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週末の夜は映画をお供に『フォルトゥナの瞳』

週末の夜は早めに家事を済ませてソファに腰掛ける。
サブスクの海からみたい映画かドラマを探り当てるこの時間が好きだ。
部屋の明かりを暗く、さながら映画館のようにしてみるのがお気に入り。
今回選んだのはこれ。

2019年公開の『フォルトゥナの瞳』。
母がこれは面白かったからぜひ週末に見てみたら?と勧められて見ることにした。
自分ならあまり選ばなかっただろうなという雰囲気の作品だったので新鮮だったなぁと。

母とは映画や小説など好きなジャンルが全く違う。母は全てにおいてわかりやすいものが好きだ。私はややこしいものの方が好きなので、家族とはいえ好みが違って面白いなと思う。では父と母はどうなのか、というとこれも全く違う。父は特撮映画やミステリー好きで、家には大量のミステリー本がある。

これは余談だが、両親は映画館にいって、その場でそれぞれ好きな作品を見て過ごすのが定番になっている。無理に合わせないのが両親らしいというか、それぞれが好きなものを大切にするというスタイルはいいなと思っている。時々自分の好きをあげるために、相手の好きを下げる人がいるが、その姿勢は個人的にどうも好きになれない。
そう思うのも、こうした両親の姿を見て育ってきたからかもしれない。

前置きが長くなってしまった。

作品のタイトルにもなっているフォルトゥナとは運命の女神のことらしい。毎日が選択の連続でできている人生だけど、それは全て運命によって導かれているのだとしたら。
そんなことを考えてしまう内容だった。

スピリチュアル的なものはほとんど信じていないが、運命みたいなものってある程度は存在していると思っている。どうしても理屈では説明できないことが出てきたときに、あぁこれは運命だったんだなと思えると楽になる。全部自分の責任とか誰かの責任にしようとすると無理があるが、運命のせいにしてしまうと都合がいい。

だから都合よく占いやおみくじを信じることにして、時々神様にも頼っている。全て決まっていてその通りに動いている、というのでは味気ないが、どうしても自分の意思だけではどうにもならないこともある、と思えたほうが生きやすい気がして。

あいにく私はフォルトゥナの瞳は持ち合わせていないし、誰かの運命を変える力も持っていない。自分の人生を生きるのみだ。
この先がどうなるか、知らない、分からないからこそ悔いのない選択をしようと思う。都合が悪くなれば運命のせいにしてしまえばいいのだから。

そのお気持ちだけで十分です…と言いたいところですが、ありがたく受け取らせていただいた暁にはnoteの記事に反映させられるような使い方をしたいと思います。