5-3 生産シナジーの罠
「こだわり」の罠
一般的にコストコントロールが求められる製造やサービスなどの生産機能を持つ部署同士が生産拠点、生産プロセス、生産要員、生産設備を統合することによって効率を上げるということはM&Aにおける生産性向上においてよく語れるシナジーである。「同じような商品を扱っているのでこれで生産規模が倍増する」「生産プロセスを統一することで両社がノウハウを共有できるようにする」「これをきっかけに工場を一緒にすることで、運営費を下げる」などである。飲食や小売りなどのサービスなどのソフト系に比べて、特に製品や物財をなどのハード系商材を扱っている事業や、装置産業などにおいてそのシナジー効果は語られやすい。戦略紙面上で語られるこれらの効果に対しても障壁が存在する。ポイントは「こだわり」の存在である。
生産要員の「こだわり」
まずは生産要員における「こだわり」である。すし職人の例えを使えばわかりやすいと思うが、すし職人はシャリ炊き3年、あわせ5年、握り一生と言われるように、一人前になるのに最低10年かかると言われる業界である。名のある店舗であればあるほどその期間は長くなる。最近では、短期間で修行できて最短で2か月で板の前に立てることを謳っているスクールもあるが、もしそのようなスクールで育った人が握っている店舗と老舗の店舗が統合するとなった場合、その軋轢は必至である。これと同じような軋轢は生産過程では多く発生する傾向にある。「このプロダクトを作れるのは〇〇さんしかいないので、新参者に任せられない」というバイアスに染まっている場合は、生産における属人性の壁から抜け出せず、効率化が促進できないなどもある。その専門分野が複雑であればあるほど、ブラックボックスになり、ナレッジは解放されず、象牙の塔にこもるかのように非効率性を生み出しているのである。この部分を効率化しようと新しい組織を立ち上げようものなら、熟練の専門家がメンバーを引き連れてサボタージュするなど足の引っ張り合いが起こるリスクもある。これらを対策するには、本当に必要なナレッジは何かを細部にわたって見極め、整理し、仕組化できるところから着手していく事が重要である。そして最終的には、その熟練者を味方につけるか、その熟練者がいなくなっても生産活動を保持できるかどうかの判断になるが、経営サイドとしては交渉力を高めるためには、たとえクオリティが一時的に下がったとしても、属人性を排除する方向を決断することが大切になってくる。
生産手法の「こだわり」
次に生産手法における「こだわり」である。例えば新たなプロダクトを開発する際において、まずはプロトタイプを作り、顧客の声を重視しながら少しずつ機能をアップデートしていくアジャイル方式で進めていくのか、もしくは、最初に最終構想を描き、専門家たちが詳細設計を作りきってから開発に入り完成品を創り上げていくのかなどは生産手法に対するこだわりの違いである。前者の場合は自由に商品に対して意見が述べられる空気があるが、簡単に変更が加えられていくため型が崩れていくというリスクがある。後者の場合は誰も手を加えられないような迫力を帯び、型としては完成度高くなるが、自由に意見が言えないため、市場の反応に対して柔軟な対応ができないというリスクがある。どちらが正しいというわけではないが、これらの生産手法における「こだわり」の違いが、サービスクオリティや生産要員を統合していく上での障害になる場合がある。また細かいところでも品質管理のためのテストをフィジビリティというのかモニタリングというのかなど、生産プロセスで使われる微妙な「言葉」の違いが戸惑いを生む。そこで言葉を統合しようとすると、言葉を奪われる側からすると生産者としてのアイデンティティが喪失されたような感情になることもあるだろう。これらの生産手法の違いについては、短期的には最終的な目的やゴールから逆算して、何が必要か、どのようなプロセスにすべきか、どのような言語を使うべきかを丁寧にすり合わせていくしかない。もしくは最近では、生産プロセスにもDXによる効率化やクオリティの向上を図るなどの取り組みもあるので、そのようなプロセスを一新するタイミングで新しい型を構築浸透していくことが重要となる。
生産拠点の「こだわり」
最後に生産拠点における「こだわり」である。職場が創業の地である、先代から代々引き継いできた工場であるなど、ここに自分たちの歴史と思い出詰まった場所であればあるほど、働き場としての生産拠点に強いこだわりがある。メーカーなどにおいて統合する時には、工場の統廃合はシナジーが見えやすいので検討される項目に挙がりやすいが、その統廃合をきっかけに必要な熟練工の退職が相次ぐことで今後の生産がままならなくなることも考えられる。その統合が本当に必要なのかどうかは、財務状態のひっ迫度やメリットと、人的資源の喪失可能性とその影響度の両方を天秤にかけて判断していく事が大切である。
最後に
「こだわり」は、これまでの活動によって積み重ねてきた成功体験や、潤滑な組織運営のための築き上げられてきた暗黙の了解である。まさに生産部門の文化であり、一概に悪いものとして扱うこともできない。しかしながら、その「こだわり」による現状維持バイアスが、せっかくの統合シナジーを発揮するタイミングを失することにもつながる。生産部門を変革することは旧来の文化と、新しい文化の対立モードから融和を図っていくプロセスでもある。いきなり変化を求めるのではなく、変化の土壌を作るためにも「このままではいけない」という揺らぎを創出し、丁寧な対話によって「変わりたい」と思ってもらえるようなコミュニケーションが肝要である。
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