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『パニック障害になった話(1)』〜それはちょうどこの季節のこと〜

この記事にはパニック障害の発作の話が出てきます。フラッシュバックする方もいるかもしれないのでお気をつけ下さい。

note毎日更新が20日を越えた。
10日目には自己紹介をさせていただいたので、20日を越えた記念に、またもや私のことをお話しさせていただく。

私がこの病気を発症したのは4年前。
前職のブラック企業に勤めている頃だった。

1.それは突然に


当時私はとあるスーパーに勤めていた。
そこは個人経営の昔ながらのスーパーで、店員同士の繋がりが強く、表面上はみんな仲は良かったし、今で言う“アットホーム“な職場、とも言えなくはなかった。
だがそれは見かけだけで、結局中に入ってみれば、社長にペコペコしてお気に入りになれた者が偉くなれる。ただそれだけの会社だった。

仲が良いように見えても、会話の中では相手を探り、社長にチクれるようなネタをいつも誰もが探してる。女ばかりの職場だったし、そのやり口は本当に陰険で。
昨日仲良かったはずの人達が、次の日にはいがみ合ってたり、足を引っ張っていたり。仕事に影響を出さなきゃ別にいくらやったっていいけど、残念ながら大人な人間はひとりもいなかったので、仕事に支障を来しまくり。
最後の最後には社長が店までやってきては、喧嘩両成敗とばかりに諭すふりだけをして、その実、気に入ってる方を店に残し、気に入らない者はクビにする。そんな会社だった。
だから最終的には社長のイエスマンしか残らない。職位が上の人間はそんな奴ばかりで、私はほとほとうんざりしていた。

辞めようか、留まろうか。ずっと悩んでいた。
でも当時、なんの因果か昇進していた私は、同居の親が身体を壊していたこともあり、会社を辞めて社会保険から抜けるわけにいかなかった。
今は、会社辞めても社会保険を維持する方法もあるぜ!と教えてあげられるが、その時は誰にも相談出来ず、1日12時間以上働いて、疲れ切った状態でネットで調べても難しいことが沢山書いてあるだけで、読んでもよくわからなかった。
今書いていて気付いたが、この“読んでもよくわからない“って状態はヤバい気がする
理解出来ていた文章が頭に入らない、理解出来ない。これってもう脳がバグっているってことじゃないのか?
ちなみに残業代は1円も出なかった

そしてそんな中、とあるスタッフの待遇について社長と揉めに揉めた私は、県内でも僻地にある店舗に異動を命令される。
その異動にしても、契約内容と違う!と(私は転勤が嫌だったので、面接時から転勤、異動はしないと念を押していた)また揉めたのだが、結局クビをちらつかされ逆らうことも出来ず、私は異動し、徒歩15分の職場から、バスと電車を乗り継いで1時間かかる職場に転勤になってしまった。

大したことない時間ではあるが、出勤時間が1時間違うというのは意外と大変なことである。

起きる時間も、寝る時間も生活リズムが狂い始める。
今まであった余裕がなくなる。
私は店舗責任者として朝の5時に出勤しなければいけない時もあったので、下手したら始発で間に合わない時もある。
その時は当時彼氏だった旦那に頭を下げて送ってもらったりもした(当時は免許を持っていなかったので)

そしてそれは、そんなある日の朝に起きた

2.生きてきて最大の恐怖


今でも、よく覚えている。
それはちょうどこの季節。
雨が多くなり、パッとしない天気が続いたある日のこと。
連日の蒸し暑さにやられたのか、あまり体調が良くない日が続いていて、その日もフラフラしながらバスに乗り、駅にたどり着く
確か世間は休日で、あまり朝のホームには人はいなかった。
当駅始発の電車に乗り込み、人影もまばらな中、空いていた座席に座り込む。

目の前には次の駅の案内を示す案内板?小さな電光掲示板?があって、そこをボーッとなんとなく見るとはなしに眺めていた。

〇〇駅にて急病人発生の為、〇〇線に遅れが出ています

流れてきた文字を読み進めていく。

(急病人か、大変だな……。急病人がいると電車止まっちゃうんだな……)

そんな当たり前のことを思い、発車のベルが鳴る。ふと違和感を覚えた。

あれ?でも……

ドアが閉まる。

それってもし私がここで倒れたら、同じように電車止まっちゃうのかな?

どくん。と、心臓が波打った。
走り出した電車の揺れに合わせて、かしいでいく体を、必死に椅子をひっ掴んで押し留めた。

わけのわからない不安が全身を襲う。

ここでもし倒れたら、誰か助けてくれるのかな?電車を止めて?車掌さんを呼んで?そしたら色んな人に迷惑がかかる。でも人も少ないし、もし私が倒れても誰も助けてくれなかったら?あれ?なにこれ心臓が呼吸がおかしい、えっこれ……

もしかして死ぬの?

ギリッ、と、噛み締めた奥歯が鳴った。
早鐘どころではない心臓を掴み、ダラダラと流れ落ちる冷や汗を拭うことも出来ない。
とにかく怖くて恐ろしくて座っていられなくて、その場で立ったり座ったりを繰り返す。
側から見たらマジでおかしい行動をしていたと思う。

体がガクガクと震え出す。
いきなり自分がどうしたのかわからなくて、それでも頭の中は冷静に「どこも痛くはないから、すぐに死ぬことはない」と自分が必死に告げて、助けてくれていた。
イヤホンから聴こえるV6の声に耳を傾けて、一生懸命この得体の知れない恐怖を吹き飛ばそうとした。

苦し紛れにバッグを探り、なんとか見つけたガムの包みを破る。
1個は床に落としてしまって失敗したが、2個目はなんとか口に放り込めた。

(大丈夫大丈夫、降りる駅までもうすぐだから大丈夫。
降りたらすぐに座って落ち着いて、彼氏がすぐそばに住んでるから最悪迎えに来てもらおう。お母さんだって今日は休みだから家にいてくれる。大丈夫大丈夫……)

真っ青な顔で呪文のように繰り返して、ガムを強く噛み締める。
キシリトールのフレーバーが、ほんの少しだけ私に冷静さを取り戻してくれた。
そして電車が駅に到着した瞬間、私は転がるようにホームに飛び出した。

すがりつくようにホームにあるベンチに座り、必死で呼吸を整える。
電車から降りて、少なくとも“倒れても大勢の誰かに迷惑をかけることはない“という事実に安心したのか、心臓の鼓動は少しずつであるが元に戻っていった。

よかった、と思うのも束の間、どうも頭に靄がかかったように働かないことに気づく。
これはおかしい。でも少なくとも体が元に戻ったのなら仕事に行かなければ
それはもう強迫観念のようなものだった。
フラフラとした足取りで、真っ青な顔で、徒歩20分の道のりを倍の時間かけながら店まで歩いた。
ただひとつ、彼氏に出勤途中で倒れそうになったとLINEだけして、私はその日も普通に仕事を始める。

帰る頃には疲れ切っていて、体調が悪いことも忘れていた。
それでも電車にだけは乗りたくなくて、その日は彼氏に頼んで迎えに来てもらった事を覚えている。

そして私は。
その日から乗り物という乗り物に乗れなくなってしまったのだ

3.お前はもうどこにも行けないな

結局次の日から2週間、私は仕事を休むことになる。ちなみにこの見出しタイトルは、復帰したその日に社長に言われた言葉である
お前はもう旅行にも行けないし、大好きなライブに行くこともできない。
新しい職場に勤めることも無理だから、休むことなくここにいるしかないのだ、と。そう言いたかったらしい。

正直に言うと、私はこの社長を今でも“殺したいほど憎んでいる“。いや、社長だけじゃない。
あの異動した店舗にいた全員を憎んでいる
けれど、その憎しみが、憎悪が、ここまでこの病気を治せた原動力でもあることもまた間違いないのだ。
だからもういい。もう忘れようと思う。
記事に、noteに全てをぶちまけることで、私はもうこの出来事を昇華しようと思う。
これから数日間にわたって、私がこの病気とどう向き合い、どう克服していったかを書いていきます。

私がやったことは正直めちゃくちゃで、薬も飲んでいない。だから私と同じこの病気で苦しむ人の助けにはなれないかもしれない
それでも、いつか必ず、今出来ないことが出来る様になる日が来るんだってことを知って欲しい。
苦しい時は続くかもしれないけど、いつか少しだけでも楽になる日が来るってことを知って欲しい。

次回はパニック障害になった私が、まず何をしたかから書いていこうと思う。

もしもサポートをいただけたら。 旦那(´・ω・`)のおかず🍖が1品増えるか、母(。・ω・。)のおやつ🍫がひとつ増えるか、嫁( ゚д゚)のプリン🍮が冷蔵庫に1個増えます。たぶん。