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好きな本は好き~いまさら翼といわれても/米澤穂信~

はじめに

今日は初めての試みですが、好きな本『いまさら翼といわれても』についてお話ししてみようと思います。
上手く書くことができるかわかりませんが、やってみます。

!以下シリーズ全体を通してのネタバレを含みますので、ご注意ください!



日常のミステリー

まず、この本は古典部シリーズという米澤穂信さんのシリーズものの最新刊です。
私は小学生の高学年~中学生の頃、様々なジャンルの本を読みました。

その中で、所謂“日常の謎”、“日常のミステリー”を初めて読みました。
それが、この古典部シリーズだったと思います。

普通に生活しているように見えて日常には、
些細に見えるけれど見逃すことができないことが隠れている、
そんな出来事の根幹には様々な人の事情がある
それを、観察力と知識と経験、そしてたまに優しさで解決していく様子が大好きになりました。

本書をについてお話しする上で、古典部シリーズのあらすじを先にお話しします。

「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことは手短に」をモットーとする“省エネ”少年・折木奉太郎は、姉の命令で、高校入学と同時に部員ゼロの古典部に入らされる。
そこで出会ったのは、清楚だが大きな瞳におさえきれない好奇心がにじむ少女・千反田える。中学校からの友人、福部里志と伊原摩耶花も古典部に加わり、奉太郎は仲間に依頼され、さまざまな謎を推理・解決していくことに……。

本シリーズは、高校生が主人公です。
中学生の私にはその学校生活や人間関係が非現実的なものに映っていました。
知らない、ちょっと現実味のある夢の話を見ているような気分でした。
シリーズは続き、本書が発売される頃には私は高校生になっていました。

本書のあらすじは次のように書かれています。

「ちーちゃんの行きそうなところ、知らない?」夏休み初日、折木奉太郎にかかってきた〈古典部〉部員・伊原摩耶花からの電話。合唱祭の本番を前に、ソロパートを任されている千反田えるが姿を消したと言う。千反田は今、どんな思いでどこにいるのか――会場に駆けつけた奉太郎は推理を開始する。千反田の知られざる苦悩が垣間見える表題作ほか、〈古典部〉メンバーの過去と未来が垣間見える、瑞々しくもビターな全6篇。

『いまさら翼といわれても』は、6篇の最後の短編です。
“短編にしては”というと、少し語弊がありますが、短いにも関わらず高校生の私に強烈な印象を残した篇でした。



千反田の性格

あらすじにもあるように、本書では千反田が姿を消します。
なぜ、彼女が姿を消してしまうことが異常事態なのかといいますと、重要な役割を任されている状況だったから、というのもありますが、彼女は責任感の強い人だったからです。

例えば、『遠まわりする雛』では、神社の祭りにおいて主役を務めることになりその役割を完遂するために、できる限り尽力し、自分と関わる人々の地位も人格を守り抜いていたからです。
また、『クドリャフカの順番』では、文化祭に出現した謎の泥棒に対して、古典部の部長としてどうにかしようと奔走していたからです。
ちなみに、この文化祭での出来事を通して千反田は自分の得意不得意を実感することができたようです。

これもまた思春期ならではの成長なのではないでしょうか。
高校生にしては言語化できすぎているとも思いましたが…。
まあ、千反田は秀才なのでありえますね。うん。



奉太郎の推理と千反田の自嘲

話を本書に戻します。
!以下ネタバレですので、本当にお気を付けください!

責任感の強い千反田はなぜ重要な役割を担ったまま姿を消したのか。
それは、「自由を歌う歌を歌うことは、本人の気持ちに背くことだったから」です。

彼女が任されていたソロパートは、
『ああ願わくは我もまた、自由の空に生きんとて』でした。
このソロパートを朗々と歌う予定だったようです。
そしてその次は『籠の鳥をば解き放つ』という歌詞です。
壮大に自由を、鳥をもちいて制限から解放される様子を表現している歌です。

彼女は農家の郷家であり、一人娘でした。
彼女は進学後家業を継ぐ予定でした。
実際に『遠まわりする雛』では奉太郎と進路について、「科学を学ぶために理系を選択することにした」と話していました。

本篇では序盤に、期末テスト後の放課後、部室で4人が集まって思い思いに過ごしている様子があります。
その時、奉太郎は無表情で大判のガイドブックのようなものをめくる千反田を見かけています。
その後、自由を壮大に歌わなければならない場面で、彼女は消えました。
このような些細に見える出来事と、大きな出来事、そして現在進行形で行われている事、性格等を複合的に考え、奉太郎は一つの予想を立てました。

あのガイドブックは進路についての冊子ではなかったのか。
なぜ進路が決まっているはずの千反田が進路について考えているのか。
なぜこの歌を歌う前に姿を消したのか。
これらの疑問を踏まえて、奉太郎はやっと見つけた千反田に一つ尋ねました。
『お前、跡を継がなくてもいいって言われたんじゃないか』
と。

その後本文では、奉太郎が推理し、ずっと聞いてだけいた千反田がやっと静かに言った言葉が次です。

『わたし、いまさら自由に生きろって言われても……
 お前の好きな道を選べって言われても……
 千反田のことは何とかするから考えなくていいなんて言われても……』

後半になるほど自嘲する声色に変わりつつこう続けました。

『いまさら翼といわれても、困るんです』



なにが自由だ

なぜ私がこんにも、この部分に衝撃を受けたのか。
これまでの記事を見てくださっている方はなんとなく察しがついているかもしれませんが、読んでいた当時の私の状況と似ている部分があったからです。

当時の私には姉がいて、姉が両親の思う進路を歩んでいました。
勿論、姉に能力があったからこそできたことです。
両親は私に姉と同じ道を歩んでほしいという思いがあった一方で、やっとの思いで姉の進路が決定したため、私には入れるところに進学してほしいなんていう、少し大げさに言うと『投げやり感』がありました。

同時に私も、両親の願いは姉が叶えたからもう十分でしょ?なんて思っていました。
蓋を開けてみると結局交換条件付きで進路を自由にさせてくれたのですが、当時の母親はたまに綺麗事を言って私を混乱させていました。
「あなたが行きたいところにしなさい」
と。
それなのに、私が提示した職業に「薄給だ」なんて言うのです。

父は私に中学生の頃から将来地元に戻ってきてほしい、その選択肢しかないと言い聞かせていたので、遠くの大学に行くことは妥協だったようです。

姉の進路が決まった後、担任との進路選択についての面談で私はこう話しました。

「両親の最大の願いに一番近いところに姉がいて、
 私は嫌々一緒にその役割 を担う意味がないように思える。

 今の状況をよく考えると自由になった。
 悪く考えると、これから真剣に考えないといけない。」

当時の担任の「自由になった気分かな?」という優しくも現実味があり、厳しく感じる言葉は忘れません。

当時の私は、その自由を謳歌しようと考えていました
「やった!らっきー!」ぐらいの気分です。
しかし、進路について両親と話していく中で、
母親の綺麗事と本音に振り回され、
父親から与えられるプレッシャーと罪悪感に押しつぶされそうになっていました。

今考えると、「なにが自由だ」と悪態つきたくなる気分でした。
結局、降って湧いた自由だと思っていたものは、制限と罪悪感付きの自由でした。
こんなの自由って呼べますか。

こんな進路に関して一瞬希望をもって失望した私にとって、千反田の状況は共感できるものでした。
むしろ、制限されていると感じてもいない制限されていた時の方がましに思えるほど、
いきなりの変化が大きすぎて今の自分には手に負えない。
そんな心情ではないでしょうか。

私も千反田も鳥だとすれば、
私は、ほんの少し広くなった新しい籠に入れ替えられ、「飛んでいいよ」って言われている鳥であり、
千反田は、たった今籠の扉を開けられ「飛んでいいよ!その翼で飛ぶんよ!」って言われて戸惑い、飛び立てずにいる鳥でしょうか。


奉太郎の優しい心情

本書に戻ります。
千反田の言葉を聞いた後、奉太郎は次のように考えています。

『千反田がこれまで背負ってきたもの、いま背負わなくてもいいと言われたもののことを思うと、俺はふと、何かを力いっぱい殴りつけたい気分に駆られた。
殴って、自分の手も怪我して、血を流したいような気分になった』

初めて本書を読んだときには奉太郎のこの心情を特に考えることなくスルーしていましたが、何度か読むと、いや今読むとこの心情をもっと理解できるような気になりました。

奉太郎は千反田が感じた痛みを自分も感じたいという気持ちになったのではないでしょうか。
もっというと痛みの共有です。
痛みの共有を通して、千反田の痛みを理解して寄り添いたいと思ったのではないでしょうか。
千反田は「戸惑っている」とありますが、傷ついているのかもしれません。
もしそうだとしたら、その痛みを自分に共有してほしいという感情ではないでしょうか。

共有したからなんだとか、そう思うのは恋心だなんていう少し無粋な考えは置いておいて、
私はこの奉太郎の心情が行動としてストレートに心に浮かんでいることに驚きました
勿論小説ですから、文字で表現しないといけないものだと思いますが。

親しい人が受けてしまった嫌な事、痛み、傷、それを自分にもというのは、
自分もその痛みを感じて寄り添いたいという奉太郎なりのやさしさのように思えました。

優しいです。
優しいの一言で済ませても満足するくらい、まっすぐで、優しい心情だと思いました。
自分の苦悩について話すときに自嘲してしまうほど、普段のとは違う千反田に、優しさを以て、寄り添ってあげたいと心の根っこで思っていると感じました。

さいごに

今だから拙くも、こんな言葉にすることができていますが、当時はただ同じ進路に悩むものとして千反田に共感した、としか言えていなかったような気がします。
実際、友人にもそうやって薦めたような。

このように、今日は初めて好きな本についてお話ししました。
本について話すとき、そのあらすじや背景状況について話さないといけない気がしてそれに集中しすぎたような気がします…。
後半は感じたことを言葉にするように注力しました。

ここまで読んでくださってありがとうございました。
♡励みになりますありがとうございます。


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