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同じ穴のむじな(13)なおぼん

おれは横山尚子と京阪京橋駅のコンコースで待ち合わせた。
ここは国鉄環状線の京橋駅に接続する場所で人通りが盛んである。
京阪電車が高架で、エスカレーターで地上に降りる。
降りたところが京阪の改札と切符売り場で、この京阪の駅ビルを出ると、向かいが国鉄の京橋駅だった。
尚子の姿は…柱の陰などを見回すが見当たらない。
まだ来ていないのだろう。
約束の時間は十時半だった。今が、ちょうど十時半だった。

おれはこういう「デート」というものを経験していないので、ちょっと気持ちがうわずっていた。
きょろきょろするのも、いかにも「女を待ってる」って感じに見えやしないかと、妙に気を回すおれだった。

だれも、そんな自分に気を止める人はおらず、みな足ばやに通り過ぎていく。
すると「湯本君!」と、
後ろでおれを呼ぶ声がして、それが聞き慣れた尚子の声だとわかるのにしばらくかかった。
いつもボソボソと低い声でしゃべる尚子の声ではなく、ハイトーンだったからだろうか?
「やぁ」
「待たせてごめんなぁ」
息を切らせて、尚子が手を合わせる。
「ううん、そんなに待ってへんから」
腕時計を見ると、十時四十分になろうとしていた。
「湯本君は各停(各駅停車)やろ?あたし、普段、乗らへん準急で来たんや。早よ着くかなぁと思てたら、守口でもう十時半やってな」
とかなんとか、ポニーテイルを揺らせながら言い訳する尚子がいじらしく思えた。
「ま、家出る時間が遅かったわけやけどぉ」
そう言って舌を出した。
夏用の淡いブルーのストライプ柄のヨットパーカーにジーンズ、朱色のウェストポーチという姿の彼女は、大学で見るより幼く見えた。
化粧っけがないからだろうか?
十八くらいの女性って、高校生とそんなに変わらないのかもしれない。
「どこいくん?」
「あ、そうそう、おれな、美々史(美学美術史、一般教養の選択科目)の課題があってな、民族博物館に行こうかなと思って」
「万博記念公園の「みんぱく」やん。あたしも一回だけ中学校の校外学習で行ったことがあるわ、行こ」
「ええか?」
「「太陽の塔」もあるし、今日はええ天気やから、きっと楽しいわ」
そういうと、尚子の方から腕を組んできたのだ。
おれは引っ張られるようにして、環状線の改札へ向かった。
大阪環状線は時計回りの「外回り」と反時計回りの「内回り」があり、おれたちは内回りで「大阪駅」(大阪人は「うめだ」と言うことが多い)に向かった。
朱色の角ばった「国電」がすぐに構内に入ってきた。
「グッドタイミングやね」「そやな」
おれらは、列に並んで乗り込んだ。中はやや混んでいるが、右側のドアに二人して並んで立った。
「桜ノ宮」では、夜はネオン街だが、昼間は色あせた、雑多な看板の立つ街並みが車窓に広がる。
ああいう、ラブホテルとかに誘って…おれはそんな事を考えていた。
尚子も、見るでもなく、けばい景色をながめているようだった。
おれは、邪念を打ち消すように、
「阪急の淡路で乗り換えるんやったな。たしか」
と問うた。
「ううん、乗り換えんでも梅田から北千里行きに乗ったらええねん。湯本君は舞鶴の人やから、わからんやろ?あたしが教えたるわ」
「たのむわ」
なんか、リードされてんなぁ…おれは、でもそのほうが気安(きやす)かった。
「梅田にな、あいつの行ってる予備校があるねん」
ぽつりと彼女が言った。
「そ、そうか。会わへんかな?」
「心配ないって。日曜は模試やから、朝から晩まで缶詰や」
「へぇ。大変なんやなぁ」
「自業自得や」
「冷たいんやね」
「もうな、あたしらな、終わってんねん」
「ふぅん」
「そやから、今日、来たんやで。わかってる?」
おれはうなづき、そういう尚子は笑っていた。
おれは吊革を二つV字に両手で持ってぶらさがっていた。
ほどなく「大阪駅」に到着した。
電車から吐き出されるようにして、おれらがホームに降り立った。
車内は冷房が効いていたが、ホームは人いきれでとたんに汗が噴き出す。
「暑いなぁ」
「こんなん、序の口やで」と、尚子。
さっさと改札の方に階段を下りて行く。
おれは、専門書を買いに梅田の旭屋書店に何度か来たことがあるくらいで、ここから阪急電車に乗ったことがなかった。
尚子は慣れたもので、迷わず阪急の梅田駅に向かった。
途中、動く歩道があって、おれは、お上りさんのように目を丸くしていた。
それにしてもすごい人出だった。
しっかり尚子の手をつないでいないと、迷子になってしまう。
おれは知らない間に、尚子の手を自分から握っていた。
尚子は嫌がらずに、そのままにして引っ張ってくれる。

大阪梅田の駅はとにかく広い。
大画面のモニターを過ぎて、阪急のエスカレーターを上がったところに切符売り場があった。
尚子の言うとおりに切符を買う。
改札を出ると、そこにはいくつもの乗り場があって、どの電車に乗ればいいのかさっぱりわからなかった。
阪急電車の南北線というホームに止まっている銀色の電車に乗る。
阪急電車はあずき色なんだが、二番乗り場の千里線はステンレスの電車だった。
「万博会場は山田で降りるねん」
「そうかぁ」

尚子が、照れくさそうに上目遣いでおれをみる。
「なぁ」
「なんや」
「宏明(ひろあき)くんって呼んでいい?」
「あ、ああ。ヒロでいいよ。高校の時の友達からもそう呼ばれてたし」
「ヒロかぁ、じゃ、ヒロ君って呼ぶわね」
「ほんなら、なおちゃんって呼ぼか?」
「なおぼんって家族も呼ぶから、なおぼんでいい」
えくぼを見せながら、うっすらと汗を浮かべた鼻の頭をこっちにむけて、そう言うのだった。
「なおぼん?変なの…でもかわいいなぁ。なおぼん」
おれは、おもしろがった。
そう呼び合えば、身内のように近(ちか)しい気がするではないか。

万博記念公園では夏の日差しが強くて、木陰を探しながら歩いた。
太陽の塔は、見えているのに、なかなか近づかない。
「暑いなぁ」
「ほんまに」
何度同じ言葉を繰り返しただろう。
蝉しぐれがやかましいを通り越して、耳鳴りのようだった。
本当に聞こえているのか、頭の中で鳴いているのか判別できない。
途中で、自販機のスコールを買って飲んだが、甘ったるくてよけいに喉が渇いた。
「これって、あれみたいやね」
尚子が、スコールを飲みながらつぶやいた。
「何言うねんな。女の子が」
おれも意味がわかったので、たしなめた。
「怒った?」
「怒ってぇへんけど」
「真面目なんやな、ヒロ君は」
「理系の女は、デリカシーがないな」と冗談っぽく言ってやった。
「しゅん…」
「なおぼん…」
「てへ…」
かわいかった。
こいつと共に歩いていこうと思えた。
蝉しぐれがひときわ大きく聞こえだしたようだ。

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