見出し画像

「奇跡の社会科学」(中野剛志著、PHP新書)トクヴィル②

調子に乗って、1日2回更新してみました😃
初雪が降って、慌ててタイヤ交換をしました😅
ぽんニャンです😅

トクヴィル編②です。
トクヴィルが民主政治に恐怖を覚えた核心に近づいていきます。

それてはどーじょー😃

トクヴィルが論じているように、なぜ民主政治は「専制政治」に堕ちてしまうのか。
トクヴィルは、『アメリカの民主政治』で「地位の平等」があると書いている。
民主政治では当たり前のことが、専制政治に結びつくとしている。

貴族制社会では上下関係、先祖や子孫と結びつけられている。しかし、民主的社会では上下関係が希薄で、祖先や子孫との関係も薄い。要するに「利己主義的」だと説いている。
利己主義的であるということは、孤独であるということ。
平等な社会では、人は孤独になるということである。

専制政治は、人々が団結して専制政治に抵抗しないよう、互いに孤立させておこうとする。
平等な社会は、人々を孤独にする。つまり、平等な民主社会は、専制政治にとって都合が良いということ。

民主的な社会では平等化が進み、人々がバラバラになっていく。
人々の平等への欲は拡大していく。
今日のLGBT🏳️‍🌈の動きも、フェミニズムも、人種差別も、障害、高齢者福祉もそうではないかと感じる。

貴族制の社会は不平等だったが、その差が大きく固定化されたために、人々に受け入れられていた。
しかし、民主的社会では、少しの不平等も特権も許されない。
それらを均すためには、あらゆる特権を剥奪し、一律の平等を実現する中央権力ご必要であり、人々はそれを熱望する。
それは不平等が小さくなるほど加熱していく。
平等化が進む中で人々はますます孤立し、中央権力に対する抵抗力を失い、全体主義化しやすくなる。

日本にも、この30年改革論者が「既得権益の打破」を煽って世論を味方につけ、権力を集中させる政治が続いた。
改革に反対する人々を「抵抗勢力」と呼んだが、トクヴィルに言わせれば「多数者の専制」の「抵抗勢力」に他ならないわけである。


ここ数年、福祉業界では共同体の再編的な動きがあり、共生型施設って素晴らしいよねっていうことが言われています。
でもそれって、この数十年で壊されてきたものを修復しているだけなんですよね。
俺っちは「昭和回帰」って名付けてます。
また、何事も大きな声の人が全て正しいとか、○○先生いつも学びをありがとうございます😭とかって全体主義だよなとか思ったりもします。
トクヴィル編を読んで、腑に落ちました。

次回はトクヴィル編③です😃

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?