきてしまうもの、気づかずにそうなってしまった結果が個性であって、「考えて選び取ったもの」はそう言う「潜在意識的なもの」からむしろ遠く真逆の方にあります。


例えば衣装選び。
ただ上っ面を着飾っても個性はつかないし、衣装は個性を演出するためのものでしかないんです。
無個性の上に着飾った衣装は、むしろ「無個性」を強調します。
(無個性が求められる場合にそうすることもあるけれど)
じゃあどう言うのが個性的かと言えば、
自分がいいと思って選んだ複数の衣装が、たまたま意図しない共通点を持っていたならば、それこそが個性でしょう。

ダンスですら個性は表現の必要はありません。
写真でも、絵画でも、役者でも、あらゆる創作でも表現しようとして作られる個性はどんなに計算高くても「演出」の域を出ません。(演出そのものは、本人の内面ではありません)(演出は個性の強調こそできるかもしれませんが、そのものは個性ではありません


歌の話に戻しましょう。

シンガーが(はたまたヴォーカリストが)自然な発声で歌えていて、本当に自由に声を操れているならば、自分の表現の幅をフルに使って歌唱し、その結果もたらされる特異性が個性です。

これが私の結論です。

個性的じゃないと言う悩みは思い込みだったのか?

そんなことはありません。
多分本当に悩まれているからこそ、こんな記事をここまで読まれているのだと思います。
ただ、「悩むべきポイント」については改めた方が良いかもしれません。

✖️「個性がない、どうやってつけるか」

⚪︎「個性とはそもそもなんだったのか?」

⚪︎「個性が出せないのはなぜか?」

と言うふうに直したらいいと思います。

そしてその二つの質問の答えはもうすでに記事に記載してあります。

まず一つ目、「個性は滲み出るもの」

ならば滲み出るほど深くまで染み付いた「知識や経験」を積み上げることしかありません。どうしたって学びが必要なのです。

そのためにはその分野のことをより深く学んだり、あるいは全く異なることを学んで結びつけたり、ヒントを得たりすることも必要でしょう。

※ここで言う「学び」の学び方については後日また記事を書いてリンクを貼り付けますね、興味のある方はフォローお願いします(笑)

二つ目、個性を操れるだけの「基礎」を身につけること

勝手に出てきてしまうのが個性ですが、もちろん制御できるに越したことはありません。
引き出していくためには、そもそもその表現を自由に操れなければなりません。
(「人工的、有機的で不自然なもの」からは、「本当の自主性、心、個性」は出てこないでしょう)

個性を出すのには、自分の個性を知り、生かす必要がありますが、なんでも濃い味をつければいいと言うわけではありません。

食で例えるならば、それが美食の範疇にとどまる範囲で個性を出さなければなりません。
圧倒的基礎がなければそれは粗野なだけであって、食事できるものではなくなってしまうでしょう。

食なら、まずは美味であることが絶対条件。
その上で個性を出すのにはやはり含蓄された知識、積み重ねた経験、研鑽された技術が求められます。


まとめ

個性のないと言うこと自体が悩みではないと言うことがわかっていただけたでしょうか??

ちなみに昔の私でしたら、これでも納得がいかなかったと思います。

受けていたボイトレそのものが間違っていたからです。

全然伸びないし、危険を伴うトレーニングをしていた時期がありました…。

フースラーのうたうことを読んで最近深く納得したのですが、俄仕込みのトレーニングって本当に危険。自分の勉強不足も思い知らされる。

「間違ったやり方の方が有名になっていると言うこと」
そして
「それらがいかに危険を孕んでいるかと言うこと」

これらを少しでも多くの方に共有できたらと思ってこう言う記事を書いているのですが、いざやってみると噛み砕くのが難しい内容ばかりwwww

いいんです、みんなが知識オタクになる必要なんてない、けどね、

警鐘ならしているの聴いてくれると嬉しいな。って話。

誤ったやり方で個性を潰される方が減ることを祈ります(´・ω・`)

今日はここまで、ありがとうございました^ ^

よかったらサポートお願いします!! レッスン用の機材や専門書籍の購入、イベントの開催費用に充てます。 あなたのお気持ちでYoshikiの活動の全てがグレードUPします!!!