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何者にもなれなかった自分。でもチャレンジは続けたい。

結局、何者にもなれなかったなあと時節思う。双極性障害の軽躁状態になると、万能感から何者にもなれると思うんだけれど今はフラットに近いんだろう。自己否定感しかない。

休職しているからこそ、そんな想いに駆られるかもしれない。復職したら仕事に溺れ、考える余裕もなくなるんだろう。

昔は絵を描くのが好きだったので、それに関係する仕事につきたいと思っていた。フリーランスとして活躍したいと思い、実際少しだけお仕事を頂いたこともある。でも、それだけでは食べていけなかった。

結局、趣味とは全く違う職種に就職した。

子供が思春期を迎え、それなりの年齢になってしまった今となっては自分の夢を語るなんて恥ずかしい。子供の将来を考えるのが最優先だ。自分の役割を果たすのが大人の責務。今のあるがままの自分を受け入れているのが大人のあるべき姿と思っている。

でもネットを見ていたら、死ぬ前に後悔する人って結構いるみたいだ。もっと自分らしく生きたら良かったとか、もっとチャレンジしたら良かったとか。できれば自分はそうなりたくない。

結局、妻にとっての夫、子供にとっての父親という役割を果たしてきたつもりだったけど、気づけば自分にとって何者かというのは放棄したままだった。

未だに小学校だった時の先生と年賀状のやりとりをしているのだけれど、この先生、もう70才は越えていると思う。でも毎年、具体的な抱負が書かれていて頼もしい。今年は登山で○○山を制覇するとか。

チャレンジするって年齢に関係ないんだねと思う。

さて、僕は何者か?

恥ずかしながら今の僕には答えはない。でも遠い目標は設定しない。今日チャレンジできることを積み重ねていきたい。継続の延長にきっと未来はあると思う。

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