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「食の歴史」の読書感想文(後編)

おはようございますこんにちはこんばんは

後編です。
読書感想文って2部構成だっけな?僕の要領のなさ?


内容要約(後編)

第3章から第6章にいたるまでの81ページ、およそ2000年間の殆どがヨーロッパにおける食の変遷です。
いかに世界の中心にあったのかが分かります。
もちろんヨーロッパと他国は貿易やフロンティア開拓で繋がり、新しい動植物、新しい調理法によって交流があり、技術発展の進む国では流行が生まれます。

大学の美術学にて、ピクチャレスクの講義を受けました。観光が普及した時期に生まれたこの画法と、食の多国籍化が同じ時期だと気づいた際には、学問や領域が繋がっていることに感動しました。
こうしてヒトは、異文化を喰い始めたのです。

他にも、
当時流行した食べ物は何か、なぜ未だ人肉を食べていたのか、なぜカトラリーを使い始めたのか、アメリカの食物がもたらした変化、革命と料理、レストランの存在する意味、給食の誕生、自動販売機の役割…
一部を抜粋しましたが、面白い項目が多すぎて紹介しきれません。この本を課題図書にした事と、自分の執筆力を恨んでいます。

農業生産術、保管能力、調理術、印刷術、つまり技術革新によって当然、食も進化していきました。

19世紀末、人口は16億人となりアメリカの資本主義は食の領域にも及びます。
消費者は工業化が進むにつれて住居、衣服、交通、娯楽などの費用にお金を使うようになり、食は比較的安く済ませられる点から食費が減少します。

商品はコストを抑えるために簡素化され、似通ったものが店に並びました。
アメリカの資本主義者は、
「アメリカの食品(自然由来のものを指して)は健康に良くないため人工的な食品を食べるべき」
「稼ぐためには食に時間をかけない方がいい」
と説きました。

一人で手っ取り早く食べる方が効率的だという考えによって、家族の絆や美食的連帯感は消えていったのです。

この動きの源は、19世紀初めの栄養学を用いた菜食主義や性行為を含む刺激物を拒絶することで健康になると説いた人々の存在です。
彼らの活動を受け継いだ人々が辿り着いたのは、必要な量を必要なだけ、の考え方から発展した、
「味に関係なく安価に食事を摂るべき」
と変化していくことで上記のような状況が生まれたのでした。

技術発展と食の関係性の例として、フォードが生み出したライン生産方式の元ネタはシカゴの肉処理場だと言われています。
食に関するイノベーションは電気オーブン、粉ミルク、フリーズドライ、家庭用冷蔵庫、第一次世界大戦が生んだコンビーフ、機内食、ファストフードなどを産みました。
また、第二次世界大戦中、糖分は兵士の士気を高めると思われておりアメリカ兵は大量の甘いものを口にしていました。(私たちもGIVE ME CHOCOLATEのエピソードを一度は聞いたことがあるでしょう)

同じ頃、ロンドンではヴィーガンという言葉が生まれました。豊かさ故の食事に対する取捨選択が行われる一方で帝政ロシア、ドイツ、中国などでは20世紀においても飢饉が起きていました。
そして飢饉撲滅のため、農業生産量などの抜本的な解決が求められます。

結果、化学肥料やトラクター、遺伝子組み換えによって農業生産量は増え、爆発的な人口増加の一方で農家は減少していきました。

富裕層の食を真似た上位中産階級、フランスのヌーヴェル・キュイジーヌ、食品会社の姑息な嘘。こう歴史を見ていくと消費者は簡単に踊らされていたと思います。


そして現在2019年、人口は76億人となり149億haの土地のうち 38%を農地(草原や森林は除く)として利用しています。そして現在における各国の各食材生産量も述べられており、いかに人間が生産性を高め繁栄しているのかが見て取れます。

食のグローバル化が混合的に進み、ヒトがあらゆる料理を食べるようになった最中、2017年時点で毎年910万人が栄養失調で亡くなっています。(直近が気になり調べると、2020年はコロナで悪化し最大で8億1,100万人が栄養不足に陥ったと推定されています)

現在の中間層はアメリカ式の食事を模倣し、夕食が姿を消しつつあり、スマホを見ながら少しずつ食べるようになりました。
第7章では、そうした現代の食について述べ、ベビーフード、給食、職場での食、ヴィーガニズム、宗教食、昆虫食、イタリア、フランスの現状を書き記しています。

現在は過食でもヒトは死ぬようになった事実や、工業化に伴う加工食品の問題や食品の過剰生産の問題にも触れます。

食による温室効果ガス過剰排出、破壊される土壌、そして失われていく生物多様性。都合の良い研究データを持ち出す企業や改良されない食品問題に対して、抗議する人々も取り上げていますが、今でも未だ少数派です。



第8章から最終章の第10章までは、こうした世界の食の歴史を踏まえて未来を占っています。暗いものです。

しかし、アタリは最後に

「すべての答えは、われわれの歴史、そして、各自の明晰さ、反骨精神、勇気に宿る」

と述べました。




本書には528件の参考文献が巻末に記されています。
レポートや卒業論文を書いたことのある方なら、この数値の意味を身をもって感じると思います。

付属文書として「食の科学的な基礎知識」も巻末で述べられています。これは料理をしない人でも、自分が何を食べているのかを把握する非常に重要な文書です。



感想

本書は、事実や著者の意見に数値が伴っています。他の書籍にはない説得力が突き刺さるのです。また、ホモ・エレクトゥスのような猿人から今を生きる私たちまで、種族として繋がっていることを認識できる書籍でもありました。
では、再び偶然生まれた炎で肉を焼くような、つまりその場その場で食べられるものを食べるような、ノマドとなっていく現在の私たちにとって、「食」とは何なのでしょう。

私たちが、本書のような食に関する本を手に取る瞬間、面倒と思いながら作る自炊、誰かと食事に行く際にお店を探している時間、仕事が忙しくて食べることが二の次となった瞬間、流行りの食べ物に興味が湧いた瞬間。
その行きつく先は「食べることは重要なのか?」という最終章の問いなのです。

飲食業をちょっとかじった僕からすると、誰かの好み、体調、その日の天気などあらゆる要因に左右されながら調理することは、意外と楽しいものでした。
例えば、体調が悪いときに誰かが気遣った味付けで調理してくれたり、その料理を作ってくれたことその事実が嬉しく、その料理を食べて嬉しくなりました。そのミクロな視点では、食べることは重要だと思っています。

僕個人としては、各々が統計や傾向で未来を占い、自分がもう生きていない未来のためを思って食事を続ける必要は無くて、「今、隣にいる人や大切な人に、おいしいご飯を食べ続けてもらうためには、何が出来るか」みたいな話だと思っています。そのいま流行りのneighborhoodの精神が、結果的に経済や環境問題などを少しずつ良くしていくと思います。ロマンチストか。

文化の核であると言っていいような「食」を考えることは、自分と誰かがつながっていると認識できる思考なのです。本書は普遍的に食について考えられる、自身が紡がれてきた生き物であると気づける、一つのきっかけとなりました。


あとがき

人間が歩んできた歴史を、食の側面から見ました。
色々な人が述べてきたように、もう一度自然やヒトが歩んできた歴史を振り返り、アイデアを得るということが今後ブームになると思います。
「ニッチ」や「エコシステム」など自然の持つ事象や構造を、もう一度人間社会に取り組もうとしているのは、なんとも人間が動物から進化したという証明に思えてなりません。

〈08/22/2021 追記〉
読書感想文を全て書き終わり、他の方のレビュー等を見ました。「自著の都合の良いものの見方をしている」「アジア、ラテンアメリカ、アフリカの歴史が間奏曲扱い」「フランス視点でアメリカを扱き下ろしている」等々批判するものも当然あります。僕も読んでいて「やたらヨーロッパのページ多いな?」「利他主義で健康食思考なんだなぁ」と思っていました。一方で、アタリ自身がインタビューにて、自著をどう汲み取るのかは読み手次第、と言っていたように当然アタリが絶対値、世界の全てではないと思います。
また、原書題名は「HISTOIRES DE L'ALIMENTATION - DE QUOI MANGER EST-IL LE NOM ? 」つまりフランス語なのでフランス向けに書かれたり、本書がヨーロッパ中心になることも理解出来ます。また、アメリカの台頭以前に、産業革命によってヨーロッパを中心に世界が動いてきたので、食の歴史が動く、あるいは特筆する部分が増えるのは必須なのではと考えています。

期待される内容と異なると強く批判されるのは、彼の経歴がもたらすジレンマなのでしょうか。アタリに食料問題解決に昆虫食が有用であると進言した人は腹を切ればいい、というレビューもありました。
豊かさは快楽をもたらす痛烈な批判ではなく、足りない情報を他者からの補完することで培われると、今は考えています。

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