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鈍感だからこそ丁寧に

平日休みを利用して、身体のメンテナンスに行った。
歪んでいた部分を元の位置に戻してもらったら、驚くほどスッキリ。痛くて重くてだるかった身体が嘘のように軽くなった。

施術後に話を聞くと、私が症状を訴えたところだけでなく、実際はあちこち捻れて歪んでいたらしい。一つ一つの歪みとそれに伴う症状を聞いていたら、私の抱える不調そのもので思わず笑ってしまう。

年齢を重ねた、ということもあるけれど、最近自分が健康だと過信するのをやめた。

だって私は何も知らないのだ。
自分の身体のことなのに、知らないことばかりだ。

今日も話を聞くまで、可動域が狭いのが当たり前になっている部分があることに、全然違和感を抱いていなかった。自分の中で、そういうものだろうとしか思ってなかった。少しくらい不調があるのは当然のことだと、当たり前として受け止めていた。というよりも、そもそも鈍くてよく分かっていなかった。

この鈍感さがあるからこそ、ある程度健康で過ごせているんだとも思う。矛盾するようだけど、あまりに敏感だったら、きっとしんどくなってしまう。気づいて我慢しながら過ごすのと、気づいていないまま過ごすのとでは雲泥の差だ。

私は鈍感だから元気。それは間違いないと思う。
でも、身体にはその分負担をかけている。
それもまた事実だ。

だからこうして、時々人に頼りながらちゃんと不健康さに気づくことが大事なんだと思う。鈍感な私は、自分だけだと分からなくなってしまうから。これが当たり前で普通なことだと思い込んでしまう。何でも必要以上に恐れる必要はないが、健康であると過信して身体を蔑ろにしたくないなと今は思う。

私からは見えなくても、外から見たら明らかに不調が起きているって、きっと沢山ある。そこに気づく敏感さを磨くより、適切に頼ることを覚える方が私にとっては得策だ。
車もメンテナンスをしないと動かなくなるからね、と施術の先生が優しく教えてくれた。その通りだなと思う。労って、ケアをして、無理をしないようにすることで健康でいられるのであれば、その方がいい。

鈍感だからこそ丁寧に。
ここは忘れないようにしたい。

そのお気持ちだけで十分です…と言いたいところですが、ありがたく受け取らせていただいた暁にはnoteの記事に反映させられるような使い方をしたいと思います。