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正解はもう探さない

今回こそ、もうダメだと思っていた。
『次までにやるべきこと』から大きく道を外れて、迷子になって。もはや自分がどこにいるのか分からないくらい、ぐるぐる回っていた。

だからもう本当に、気持ちとしてはかなりギリギリの所にいたと思う。
やっぱり無理なんじゃない?って囁き声が聞こえるくらいに。思いつく限りの方法を全て試してみて、でも全然ダメで。ダメだということはわかるのに、何がダメなのかもわからなかった。

それなのに蓋を開けてみたら、ちゃんと進んでいると言われた。実感はない。ゼロ。いや、ゼロ以下かもしれない。でも、その言葉のおかげで、ようやく息ができるようになった。

私はまた大事なことを忘れていたようだ。

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ダメな理由はものの数分で判明した。
私1人だったらきっといつまでやっても思いつかなかったと思う。でも、ここまでこねくり回したからこそ、すとんと腑に落ちたんだとも思った。

もし、最短距離でこの方法を教えてもらったとしたら私は今もなんのことだか分からないまま、わかったふりをしようとしていたかもしれない。悲しいことに『わかったふり』は私の自慢できない特技なのだ。封印しているけれど、時々そっと顔を出してしまうことがある。

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分かっていても、未だに最短で正解の道を探してしまう。まだまだ、創作をする上でのこだわりが足りないようだ。

より良いものを探すという感覚がそう簡単に育ってくれないことをもどかしく思う。頭では分かっているのに。分かることと実際に出来ることとの壁は大きい。

本来、表現されたものには何一つ無駄なものはなくて、全ての所作に、言うなれば句読点一つとったって何かしらの意味がある。なんとなくあるように見えるものでさえ、紐解いていけば必然性があるのだ。

そこにはそれを作った人のかけた時間と手間とこだわりが詰まっている。表には出てこない、削ぎ落とされた部分にこそ、今の私に必要なものがあるのかもしれない。

手間を惜しまないことは、最適解を見つけるためにとても大切なことだ。だから、きっとこの先も全然スマートには進めないし、それでいい。

正解を探すことは今日でやめにしようと思う。いつか、手間をかけることを苦しみながらも楽しめる人になりたいから。




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