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歌の"真の"難しさ&面白さを【本気で】考察してみた

↓このノートの動画版


友人から

「毎度記事タイトルが堅苦しいよね」

と言われました、ヨシキです。ぐうの音も出ません(´・ω・`)

性格的に仕方ないんです、クソがつくほど真面目なんです。

…そんな私ですが、
今回の記事は熱く語っていこうと思います。

「歌の真の難しさとは何か??」

もとい、

「俺が愛してやまない「歌」とはなんなのか?」

そんな
「ヴォーカリストの命題」に踏み込んでいきたいと思います!!


長くなりすぎないように気を使って書きますから、たぶん考えていることの半分も書けませんし、気持ちを伝えられるか不安もあります。

なので考えの結論だけ最初に言いますが、

歌は最高の芸術です。


これ以上に素晴らしいものを見つけるのは、私にはきっと至難の技です。

そしてもっとたくさんの人にこの素晴らしさと面白さを知ってほしい、気づいてほしい、噛み締めてほしい、そんな思いで書いていこうと思います。


前回の記事で声という楽器の難しさとは?という記事も書いたのでまだ読んでいない方はぜひご覧になってみてください。
(そちらは他の楽器と声との違いについて注目した記事になっています)


・表現の可能性は『無限大』


こう書いているくせにナンですが、私は無限(大)なんて表現を軽々しく使うのが大嫌いですw

120%とか絶対とか、永遠とか、確実とか。

さも全てを見てきたかのように語る方は苦手です。

残念なことに「人に教える立場の人間」ですら、そういう方ってごまんといるんですけどね(~_~;)


…それはいいとして(笑)

歌の可能性に数字をつけられやしないというのもおよそ事実でしょう。

それについては前回までの各記事を読んでくださった方ならなんとなく感じているのかなと思います。


それこそ、難しさの項目なんていうものはあげだしたら全くキリがないのですが、

そのほぼ全ては二つの課題に分けられます。

ひとつ目は「楽器としての課題」、
ふたつ目は「奏者としての課題」

この二つです。

以前ボーカリストの二つの責任という話でも解説しましたね。


前回の記事では楽器としての課題のうち、特に他の楽器と異なる点について解説、紹介しました。

この流れでいくと奏者としての課題を書くのが普通なのですが、

実はこの”奏者としての課題”というのが、
他の楽器での音楽と比べたときに「歌」をさらに特殊な位置づけにしているのです。

それは他ならぬヴォーカリスト、シンガー本人たちが一番感じているのことだと思うのですが、あえて言葉にするのなら…

『歌は生き物である。』


と言うことでしょう。

訳がわからない方もいらっしゃるでしょうからもちろん説明しますね(笑)


・意識している以上に深い、心と体の結びつき

声という楽器は「息を吸い、腹が減り、疲れては寝るし、気分の良い時は割り増して調子がいい。」

つまり心からの影響を直接的に受ける楽器です。

それを扱うというだけでとても難しいのですが、

何より恐ろしいのは

「楽器の不調が奏者の不調とイコールであるということ」

です。

歌手の場合、楽器(声)に不調がある時、本来であればその不調をカバーするべき奏者のコンディションはほぼ例外なく悪くなっているのです。

これは逆も然りで、奏者としてのコンディションが悪い時、必ず声にも影響が出ます。


他の楽器の場合、楽器の不調だったとすれば楽器を異なるものに持ち替えれば済む話です。

奏者の不調だったとしても、よほどの不調でない限りは普通の人にはバレないことが多いと思うのです。

(ここでいう普通とは、音楽に深くまでは慣れ親しまず、知識に造詣の深さのない一般的なリスナーです。)

あるいは、多少の調子の悪さならごまかす術などはいくらでもあるでしょう。

これが歌となるとそう上手くいかなくなるのです。


・奏者としての不調が及ぼす結果

まず、声のコントロールは心と体の深い結びつきがありますから、体の不調は心の不調に直結し、強く影響を受けます。
直後、当初は調子が悪くなかったはずの楽器にまで不調は伝染します。

このように

**普通でしたら条件の悪さは「足し算」されていくものですが、

歌手にとっては常に「掛け算」されてしまうものなのです。**


心の不調は呼吸を浅くし、血流を悪くし、体温を下げ、最大筋力までも落ち、結果的に体調が悪くなるのです。

「病は気から」

なんて言葉もありますが本当の話でしょう。

ここでいう「気」とは単に気持ちという意味だけではなく、元気ややる気、雰囲気などもっと幅広い意味での「気」、エネルギーという意味になります。(漢方でいう気血水)

もちろん、病の全てがそうと言うわけではないですが、気の不調が病を呼び込むのはおよそ間違いありません。


・揺さぶられ続けるボーカリストの心

シンガー、ボーカリストにはあらゆる緊張がふりかかります。
いくらかその原因を列挙してみましょう。

・コンディション
第一に、声というのはコンディションニングがとてつもなく難しい楽器です、人前で歌うときに毎度「確実」にピークコンディションでいられる人はまずいないでしょう。

スポーツ選手でも実力を常に実力の100%を出し切れている方はいないと言う話を聞いたことがありますが、そのためにメンタルトレーニングに通っている方も少なく無いそうです。


・フロントマンというポジション
加えて多くの場合、ボーカリストのステージでの注目度は他のパート以上、いわゆる花形であり、音楽的にも中心に位置するパートです。


・ミスの伝わりやすさ
楽器が生物である故に音の調整ですら難しいと言うのに、歌詞の間違いは音楽に詳しく無い人にも伝わります。


・視覚的な注目による緊張
マイクを手に持って歌うスタイルの場合、立ち振る舞いに多くの自由がある分、ステージングセンスが問われます(棒立ちで歌うわけにもいきませんから笑)

・目立つが上に受けやすい比較による緊張
ライブの場合は単独でも無い限り、他のシンガーの前後に歌うことがあるでしょうから、あからさまに比べられてしまうこともありますし、自身で他の出演者と比べてプレッシャーを感じることもあるでしょう。


それらの緊張ですら心、体に大きな影響を与えるのは言うまでも無いのですが、私が思うに歌唱中最大の脅威は「歌に歌詞があること」です。


言葉の力、言霊

音楽家の人だと見落とされている方も多いのですが、歌詞には凄まじい力があります。

私の友人で音楽を人一倍聴く人がいますが、歌モノはメロを聴くから歌詞をほとんど気にしないと言います。


ですが実際に歌ってみるとどうでしょうか?

個人差があるので意識に大小はあれど、

悲しい曲を明るく歌う人がいますか?

明るい曲を悲しそうに歌う人がいますか?

いえ、いないでしょう。

必ず歌詞と音は引き合い、声に心に影響を及ぼします。


私たちは「言葉によって無意識に感情が引っ張られていく」のを、多くの場合すでに経験済みだと思います。
歌で感動したことがある人はまず間違いなく、その歌に込められた感情に共感して感動しているはずです。

それを自分が歌う時、歌詞を読むだけで強い力を感じませんか??

巧みに練られた歌詞から映し出される情景の全ては心に潜むイメージを具体化し、漣のようだった感情を嵐のように掻き立てまるで津波のようし、魂を震わすでしょう。

そこに声が加わることで音相の力(言葉の発音から受ける印象のようなもの、色でいう色相)が加わり、感情はさらなる加速を得ます。


伴奏から受ける影響、歌詞が音楽になる瞬間

メロディなしでもこれだけの力があると言うのに、壮大で、人の息から芽吹いた楽器による伴奏の中、(それだけでも伝えたいことの全てを物語るかのような)メロディが加わるのならば歌詞は歌になり、その歌い手の全てを映し出します。

ちなみにアカペラは「無音という伴奏」だと私は考えます。

音楽と言葉の混じり合い、どちらもがせめぎ合い、歌い手の感情という軸の元で共鳴し合う時、歌は人の心を揺さぶるという目的を果たします。


・歌とは「歌い手の心を投影したもの」

表現とは、「伝えること」に他なりません。

届け先のない手紙は、ただのメモ書きにしかなりません。

誰かに届いてこその手紙です。

ともすれば、誰にも届かない表現を表現と言えますでしょうか?

言い換えるならば、

人に届くからこそ表現なのではないか?というのが私の考えであり、

歌うことは「伝えること」の最大出力の手段だ、というのが私の考えです。


日々の暮らし、いやそれどころか、

それまで生きてきた人生の全てにより、それぞれの扱う「言葉」は定義され、「心」は養われ、「身体」も形作られます。
**
つまり、「
歌はそれを歌う人間の人生そのもの」**なのです。

全く同じ音は二度と鳴らない、同じ形の思いは二度と宿らない…

故に歌は生きているのです。


・歌は全ての人の日常に存在している

音楽を聞かない人も世の中にはたくさんいることでしょう。

それでも世界中は音で溢れ、その全てにいろいろな物語が潜んでいます。

音のない、紙面だけの世界ですら、リズムを感じますし、言葉の意味と印象、リズムから強い力を受け取ります。

歌を歌うのが嫌いな人ですら、会話をする中で、声色、音の高低、ペースなどから会話する相手の感情や思考を察します。

私は、人が一人にならない限り、声を使っての伝達がなくならない限り、歌がなくなることはありえないことだと思います。

全ての人にとって「声」は大切にされるべき資産だと思うのです。


まとめ

どうでしょうか?

歌そのもののスケールが大きすぎて、「声という楽器の難しさ」なんて大したことないようにすら思えませんか?(笑)

まぁ、あくまで私の考えでしかないのですが、私の師匠に当たる人にも同じような話をされたのを、私はそういうふうに解釈したのです。


読んでくださっている方が全く同じ答えを見出すとは限りませんが、

少なくとも歌は「限られた少数の人間のもの」でもなければ「ファストフードのように一時的な至福のみを満たすもの」「人の心に上部だけ取り繕って着せたハリボテのようなもの」でもないのです。

**私は「あまりにも音楽的でない歌」を「ただのポエム」としか思いませんが、

「魂の宿るのをすら感じられない歌もどき」を「表現」とすら思いません**。


ぜひ、あなたの声を聞かせてください。

音楽はあなた自身の心にあるのだと思います。

…そして

歌い方がわからないのならボイトレしましょう!!!!!!!

ひとまず以上!!

多分後日追記、修正します!

ここまで読んでくださりありがとうございました!

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