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『いのちの初夜』北條民雄

川端康成が見出した、奇才の作家北條民雄は昭和十二年の師走に二十三歳の生涯を閉じた。
民雄は十代後半で「癩病(ハンセン病)」を発症し、二十歳(はたち)で「全生病院(癩患者収容施設)」に入院し、その短い三年間を執筆にいそしみ、最期は腸結核で衰弱死するのだった。

『いのちの初夜』(角川文庫)は、彼が全生病院に収容される初日の夜を詳細に記した体験記である。自分が「癩(らい)病」であるという絶望感が、ひしひしと伝わる意欲作であり、当時「不治の病」またそれ以上に差別される病として、患者を出した家族にまで厄災が及ぶ悲劇を、包み隠さず語っている。
表題作だけではない。同書に収められている『眼帯記』、『癩院受胎』、『癩家族』などの癩病棟が舞台の閉塞した生き地獄の記録は、目をそむけたくなるものばかりだが、そこに真実がある。
「病を得る」という言葉があるが、まさに好むと好まざるにかかわらず人はなんらかの「病を得る」のであるが、ここまで人を人でなくしてしまう病があろうか?

確かに、ALSや筋ジストロフィーなどの難病が世の中にあり、その病苦は計り知れないものの、癩患者が最期まで被差別者として亡くなっていくのは、読む者を奈落に陥れる。
無知が、そのような悲劇を生むのである。
「癩病」が「業病(ごうびょう)」と言われ、遺伝するなどと言うデマまで飛び交い、忌み嫌われ、ゴミのように世間から隔離させて一生を終えさせることを当たり前とした時代が、つい最近まであったのだ。
そのことを私たちは、深く考えなければならない。
いかなる病気にみまわれても、人権だけは奪われていいはずがない。

癩病は戦中戦前の知識では「不治」であり、遺伝病とも感染症とも言われ、初期は健常者と変わりないが、数年で病状が進行し、癩結節が体中に現れ、毛は抜け、顔は崩れ、手足もボロボロになり、壊死が現れると四肢切断もやむなくなり、末期には呼吸困難に陥り、気道切開してカニューレを挿入して永らえるという究極の苦しみが訪れる。
痛ましい子供の患者、花も恥じらう乙女の患者、妊婦の患者、その出産…
阿鼻叫喚(あびきょうかん)と書きたいところだが、彼らは決して泣き叫ばない。
静かに、病を受け入れていくのである。

癩結節はそのうち崩れて、膿汁を漏らし、その人はミイラ男(女)のように包帯だらけになるそうだ。
夏は蒸れて、傷に蛆がわくこともしばしばで、その腐敗臭が病室に満ちる。

民雄はいつ、自分がそのような「怪物」になっていくのかと思うと気が気ではなかった。
入所すると、体が動くうちは軽作業などの仕事が与えられ、小遣い銭ももらえるらしい。
看護婦はいるものの、身の回りの世話は「付添人」がやるらしく、彼らも患者である。
「付添人」も施設から駄賃をもらってやっているのだった。
またこの病気は家族間感染も甚だしく、そういう場合、家族で入所ということもしばしばある。
病室間の行き来は自由で、男女とも患者同士の交流が禁じられてはいない。

せめてもの救いは、彼ら、彼女らの生活がこの時代にしてはよく配慮されていることだった。
癩患者にとって「終の棲家」になるからだろうか、そこで同好の士を見つけて俳句や囲碁、将棋に熱中する愉しみは残されていた。
実際、民雄は執筆活動を自由にさせてもらっていたようだし、そのために個室を貸してもらえたとも「あとがき」にあった。
『吹雪の歌声』では、民雄と同室で少し先輩の「矢内」の末期と、癩妊婦が出産するというめぐり合わせを描いて涙を誘う。
矢内は、民雄と出会ったときはまだまだ健常で、碁などを打ちあう仲だった。しかし矢内の病状は日に日に悪化し、とうとう寝台の上に座ることもできないありさまになってしまう。
ある吹雪の夜、矢内は自分の死が近いことを悟っていた。体は痛みで、アスピリンを打ちながら虫の息だった。民雄はそのそばで、どうしていいかわからない状態だった。明日は我が身なのである。
そこに、産み月の癩者があり、矢内は生まれてくる子を待ち望んでいた。まったくの他人であるはずの胎児に、残り少ない自分の命を重ねようと言うのか?
「元気に生まれてくれ」そう念じることで永らえているのである。
民雄は、なすすべを無くし、ただ涙を落とすだけだった。
果たして、大きな産声が病室にも届く。未明にその子は生まれた。男の子だという。
矢内は、思い残すこともなくなったのかその日の夕刻に静かに息を引き取った…

生と死の鮮やかまでの対比。

矢内は、生まれ変わりたかったのだ。
今度生まれ変わったら、業病に悩まされない全き生を生きたいと。
癩患者なら思わずにいられない、生まれ変わりへの希望。
そのために死に急いだ患者もいた。
苦しみもだえて死んでいく者もいた。
仏のように悟った表情で亡くなっていく者もいた。

「いのち」とは何だろう?
私たちは「いのち」を生きているか?
民雄たちからしたら、私たちの悩みは贅沢過ぎないか?
悩む前に、生きることが大切なのではなかろうか?

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