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越せなかった夏

八月に入って最初の月曜日、なじみの居酒屋から電話があった。
めずらしいことだ。マスターがあたしに電話してくれるなんて。
嫌な予感がした。
「どうしたんです?マスター」
「後藤さんには世話になったんで、ごあいさつをね…」
「ごあいさつって…暑中見舞いですか?」
あたしは、すこしおどけて言った。
「実は、お店、たたもうと思ってますねん。てゆうか、もう閉めましてん」
ひとしきり、無言の時間が過ぎていった。クマゼミの声がいやに大きく聞こえる気がした。
「あ、あの、やっぱり、コロナですか」
そう言葉を継ぐのが精いっぱいのあたし。
「へぇ。もうね、まったくやっていけませんね。お昼のお弁当なんか、やってましてんけど最初だけでしたわ」
そういえば、今年の冬から、チラシを配って、お弁当注文を予約で取り付けて、なんとか切り盛りされていた。
「そうですか…残念です。これから、どうしはんの?」
「高槻の実家に引き上げて、そっから出直しますわ」
「マスターは大阪の出身やったんですか?」
「言うてませんでしたかな。そうでんね。高槻の山の方で、兄があとを継いでる田畑(でんぱた)がありまんね。そこを手伝いながらね」
「ほんまに、あたしも楽しい時間をすごさせていただいて、なんとお礼を申し上げたらええやら」
「いやいや、後藤さんも、ご主人が倒れはってから、じつにようがんばったはる。家内とも感心してまんねんで」
「いややわぁ、やめてください。そんな…」
「東京五輪でみなさん、沸いてはりまっけど、しょうじき、わたいら、スポーツが人の命を救うなんて思うてしまへん。騙されませんで」
マスターが、語気を強めて言った。私はドキリとさせられた。
「はぁ、そうですね。お医者さんらも、命よりスポーツが大事なんてウソやって言うてはります」
「そうでっしゃろ。なんぼ勇気をもらっても、もう、わたいらには力がおまへん。あの人らが金メダルをいくつ取らはったかて、わたいらの生活はなんもようなりません。むしろ悪なっとる」
「ですよねぇ。お察しますわ。ほんで、お店もお辞めになるわけだし」
「つまらんことを言いました。忘れたってください。ほなら、後藤さん、ご主人もいたわってあげて、あんたも体、壊さんように、なんとか生きていきまひょ」
「マスターもね。奥さんを大事にね。またええことあります。電話はいつでもくださいね」
「ありがとう、ありがとう。ほんまにありがとうございました」
そう言って、電話は切られた。

私は、スマホの画面を眺めながら、マスターとの会話を反芻していた。
この一年以上の間、私たちは何を失ってきただろう。
得たものよりも、失ったもののほうが多かったように思う。
マスターは、三十年以上も続けてきた「お店」を失った。そしてなじみの客も失った。
スポーツマンが金メダルを目指して、心血を注ぐのは、そのスポーツマンの個人の問題だ。
彼らがいくらがんばって、輝かしい結果を遺しても、私たちの生活とはまったく関係のないことなのに、私たちは餓えたように、スポーツに希望を見出そうと、麻薬に群がる人たちのようにテレビの前に座る。
騙されているのである。本当は苦しく、痛いのに「薬」で散らしてもらっているのである。
この不治の病は、明日を約束してくれないのである。

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