『本質』シリーズ最終回『対人支援職の本質』
前回は、『お金』から『人権』を考えてみました。
今、私達の『人権』は保障されているでしょうか?
今回は医療を例に挙げてみます。
先日、こんなニュースが飛び込んできました。
『経済的理由で受診遅れ死亡、48人 民医連が700病院など調査』
これは、どういうことでしょう?
日本は経済大国の先進国だったはずです。
「お金がないから医者に行けない」なんてことはあり得ないと思いませんか?
でも、現実はそうではないということですね。
医療や介護従事者の約6割“生活苦しい”と回答(富山NEWS WEB)
これは、富山の情報ですが、全国的にどうでしょう?
「介護の仕事をしているだけで、家族が養え、自分も勉強に励むだけの余裕がある」
そうした人は何人いらっしゃるでしょうか?
もちろん、掛け持ち、副業は無しです。
なぜこのような状態になったのでしょう?
それを解き明かすキーワードが『新自由主義』です。
『新自由主義』とは、簡単に言えば『なすに任せよ(laissez-faire )』ということで、何でも自由にやれば良い。
なんでも市場原理を働かせて、国は邪魔をするなということです。
医療と福祉は、この新自由主義に侵されていると考えるべきでしょう。
なぜなら『自助・共助・公助』という考えからもわかる通り、公衆衛生は国の仕事なのに、公助は最後。
しかも、財政逼迫(という嘘)を理由に、民間からお金を搾り続けています。
通貨を発行してるくせにね。
一番ヤバいと思うのは、政治が新自由主義ということですね。
『全て市場に任せれば上手くいく』ということで、公共サービスをどんどん『民営化』していきました。
鉄道、郵便、教育機関(国立大学は独立行政法人です)、医療、福祉、そして命の水である水道。
このうち、医療を見ていきます。
2021年総務省調べ『公立病院の現状について』
これによれば、公立病院の割合はわずか10.4%です。
東京都においては、都立病院を独法化する条例を可決しました。
病院が公立でなくなるということはどういうことかお分かりになると思います。
とある開業医は『患者が欲しい』と話していました。
怖くないですか?
経営が成り立たないと、医者はその地域からいなくなるんです。
市場原理の全てが悪いわけではありません。
そのおかげで、第二次産業などは伸びていったわけですから。
しかし、命の現場に市場原理というのは必要でしょうか?
『患者が欲しい』ということは、人の命が市場に乗る。つまり、民間からお金を取ってこなきゃ経営が成り立たないのだから、患者をどんどん集めるか、報酬単価の高い治療をしなければならないということです。
しかし、国は新自由主義に侵されてますので、自分達の負担を軽くして、市場に任せます。
だって、その方が『効率的』で、『生産性向上』になると信じさせているからです。
『国はお金がない』と言いつつ、『窓口負担を引き上げる』
こんなことを続けてきたのは、お分かりだと思います。
介護においては、『地域包括ケアシステム』が挙げられるでしょう。
ザックリ書くと、国ってどこに関わってるんでしょう。
地域、民間、ボランティア任せになっている気がします。
保険料払ってるのに、実費負担がかかる。
事業者は介護報酬だけではやっていけず、保険外サービスに活路を見出す。
保険外サービスって、利用者負担ですよね。
加算についても、利用者負担です。
つまり、医療も介護も、『お金がなければ受けられない』
そうなっているということです。
それで、冒頭に戻るというわけです。
これって、人権侵害であり、憲法違反だと思います。
それに声を上げるのが、私達介護従事者であり、社会福祉士なんです。
なぜなら、倫理綱領、行動規範に『社会に働きかける』とあるからです。
『社会のルール』は、『政治』が決めているんです。
国が決めたから仕方ない。
私達は国に頼りすぎた。
私達が政治に声を上げない限り、『社会変革』なんて起きようがありません。
どんどん人々は貧しくなり、どんどん国は衰退していき、公衆衛生は悪くなっていくでしょう。
ということで、全て繋げてみました。
全てを解決するには、『国の財政は逼迫している』などという悪しき固定観念は捨てることです。
私達はセンメルヴェイス、ガリレオ、コロンブスを知りながら、その反対側にい続けているわけですから。
なーんちゃって😃
以上で、『本質』シリーズは終わりでーす😆
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