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「食の歴史」 の読書感想文(前編)

無職3か月目です
おはようございますこんにちはこんばんは

この夏、皆さん何をしますか?
僕は読書感想文を書きました。
皆様で赤ペン先生してください。


今回は著者ジャック・アタリ、訳者は林昌宏
「食の歴史」を読みました。めっちゃ転寝しました。

ジャック・アタリ(77)は予言者として有名なのですが、長い過去と現在のデータを提示して未来を警告しています。この数々の推測が的中しているので予言者なのですね。

その情報収集量と適格な指摘は、現代社会が抱える課題の重要性を私たちに訴えます。「知性」と呼ばれる人物の経歴はとんでもないので是非調べてみてください。(過去の書籍を読んだことがないのでわからないのですが、恐らく全てが的中しているわけではないです。的中した予測だけが記事等で取り上げられやすいので)


この本を読書感想文に選んだ理由

飲食店を退職しましたが、食がやっぱり好きですね。
苦手なものも当然ありますが、僕にとって食事は楽しいものです。

食は、栄養を摂るだけの行為ではないと思います。
口に含み、咀嚼し、飲み込む、その食べるという行為には、お供えや儀式のような場に食が関わってきたように、「食」が培ってきた副産物があります。
作業のような、そう単純なものではないんじゃないかと思っていました。
その矢先ですね。表紙で購入決めました。ジャケ買いでした。(そのカバーを外すと本体は血肉のように真っ赤なのもすき)

本の内容 

第1章 さまよい歩きながら暮らす
第2章 自然を食らうために自然を手なづける
第3章 ヨーロッパの食文化の誕生と栄光(1世紀から17世紀中ごろまで)
第4章 フランスの食の栄光と飢饉(17世紀中ごろから18世紀まで)
第5章 超高級ホテルの美食術と加工食品(19世紀)
第6章 食産業を支える栄養学(20世紀)
第7章 富裕層、貧困層、世界の飢饉(現在)
第8章 昆虫、ロボット、人間(30年後)
第9章 監視された沈黙の中での個食
第10章 食べることは重要なのか

内容要約

端的に言えば、「食」の歴史を網羅できる一冊です。
僕の前作でも述べたように、人間はあらゆるものを喰らい、共喰いをし、全ての頂点に君臨しました。

生態系の頂点として君臨したヒトは、その王座を確実なものにするために時間をかけてあらゆる工夫を凝らしていきます。

例えばアフリカ大陸を初めて離れたヒト属、ホモ・エレクトゥスは偶然の火を通して肉を焼き、食べることで食物を消化しやすくなり、腸も短くなります。
吸収したエネルギーを脳に回すことが出来、肥大化。手の込んだ料理を発案し食せるようになりました。

食事に使われていた火は活動時間も伸ばし、ヒトは火を囲んで語り合うようになります。その語り合いがやがて言語を生み、神話を生み出しました。

しばらくして食は死と共に儀式化され、その神と共に食事を行える存在も生まれます。
男は狩りをし、女は調理するという「役割」、部族内での「階級」によって一食における食べられる量も変化します。食は常に階級と密接な関係にありました。

ホモ・サピエンスの人口が数百万人となると、やがて自然が与えてくれるものでは物足らず、馬を飼い慣らし、穀物を栽培し、定住化します。自然を手懐けようとしたのです。

そうして定住化した人々は、必然的に死者を葬る土地で暮らすようになり、生き残る年配者は過去を知る重要な存在となりました。データバンクとなった彼らは神にも匹敵する存在に上り詰めます。
天文学者は天文学、気象学、占星術を用いて畑や定住地の行く末を占い、そして彼らも、他のヒトよりも多い量の食事、あるいは優れた食事を食べていました。

彼らのような指導者が現れ、彼らの下に集う女性や子供、食糧など財産を蓄える定住地をノマドから守る必要性が出てきます。指導者と従属する者が暮らす定住地でのコミュニケーションによって食、言語、文字は発達し、いわば食を守るため更に密集して生活し始めました。
これが後の帝国となっていきます。

食事は喋る場所でした。
同じ食を分かち合うことは親交の証であり、毒殺の意図が無い証明でした。食事は副次的なもので、メインは社交だったということです。この時点で私の考えていた食の効果は、まるっきり真逆でした。

同じ頃、中国では食餌療法が生まれ、6世紀の日本では仏教の教えから動物の肉を食さず菜食主義へと移行しました。当時の日本では家畜は死ぬまで敬意を払い育て、家畜を食するのは家畜が死ぬ時だけでした。
つまり日本の自然や食物に敬意を払う文化が生まれたのは、宗教が食と共にあるからこそです。

紀元前2200年頃、エジプトのケティ3世は息子に対して
「貧乏人は敵になる。貧困に苦しむ者は反乱を起こす恐れがある。怒って穀物倉庫に向かう反逆する群衆には食物を与えよ。彼らを鎮めるのだ。」
と語ったそうです。日本の歴史を振り返ると耳が痛い。

エジプト学者のガーディナーが作成した「A2」と名付けられた象形文字は男性が口に手を当てている姿を表しています。これは「食べる、飲む、話す、黙る、考える、愛する、憎む」を同時に意味し、食べることと話すことの繋がりが今まで以上に明白になったことを表しています。

旧約聖書では人間をつくった神は、ものを食べません。
食べるという行為は人間と神を区別しています。

創世記にて、善悪を知る木の果実を(まぁ、そそのかされたとはいえ)アダムは食べてしまいました。また、ノアとその子孫は自分達が助けた動物を食物にすることを許されました。
ヘブライ語で「マナ(旧約聖書「出エジプト記」第16章に登場する食物)」は「夢」と同じ綴りで表されます。つまりヘブライ人にとって夢は、精神を養う食物であり人間は夢を食べていました。自分で選んだ味、価値の下がらない食べ物だと言えます。(調べたところマナの元ネタは複数ありますが、いずれも人間が食べられるもの、食べたであろうものでした)

預言者エゼキエルは神によって巻物を食べさせられました。
神は自分の言葉を食べさせることで、語り継がせようとしたのでした。エゼキエルはちゃんと飲み込み布教しました。えらい。
言葉を飲み込ませる、つまり思想を内在化させることの表現として食を用いたのです。
思い返せば聖書にまつわる絵画も、食が描かれている物がかなりあると思います。



恐ろしいほどざっくり話しました。
これで「第二章」86ページまでの要約です。

次回もハイパー要約で、後半戦と感想を述べます。
読んでね〜〜

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