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夢中で吹いていた頃の代償

このくらいならいけるかな、とサンドイッチの最後の一口で盛大に顎をやってしまった。い、痛い…と涙目になりながら、最小限の動作で口を閉じようと前後に動かす。私の顎は立て付けの悪い扉並みにたちが悪い。

持病と呼べるほどのものではないが、この顎関節症とは長い付き合いになる。

診断されたのは高校1年生の冬で、ちょうど定期演奏会に向けて毎日合奏していた頃だった。初めはマウスピースを咥えるときに顎付近に鈍い痛みがある程度だったが、次第に長時間吹くと激痛が走るようになってしまった。嫌な予感を抱えながら病院に行くと、案の定顎関節症でしょうと言われた。それは当時の私にとって死刑宣告のような診断だった。


私の担当していたバスクラことバスクラリネットは、木管楽器なのでリードのついたマウスピースを使って音を出す。そのために、常に顎を少し引いた状態でいないといけない。その状態が保てないということは、この楽器を続けられないということなのだ。それだけは絶対に嫌だとその日から毎晩顎を守るためのマウスピースをつけ、痛み止めを飲み、だましだましどうにか引退まで吹き続けた。調子が悪いとお弁当も食べられないほど口が開かないときもあったが、バスクラと吹奏楽が心底大好きだったので、当時はそれさえあれば何を犠牲にしてといいと思っていた。

その後遺症なのか慢性化してしまい、今も大きく口を開くことができない。あくびでさえも気を使う。

固いものや大きく口を開けて食べないといけないものがある時、顎が弱いと話したら嘲笑まじりのトーンでいじられることもある。大口開けられないなんて可愛いわねと。そんなんじゃないと冷静に説明しても伝わらないので、そういうことにしている。褒められたことではないが、この痛みは3年間命懸け(というと少々大袈裟かもしれない)で頑張ってきた代償なんだから、なにも恥じることはない。実際無理して口を開くと冒頭のような目に遭うので無理は禁物だ。

今は何かを犠牲にしてまでやりたいことはない。だから当時の自分が少しだけ羨ましい。健康的なのは今の方だけど、それだけ夢中になれるものがあるのは素晴らしいことだ。仕方ない、この古傷は今後の私がケアしながら上手くやってあげよう。

ひとまずあとちょっとだからといって大口でものを食べる癖を治さねば。

そのお気持ちだけで十分です…と言いたいところですが、ありがたく受け取らせていただいた暁にはnoteの記事に反映させられるような使い方をしたいと思います。