見出し画像

同じ穴のむじな(2)作家の部屋

机がなかったので、天文部先輩の本田昭(あきら)さんから折りたためるデコラ天板付きの机を頂いた。
椅子も付けて…
それを本田さんのお兄さんが西三荘(にしさんそう:京阪電車門真市駅の次の駅)の実家から軽自動車で持ってきてくれたのである。
「ありがとうございます」
「いや、うちも助かってんねん。邪魔で、ほかそう(捨てよう)と思ってたとこやから」
本田さんのお兄さんもそう言ってくれたのだった。

「すごいとこやな」と玉藻荘を見た本田さん兄弟の感想だった。
「今時、珍しいのとちゃう?昭和の香りがプンプンするわ」と昭さん。
「ええ、そうみたいですね」
おれは、他を知らないので、そう答えるしかなかった。
「ここ、学生は、湯本だけ?」
「そうですねん」

すると、お兄さんが「おい、この人」と真向いのドアを指さした。
「服部明夫ってエロ小説家とちゃうんけ?」
「え?」
おれと昭さんは、要領を得ない顔をしていた。
「ほら、やっぱり」
お兄さんの指した表札には「春本作家」と小さく書いてあった。
それにはおれも気づいていたが、「春本」の意味が分からず、普通の作家なんだなとしか思っていなかった。
自室に二人を招じ入れて、ぬるい缶コーヒーを飲みながら、そのことを話したら「湯本君は、まじめなんやねぇ」とからかわれた。
「お兄さんは、そういう本を読まれるんですか?」
「読むよぉ。なんやったら、貸したるよ」
「ぜひ」と答えてしまった。
「兄ちゃん、湯本を誘惑したらあかんがな」と笑った。
「湯本君、服部さんに会うたら、サインもらってくれへん?」
「はぁ、そのうちに。いや、ぼくもちらっと見ただけで、ほとんど姿を見せはらへんみたいで」
「こもって、しこしこ書いてはんねんがな。えらいなぁ」
おれたちは、また笑った。

実際、服部明夫氏には挨拶に行ったときと、共同便所ですれ違ったぐらいしかお目にかかっていない。
四十代くらいでパリッとしたワイシャツとスラックス姿で、とても小説家とは思わず、普通のサラリーマンとしか見えなかった。
いずれの出会いにおいてでも、そのいで立ちであり、ネクタイこそしていなかったが、ずいぶん堅苦しい感じがした。
本田さんのお兄さんが「エロ小説家」なんて言っていたが、ますますわけがわからなかった。
おそらく、この玉藻荘で一番、ちゃんとした姿をしているとおれは思っている。

ほどなく本田さんから「兄ちゃんから、湯本にって」と服部明夫の本が数冊手渡された。
「あんまり、やりすぎんなよ」と、くぎを刺された。
男なら、なんのことか言わずもがなである。

開けば、それはもう、精力が減衰するような描写があり、とてもあの服部氏が書いたものとは思えなかった。
たちまち、ティッシュペーパーの箱が空になり、買い置きに手を出すありさまだった。
日中、授業中にぼんやりしてしまうこともあった。
おれは、小説を半畳の押し入れの中に仕舞いこんだ。

服部明夫は、エロ小説界では人気の作家であり、かなりの売れっ子で、こんなぼろアパートにひっそりと暮らしているのが想像できない。
それは今もなお、謎として残っている。
服部氏は、ほかに生活の場をお持ちなのかもしれない。
作品を缶詰め状態で仕上げる仕事場としてここを使っているのかもしれなかった。
印税もがっぽり入ってくるから、貧乏暮らしなんかしなくていいはずなのだ。

「本田さん、これ返しますわ」
「もう読んだん?」
「あ、いや、体が持ちません」
「ははは、若いんやから、心配せんでええのに」
「もう、おなかいっぱいですわ」
「わかった。死なれたらぼくも困るわ」
そういって、本を受け取ってくれた。
こんなことを、小西由紀に知られたら、えらいことである。
「男の生理」だなんて、言い訳は通用しないだろうから…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?