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私の中の「普通」は変化し続ける

ピアスをあけることも,ブリーチをしてハイライトをいれることも私にとっては大きな冒険だった。でも,時間が経てばそれが自分の中の「普通」になって,馴染んでいく。

「普通」って言葉,最近は慎重に使う人が多いし,私も仕事では滅多に使わない。というよりは,意図的に使わないようにしている。普通の基準は流動的で,絶対的なものなんてなく,どのものさしで見るかということだと思うから。したり顔で,「普通◯◯だよね」なんて言うのはナンセンスだと思っている。

とはいえ,自分の中の通常モードという意味の「普通」はあった。それは,私という人間がどういう行動,習慣をとることが多いのかを理解,把握するためのもので,誰かと相対的にみてどうということではない。

そしてどうやら私の「普通」は思ったよりも変動しているらしい。
これはnoteをやっていなければ気づけなかったことの一つかもしれない。

やりたいと思ったことができて,それが自分の思う普通の枠から少々はみ出してみても,思い切ってやってしまえば私の中でだんだん普通になっていく。意外なことに,外からもそんなに驚かれなかった。むしろ好意的に受け止めてくれる人が多かった気がする。
多分私が一番自分の思う「普通」にとらわれていたんだと思う。

私ってこういう人だからさ,って思い描く自分と外から見えている自分の姿って結構違うのかもな,と思うようになった。「意外でしょ?」と聞いても,「そんなに意外じゃないよ」と返ってくるたびに思う。遠慮なくものが言い合える関係性の人に聞いているので,間違いないと思うのだけど。
あぁそんなものかぁ。といい意味で肩の力が抜けた気がした。

別に私のイメージとか,普通に固執する必要はなくて,昨日までの普通と今日からの普通を同じように受け入れてしまえばそれでいいのかなと思う。

了解可能と言い換えてもいいかもしれない。
了解可能の範囲を少し広げてみたり,形を変えたりしながら過ごすのも悪くないなぁ,とこんな風に思うことも新しい私の「普通」だ。


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