網目を細かくするために
有言実行。どうにか資料作りを終えた。
ソワソワ落ち着かない気持ちがようやく一段落ついて心からホッとしている。もっと早くから取り掛かればよかったと毎回思うけれど,結局早くやってもギリギリまで粘ってしまうのであまり変わらないのではないかとも思う。ゴールがないものをどこで切り上げるかって難しい。
私は基本的に網目の粗い人間なので,大体でいいやとなってしまうことが多い。大枠を捉えることは苦労しないが,詳細をつめていくことが苦手だ。網目の細かい仕事ができる人を心から尊敬する。
できることなら弟子入りさせてほしい。
最近は意識して網目を細かくするようにしている。これでいいや,とGOサインを出す前に本当にいいのか,もっと適切な表現はないのかなどと振り返る時間をとるようになった。違う角度から考えてみたり,細かなニュアンスを検討してみたりちょっと意識しただけでも随分やることがある。
初めは何がなんだかわからなかったけれど少しずつわかってきたこともあった。
例えば,網目を細かくするためには,よりよいものを作りたいというこだわりと熱意が必要だということ。
終わらせるだけでいい,という作業では熱意が足りないのでどうしても目が粗くなってしまう。そんなある意味当たり前のことに気づくまでも結構な時間が必要だった。そしてこだわりだすと際限ないことも知った。ここの勘所みたいなものは経験しながら身に着けていくしかなさそうだ。
今は手探り状態で,進んでいる道があっているのか迷走しているのか奥のほうに進んでみないと判断がつかない。「なんとなく面白そう」ということだけはわかるけどどう掘り下げていったらより面白くなるのかはまだ分からない状態,と言ってもいいかもしれない。正確には分かったり分からなかったりする,という感じ。
ただ,前は進んでいる最中に放り出してしまうことが度々あったが最近は一旦最後までやってみてから判断するようにしている。最後まで進めてみたらはずれだったけど収穫があることもあるし,何より何が間違っていたのか実感として分かるだけでも無駄な労力ではなかったと思えるようになった。
多分こういう地道な積み重ねがないと網目を細かくすることはできないんだろうと思う。でも自分にないものを追い求める以上,苦しくても続けていくしかない。時々弱音も吐くだろうけど,そんな自分も記録していきたい。
そのお気持ちだけで十分です…と言いたいところですが、ありがたく受け取らせていただいた暁にはnoteの記事に反映させられるような使い方をしたいと思います。