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枯山水。魂の師匠のミッションをクリアしに行った話。

京都におります。

既に
高野山、鞍馬山、などなどで
感じたこと、起こったこと、わかったこと

とっても
大事な事なので
ちゃんとまとめないとですが


もはや膨大なメモに
なっており

博多に戻ってからになりそうです。


しかし、
本日のことだけでも

次の満月の前に
残しておこうと思います!

次の満月は
中秋の名月と重なります。

京都では
通常、あちこちの神社仏閣で
観月会が行われますね。

今年は中止が多いですが・・。
地の神様も、寂しいでしょうね。

氣功合宿の最終日の月曜日は

ですが、
神泉苑では、1日早倒しで
奉納が行われますので
希望者の方と一緒に伺う予定です!

翌日の満月は
私は、とある神社から満月を観ようと思っております。

一斉も、そこからです。

★さて、今日の本題は
「枯山水にて、感じた事」
です。


この枯山水については

以前の、魂の師匠との話に
先に遡ります。

そもそも、京都には
何かと伺っていますが

私自身、
ゆかりがあるわけではありません。

しかし、
私の父と
魂の師匠が

同志社大学を出ているので
間接的に
ゆかり風味を感じております笑

今日も、バスで同志社前を通った時、

父や師匠は
「どんな想いで、学生時代を京都で過ごしたのだろうか」と
思っておりました。

だいぶ前の
ヨーガの関連で
京都滞在中のこと、

魂の師匠が
京都まで出てきてくれて

私個人では行けない
一見さんお断りの

祇園のお料理屋さんに
連れて行ってくれました。

師匠は
いつもいつも

私に
知らない世界や教養を教えてくれるだけではなく
私が成長する為の課題をくれていました。

意味不明すぎ、高度すぎで
なかなかクリアできないことも多し。

未だ、理解出来ていない事もあります。


当時、祇園のお店で

「せっかく京都にいるなら

龍安寺の枯山水を観に行って
感じてこい!」と

師匠から言われましたのに

時間が取れず
未だ、行けてませんでした。

それが、ずっと気にかかっていましたが

今回、
やっと
ミッションクリアです。

★龍安寺の枯山水は
謎解き庭です。

そこに、

どんな宇宙
どんな哲学
どんな真理を感じるかは

人それぞれでしょう。

作者の意図も関係なく
そこに「答え」はないだろうし

見る時の人の、その時の心により
感じ取るものも変わるでしょう。

★私は、朝から
お寺のお勤めに行きました。

行く前に
どう受け止めたら良いかと動揺したニュースが
飛び込んで来ました。

本尊を見ながらも

「この世は一体、どうなってしまっており
そして、私達はどうすればいいのか?」
と、動揺のままのお勤めでした。

そして午後も

枯山水に着き
念願の石庭を見ても
ただの、石と砂利にしか見えず

全く、正念出来ません。

「ダメだこりゃ」

枯山水を内観する以前に
私自身を内観せなばなりませんでした。

自分の動揺を掘り下げていくと
結局は、私の自我が暴れただけでありました。

ボロボロ涙が出てきて
それを認めた途端

急に、枯山水を見る視座が変わりました。

涙は止まり
動揺もおさまり
我にかえりました。

今日、私が枯山水に感じた事は

今日の私の感じ方であり
答えでもなんでもない。

しかも、
深い考察をされている方々からすれば

大した事のない合点かもしれませんが

「わかった!」と思った瞬間
急に頭がスッキリしたのは事実です。

わかった瞬間、立ち上がり

枯山水をすぐに出て、

池の周りを

バカボンのパパの
「これでいいのだ〜」を歌って
帰りました。

結局、世間の台風の風を見ても
私は私の成すべき事を
私の持ち場で、するしかない。


★枯山水とは、その中に
自然や宇宙をあらわしていると言いますが

実際、
この世の自然も、

私達にいつも
本質を教えてくれます。

ちなみに、
シェアするまでもないのですが

一応
私が「わかった!」と感じた事を

残しておきます。

★龍安寺の石庭には
15の形も様々な
大小の石が配置されています。

しかし、どの角度から見ても
その15の石全てを
同時に見る事が出来ないのだそうです。

確かに、立ち位置を色々変えると
どれかの石は、隠れてしまいます。

でも、私がふと気付いたのは
全てを見れる場所がある!
という事。

それは
天からの視座です。

天からは
全てお見通し。

誰かに見られてようが
見られてなかろうが。

★そして、
行きのバスで

空海に想いをはせていたところ

「それぞれの持ち場がある」という言葉を
キャッチしていたのですが

これの意味も
この15の石でわかりました。

今の場所にある石も、

もしも、誰かが蹴飛ばせば
場所は変わる。


諸行無常の世界では

本質以外のもの全て
変わり移ろう。

その時、そこに置かれた場所が
それぞれの持ち場だ。

また
人ひとりが、何でもかんでも
この世の全ての事を担えるわけもない。

でも、
与えられた身体と才能がある。
与えられた持ち場がある。

与えられている。

もっと根源的に言えば
与えたのは天の自分。

本当の自分が、決めた持ち場でもある。

この世の為に尽力する人もいれば
まずは自分の幸せから理解しようとしている人もいる。

どこで何をするかは
それぞれではあるけれど

全ては、
絶妙なバランスで
この世界を象っている。


龍安寺の石庭が象った
美しい枯山水は

ある角度から見れば
見えていない石もあるが

天からは

その持ち場で
なしている形が
はっきり見えている。

★そう「合点!」した私は

結局いつも自分で言っている通り

自分のダルマを、誠実に生きるだけだ。
に行き着いた。

その為には、
ただただ、すべき事の本質に正念し、
ただただ、それをするだけだ。


ここ最近の記事で何度も書いているけれど

これから、色んなニュースが
人々の周りで
台風を起こすだろう。

でも、それに動揺する時は
一見、その物事に動揺しているようであっても

やはり結局は
自分の内側の投影であると

今日、改めて
身を持って感じた。

立ち戻るところは
やはり自分の黄金軸だ。

それを再認識させてくれた枯山水。

魂の師匠、
今日のところは、こんな感じです。

そんなお話でした。

また、鞍馬山での事や、高野山でのこと
それぞれのエネルギーについてなど

戻ったら報告しますね!

★21日の満月の一斉のテーマはまだ
おりてきておりません!

また、前日の夜か
当日の朝あたり

お知らせ出来ると思います!

どうぞ宜しくお願いします!


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