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休学生、アメリカに一週間だけ滞在する。そして考える(エッセイ)

最近考えていることがある。

この先の将来、受動的にいたら楽しいことってやってこないのではないか

というのもこの前アメリカに行き、爆裂にenjoyした私だが、これは自発的に行こうと思ったわけではなかったのだ。

アメリカに行く、という経験は休学までして人生について一人部屋でうんうん悩んでいた私にとってとても鮮烈なものだった。
正直休学した理由はこれであった、と思えるほど一週間のアメリカ滞在は私にとって世界や視界を広げるとても良い機会だった。

これ以降性格も明るくなった。マジターニングポイント。ガチアナザースカイ認定。

ただ先述のように、このアメリカ行きは自分から企画したものではない。
友人に誘われてついていっただけなのである。

元々英語大好き、洋画やディズニー、カートゥーンネットワーク大好き人間であったのでアメリカに対するあこがれはとても大きかった。

しかし行動にはなかなか移せなかった。私にとってアメリカは地続きの場所ではなく、画面の中に広がる異世界だった(海があるし島国だから地続きではないけど、そこは察してほしい)。


アメリカに行き、まず感じたのはその土地に流れる日常だった。

日本とはもちろん違う文化ではあるが、それぞれがそれぞれの生活を送っている様子を見て、「アメリカは異世界ではない」と感じた。

自分の中で肥大化されていったあこがれにまとわれていたキラキラとしたフィルターがはがれ、そこには日常が残った。

一週間だけではあるし、もちろん見た景色にも限りはあるけど、文字通りアメリカを体感し、日常の一部になれたことが私は嬉しかった。

この経験のおかげで「どうせこの先辛いことしか起きないだろう」という考えが払拭された。
アメリカで体験したことはすべてが新しかった。世界は広く、それぞれにそれぞれの日常があると考えるととてもワクワクした。

私の見えている世界はとても限られている。そう感じたことにより、「まだ見たことのない楽しいことがたくさんあるんじゃないか」って思えるようになった。この変化が私はとても嬉しかった。

もしアメリカに行かない選択をしていたら、友人からの誘いを断っていたら…そう思うと本当に行動って大事だなって思った。


この経験や変化を踏まえて、文頭の考えに至る。

この先の将来、受動的にいたら楽しいことってやってこないのではないか

アメリカ以前も似たような考えを抱いていたが、上記の考えのベースは前向きな気持ちも多く含んでいる。

とりあえず長くなりそうなので、つづきはまた今度書く。


余談

ロサンゼルスのダウンタウンに滞在したのだが、めっちゃ薬中のずっと叫んでいる人がいて、この日常はちょっと嫌だなって思った。
ただこれにもいろいろな理由があるそうなので詳しく知りたいと思った。


泊まった部屋の窓が信じられないくらい汚かった

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