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音の温泉(小説バージョン)

午後8時半
照らされた街灯の下を歩く。
「あぁ…もうかったりいな!」
そう言って電柱を蹴る。
疲れていたんだ。
家に帰ると明日はゴミ出しの日だ。
ゴミを集めないといけない。
それに資料を終わらせないといけない。
もう嫌だ。やりたくないさ。
「ならやらなきゃいい」心の悪魔が叫ぶ。
全て放り出して、音楽に浸った。
松本 酷光 31歳 僕は今日すべてを捨てた。
「後悔はしてない」自分に言い聞かせる。
イヤホンを耳につけ、音を上げる。
周りの音は何も聞こえない。
上司の声も時計の針さえも。
そう音楽の世界に浸るのだ。
花が見えた。僕にとっては枯れて見えた。
さっきの僕まではね。
でも音が曲を奏でると花は咲いた。
「あの花は違う。可能性を秘めているんだ。
何でも出来て、何にでもなれる。それは枯れても一緒さ。」隣でお爺さんが言う。
「わしは吾郎。なんでも好きに呼んでくれ。」
そう言って頭に手を置く。
僕はすかさず「僕は酷光です。宜しくお願い致します。」と言った。
すると吾郎さんは「そうかしこまるな。ここは自由なんだ。何にでもなれる。」
「若者もわしのような老人も可能性を秘めている。花も同じだ。
枯れた花から種を取って種をまけば、そこは綺麗な花畑に進化できるだろ?
もう終わりと絶望するほうがアホらしい。」
僕はお爺さんの言葉に少し苛立ちを感じた。
「ですが!終わりという状況だってあるじゃないですか!」と僕は返した
お爺さんは落ち着いた態度で「終わりとは死のことだよ。自殺は自ら終わらせてるだけだ。
君はそんなに辛かったのか?上司が嫌なら会社をやめてしまえばいい。そんな簡単に言うなよと思うだろうが、無理したほうが余程辛い。
対処法は存在するのだよ。」
僕はそう言われて口が塞がった。
眼の前の薔薇は赤かった。情熱を感じた。だが
どこか寂しそうだった。まるで表現できない。
薔薇の花を輝かせる棘は痛そうで、美しさを表していた。
それは動物も同じと言えるだろう。
毒を持つ動物のほうが色鮮やかだろう。
「色は表現の1つだ。だが色だけで表現は難しい
そこで装飾をするんだ。あの薔薇で言うなら棘だ。」お爺さんは言った。
バチン!お爺さんが強く指を鳴らすと
花は瞬きした瞬間に枯れた。
すると枯れて舞った花びらが燃えた。
炎の赤さを感じた。情熱と言えるだろうか。
僕は驚いた。「これが変化だ。」「花は一瞬で枯れる。人間も死の瞬間は一瞬だ。」
お爺さんは言った。
胸の鼓動はリズムになり、テンポが変化した。
リズムこそ変化なのだろうか。
僕はお爺さんにこう言った。「僕は認められない
どれだけ頑張っても上司にダメだと言われる。
仕事しても怒られるんだ。もう嫌になる。
俺を助けてくれ。アンタなら出来るだろ?
なあ助けてくれよ。俺を認めてくれ…。」
敬語を捨てて子供のように喋り、全て吹っ切れた様に涙を流した。情けなくなった。
「お前を助けてやれない。」お爺さんは眉を顰めた。「認められてないと思うなら自分で自分を認めろ。お前が辛いのは分かる。頑張っているのも分かる。だが他力本願過ぎるぞ。上司に怒られるなら何か問題がないか見返すんだ。自分からリズム(変化)に乗るんだ。」
お爺さんは言った。そして僕が瞬きをしたら
お爺さんは消えた。いつもの壁と屋根だ。
アラームの鳴り響く時計を見る。5時半だ。
大音量の音楽を止め、洗面台とにらめっこする。今日も仕事だ。あのお爺さんのおかげで少しは変われる気がした。今日出社することが楽しくなった。いつもより良い表情で会社に行く。




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