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祟り神にはなりたくない

推しが活動を終えるとき、または休んでいる間、祟り神にだけはなりたくないと思っていた。し、今も変わらずそう思っている。

推しが輝いていた頃を思い出しては感傷に浸り、戻ってこないことを嘆き悲しみ、ぶつけのようのない気持ちをあちこちに撒き散らす。
そんな祟り神のような存在にだけはなりたくない、と決めていた。

けれど、祟り神になりそうな瞬間は日常のふとした瞬間に転がっている。
冷静でいようと努めれば努めるほど、自分の中に沸き起こった感情とのずれが大きくなってしまった。よいファンでいるためには、と優等生の私が必死に理解しようとしている横で、そんなの嫌だ、と駄々をこねて叫ぶ私もいる。

前に進もうとしている推しの姿を目の当たりにしたとき、私の中でどうにかバランスを保とうとしていた細い線が切れしまったんだと思う。
だからどちらも本当の私で、どちらも本当の気持ちだ。蔑ろにはできない。


頭ではわかっている。
新しいものを受け入れることは、それまであったものを否定することではないことだと。上書きされるわけではなくて、全く別の新しいものであると思えばいいということも。

それでも時々、ちらついてしまう。
もしあのメンバーだったら?あの人だったら?
こんな世界じゃなければ解散していなかった?

そんなたらればが頭の中を埋め尽くす時、このまま感情に任せていたら祟り神になってしまうんだろうなとふと思うのだ。
きっとそうなってしまった先人たちも、なりたくてなったわけではないんだろう。どうしようもない気持ちを成仏させられなかった結果、そうなってしまっただけなんだと思う。

誰が悪いということじゃない。けれど、祟り神になっても彼らが戻ってくるわけではないのだ。

私は物分かりがいいふりのが得意なだけだったのかもしれない。
何においてもそうなのだから、きっとまだ全然消化できていなかったんだと思う。

色々と考えた末に、しばらく離れることに決めた。

推しに不満やもどかしさを抱いたときは、こちら側に原因がある、と思っている。推す側が勝手に乗せた期待なのだから、こちらで消化しなければ、それこそ救いようのない気持ちが亡霊のように漂うことになる。

好きだからこそ、そんな風にはなりたくないのだ。
好きだった気持ちごと否定するようなことだけはしたくない。

気持ちが落ち着くまで、どのくらいの期間になるか分からないけれど。
またいつか笑顔で応援できますように。



そのお気持ちだけで十分です…と言いたいところですが、ありがたく受け取らせていただいた暁にはnoteの記事に反映させられるような使い方をしたいと思います。