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1-6 PMIにおける社員の不安

はじめに

 売却される企業における社員には一定の不安感情が巻き起こる。不安感情をいくつかまとめてみたい。不安が起きる要因は、①これまでの行動パターンから変化を求められること、②自分たちが目指していたゴールを失うこと、③自分自身が体得してきたノウハウが否定されること、④自分たちが大事にしてきたものが失われること、⑤自分たちの活動基盤がなくなることなどのいくつか要因がある。そしてその要因が発動される対象としてもいくつかのカテゴリーに分かれる。会社に対してと、仕事に対してと、生活に対しての3つカテゴリーである。それぞれについて考察したい。

会社に対して

 会社がこれまで培ってきた歴史やブランドなどは、長く続いている企業であればあるほど愛着がわいているものである。自分たちが苦心して守り抜いてきた会社名を筆頭に、商品ブランド、ロゴなどシンボリックなものであればあるほど、売却サイドの社員による執着は強いものとなる。特に創業経営者や創業メンバーなどにおいては、草創期において自分たちを支えてくれた事業や商品などは、たとえ既に市場価値が失われていたとしても意地で守り抜いてきたものもあったりする。それらが軽々しく扱われることに対しては、反感の情を感じるのは当然あろう。また、それぞれの会社には会社特有のエピソードがある。資金ショートが起きそうな危機を乗り越えてきたエピソードや、アクシデントによるレピュテーション低下を乗り越えてきたなどの逆境を乗り越えたエピソード、一時期は国内シェアナンバーワンであったとか、名刺を見せるだけで誰もがうらやんでくれるような評判があったなどの誇らしいエピソードなど、社内においてはある種の伝説になっているようなエピソードや歴史も多い。これらに関して買収サイドが無頓着な姿勢を貫いたり、無意識のうちに、これらの歴史を全否定するようなコミュニケーションを取ってしまうようなことがあった場合、売却サイドのモチベーションは一気に低下する。まさに上記④の自分たちが大事にしてきたものが失われる不安である。

 また、会社においてこれまで掲げてきた目標や戦略などは、組織活動の出発点であり、行動指針になっている。ゆえに、これらが変更を求められるとなると自分たちの行動原理をどこに置けばよいか不安を感じるようになる。例えば、上場を目指して活動してきた会社が、株主やオーナー経営者の都合により売却されることとなった場合や、1000億円を掲げて邁進してきた会社が事業アセットの見直しで、事業が分割売却され、全く別の目標を求められるようになった場合、その他にも、経営陣が長期にわたり温めてきた新規ビジネスに対して、買収サイドから無碍もなくストップの指示が下りてきた場合などである。まさに②の自分たちが目指していたゴールを失うものである。甲子園を目指してきた球児達が部員の不祥事などの特殊な要因により、挑戦もすることなく出場の機会を奪われることを想像していただいたらその感情の痛みは分かるであろう。そこまで希求してきた目標ではないにせよ、一定の喪失感があることは買収サイドもわかっていなければならない。

 当然ながらM&Aには完全なる対等合併でない限り、買収サイドや出資比率が多い企業の事業論理が優先される世界であり、そこにセンチメンタルな感情を挟むことのリスクは圧倒的に大きい。しかしながら、買収サイドがその不安を分かったうえでコミュニケーションに注意しながら共有するのと、買主の権利であるがのごとく指示するのとでは、その後の社員モチベーションは大きく変わってくるであろう。

仕事に対して

 自社が買収されたと聞いて、社員が真っ先に思うことの一つに自分の役割がある。特に管理職など、特定の権威を持っていた人にとっては、「誰か新しい人が乗り込んでくるのではないか?」「これまでのような権限が無くなるのではないか?」などの不安がよぎる。M&A後の最初の社員面談でも、幹部層であればあるほど、首を切られる覚悟をもって臨んでくる人が多い。現在の地位という権威は、これまでの仕事を通じて自分が勝ち得てきた既得権益であり、事業やメンバーに責任を持っているという事実に誇りすら与えるものでもある。日本においてはいきなり社員の役割がはく奪されることは少ないが、役員構成などにおいてはガバナンスを確保するために役員の任を解くこともありうる。立場や肩書という権威に対する執着は人によって様々であるが、役員という役割は、一般的には上昇志向や勝ち負け志向が強い人が懸命に仕事をしてきた結果の証であることも多いため執着も強い。さらには、次期役員や社長の役割を担おうと思っていた人にとっては、急に壁が立ちふさがったように感じることもあるであろう。日本のように長く務める人を遇しやすい制度にあっては、急にキャリアゲームルールが変更されたような衝撃がある。この機微が分かったうえで幹部面談に臨むことが買収サイドのケアとして重要である。

 また、特に合併などにおいて新しくビジネスプロセスを統合する必要がある場合、仕事の進め方や条件が異なるため戸惑いが大きいこともある。M&Aで描かれた絵では「オペレーションを統合し効率化を図る」としか書かれていないものでも、振り子は末端が一番大きく振れるように、現場においては大きな変更を求められていると実感するものである。自分たちがこれまで職人技のように培ってきた自社サービスのコンセプトや手順に対しても変更を求められることもある。例えばネジを作る工場において、これまでは若手の工員は熟練工員の技を見て覚えることが常識とされてきた組織において、新しい会社では効率化を求めてマニュアル化を要望されることがある。自分だけしか保持しえなかったノウハウなどは、熟練工員がおいそれと出したくないものである。自分のプライドを傷つけられた気持ちになる。さらには、言葉などにおいてもズレが生じることで戸惑いを感じることがある。「マーケティング」という言葉一つとっても、商品開発から携わり実際に顧客に届けるまでの一連の活動を表している会社もあれば、特定の商品への問い合わせを増やすために、いかにプロモーションしていくかという意味でマーケティングを使う会社もある。これまで広義の意味でのマーケティングを実行していたチームが、同じ部署名というだけで急にプロモーションだけを実行するチームに統合された場合、役割の縮小と共にやりがいを奪われる実感もありうるであろう。

 仕事を統合するということは末端の活動になればなるほど微に入り細に入り細かい変更が求められる。このあたりをケアして実際に現場で交わされる指示命令系統の在り方やひとつひとつの事象に対する言葉の定義と割り振り方を注意してマネジメントしていかなければ、組織内にずっとダブルスタンダードが存在することになり、事業効率の低下を招きかねない。

生活に対して

 会社に対する思い入れや、仕事への慣れ親しみなどは組織で働く一員としての感情の変化であるが、それ以上に社員のリテンションに影響を与えるのが自身の生活における変化である。事業展開が思うように立ち行かず自力での立て直しが難しい企業が買収された時などにおいて、給料カットが行われることもある。日本では、通常はそういう状況でも経営陣のみが減額されたり、一部管理職のみが減額される場合が多い。それよりも賞与に対する考え方や、インセンティブの在り方、交際費の使える範囲など、変動費とみられている待遇部分での変更などによりマイナス感情を感じる人もいる。例えば人事制度が統合されたことにより、それまで売上の一定パーセントをインセンティブとしてもらっていた人が、インセンティブよりも給与などの固定費中心の処遇制度に変わった瞬間に仕事に対するモチベーションが変わってしまうこともあり得る。また、評価制度などにおいてもパフォーマンス重視の企業が、プロセスやその他のチーム貢献などにおける評価を重視されるようになったり、これまで昇降格や評価の振れ幅が大きい実力主義の制度から、比較的に穏やかに上下し年功重視制度へと変わった時も気持ちの変化は起こりうる。これまでの生活設計も狂ってくることも考えられるからだ。

 また、実際に多いのはオフィスが統合された時など、職場が変更になった時である。慣れ親しんだ場所から移ることは、今一度自分と会社の在り方を見直す契機にもなり得る。オンラインワークがOKの職場から、出社を必須とする職場への変化などもそうであろう。昨今ダブルインカム世帯が増えているため、仕事場と生活場の在り方はより一層大きな意味を持つようになってきた。オフィス統合などはPMIにおいてコスト削減もしやすく、かつ文化統合も進めやすいため取り入れやすい施策の一つである。これに伴い退職者が一定出ることは織り込みながら、またキーパーソンの心象なども把握しながら丁寧に取り組んでいかなければ、箱を作ったものの実際に動かせる人が来ないなどの笑えない事態も考えられる。さらには休日や残業の在り方についても注意が必要である。最近はこのあたり働き方のホワイト化は時代の流れにより急激に進んでいるため、比較的今のトレンドに合わせることしか解が無いように思うが、休日にパソコンを開けるか、電話をかけられるかなどについては、いまだに業態によって判断の分かれるところでもあったりする。

 社員の生活圏を脅かす変化については皆一様に過敏に反応する。あまり社員の感情サイドによりすぎた判断をすれば、実質何も統合できずシナジーが進まないことも多いため、避けては通れない摩擦である。だからこそ、摩擦の抵抗度合いを慎重に把握すること、また摩擦をゆるやかにするための潤滑油のような対話を繰り返していくことを大切にし、統合活動していかなければならない。

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