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ブログ開設:沖縄へ移住した理由

やっとこさ、ブログを開設しました!
えーっと、沖縄に移住したのが今年の4月なので、早8カ月。
その間に、良い景色や人に出会い、たくさんの体験・経験をしたので、その記録を残したいとずっと思いながら、ブログを登録するという行為自体が面倒で、ここまで引き延ばしてきました。
しかし、この情報をずっとためておくのはもったいないので、重い腰を上げて、ついに開設しました!
最低、1ヶ月に1回は、投稿しようと思いますので、よろしければ覗いてみてください☺
11月までの1ヶ月ごとの記録は、覚えている範囲で遡って書こうと思います。

私が沖縄に移住をした理由

2022年3月31日。私は、15年ぶりに都道府県をまたぐ住民票の変更をしました。2006年12月から15年住んだ東京を離れ、沖縄県民に🙌

移住した理由。それは、ただ、沖縄の綺麗な海の近くに住みたい。
ずっと憧れの場所に住みたい。それが純粋な理由です。
15年間の東京生活もすごく楽しかったし、東京の中心地恵比寿にも住んでいたので、散々食べ歩いて、飲み歩いて、十二分に仕事も遊びも満喫できた。

前職の東京オリンピック・パラリンピック組織委員会での任務を果たした2021年9月。東京で自分のやるべきことはやり切ったと感じ、新たな挑戦へ移動する時が来たことを実感した。

TOKYO2020で働く前、私は普通のサラリーマンをしていた。サラリーマン生活は、決して平たんな道のりではなかったけど、私には必要な時間であったし、社会からたくさんのことを学んだから全く後悔はしていない。
仕事の内容だけでなく、人としての考え方や生き方を改めさせられる時間でもあった。なので、決して無駄な時間ではなかったが、心が弾まないことをやり続けるには限界を感じ、夢を追ってTOKYO2020に転職をした。
当時の職場で13年勤めていたので、これも辞めるのにかなりの勇気がいったが、ここで辞めないとTOKYO2020が終わってしまい、一生後悔すると思った。

教訓:You should pick up right wave at right timing. (正しい波を正しいタイミングで掴む)
この言葉は、アメリカ人のサーフィンの先生が言っていた名言である。
サーフィンはまるで人生だと思ったこの言葉を思い出した。

人生では、何度となく、決断を迫られる時が来る。
まさに、TOKYO2020への転職も、沖縄への移住もそういうことである。

沖縄へ移住する時も、相当迷った。新たな挑戦をしたいと思う気持ちと、東京を離れることに対する不安もあった。
ちょうど家賃の更新時期というのもあり、もう時間がないという時に、ある人から背中を押してもらったこともあり、仕事も決めずにとにかく移住したのである。
仕事は決めていないとはいえ、既に私は副業で前職の続きをやっていたので、ある程度の稼ぎの見込みはあった。

そうして、引っ越しを決断した矢先に、沖縄県の地域おこし協力隊の募集要項がたまたま目に入る。
募集要項:①現在三大都市圏に住んでいること、②2022年4月から勤務できること、③任期終了3年後にも定住する意思があること。
まるで、沖縄が私を呼んでいるかのような条件であった。
直ぐに履歴書を送り、沖縄に引っ越しをした翌日に面接を受け、瞬く間に採用が確定した。

当初、東京と沖縄の2拠点生活をする予定だった。実はまだ、東京に対する名残惜しさもあったから。しかし、地域おこし協力隊の仕事は、生活基盤を沖縄にしない限り厳しい。ここでも迷いは少しあったが、またある人に背中を押され、承諾することにした。
4月から本格的に沖縄に住むことになるので、2月と3月は、最後の東京生活を満喫するために、沖縄をいったん離れる。

こうして、無事2022年4月から沖縄移住を果たした。

この当時、日本の教育を変えるために、沖縄で自然学校を作りたい。と漠然と思っていた。

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