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勇気が湧いてくる営業の話

「営業職にチャレンジする」

私は現在、営業職を生業にしている
営業歴は20年以上
様々な営業を経験し、現在は士業事務所にて顧問先獲得の営業をしながら
コンサルタント会社の役員も兼務している

営業職の始まりは、証券会社で投資商品の販売、いわゆる証券外務員から始まった
リーマンショックよりずっと前、今よりも泥臭く、パワハラという言葉が無かった時代
当たり前のように怒鳴り声が響き渡り、入社したばかりの社員は、ほとんどが自律神経失調症になって辞めていくか、何も言わずに辞めていく
生き残った一部の社員も3ヶ月続けば良い方だった

私は、26歳の時、中途採用で入社させてもらった
それまでの私は、建築現場で働く職人、運送会社のトラックドライバー、大型ダンプの運転手など様々な職を転々としていた
営業とは無縁の職歴だったが、ある投資の本を読んだのがきっかけで証券会社で働きたいと考えた
そんな時、求人雑誌で発見し、履歴書の志望蘭に大きな紙を貼り付け、文字が入りきらないほどの志望動機を記載して応募した
しばらくした後、人事担当者より連絡があり、面接の結果、学歴も無い私をやる気と熱意だけで入社させてくれた

入社して1年半、全く成果が上がらなかった
上司に同行してもらい新規契約に結びつくことが数ヶ月に1回ある程度

もちろん給与は上がらず、毎日始発電車で通勤し、終電で帰ってくる毎日
妻からは毎日不満の声を聞いていた
それもそのはず、安月給で生活は安定せず、何より生まれたばかりの子を一人で育てる日々、夫は、ほとんど仕事で家にいない
そんな状況で不満が出ないはずがない

「上司から追い込まれるより自分で自分を追い込む」

そんなある日、自分が所属している横浜支店が日本橋の支店と統合することになった
日本橋には、全国トップ成績の精鋭部隊があった
横浜から異動した同僚は、日本橋に移転しても部署はそのまま継続できたが
なぜか私だけ、全国トップ成績の部署へ配属替えとなった
部署が変わって初めての日、課長へ挨拶にいくと
いきなり胃を掴まれるような感覚に襲われる
「この課でお前が一番年上で先輩だが、お前が一番仕事ができない!ここにいる奴らはみんな主任や係長の役職がついている。
新卒で入社して1年も経たずに主任になった人間もいる。とにかく休まず仕事しないとみんなには追いつけない。昼飯も食べずに営業しろ!」と釘を刺された。
それでも昼になると今までの習慣でいつもの通り昼ごはんを食べていると「訪問は取れたのか!取れるまで飯は食うな!」
と怒鳴られた
それから毎日、何かしらで怒鳴られ、そこに存在しているだけで怒鳴られていた気がする
「お前は、給与泥棒だ!」と言われ続けた

ある時は、みんなは座って訪問確約のテレコールをしている中、自分だけ立ってテレコールをさせられた
自分が訪問を取れるまで、「連帯責任だ!」とみんなも遅くまで残された
明らかに自分が足を引っ張っていた
それが一番キツかった

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